第五章⑤〜八・二六〜
左隣から聞こえる規則正しい寝息によって、まどろみから現実へと引き戻される。
ゆっくりと開いた目に映ったのは白いレースの天井。そして、身体を包む柔らかなコットンの感触。どうやら、俺は今天蓋付きベッドの上で仰向けに横たわっているらしい。
ここはスイートルーム? ということは俺たち、勝った、のか?
じゃあまさか! 隣で寝ているのってし、しし詩……!
俺は罪悪感と、それと同じぐらいの期待に胸を膨らませ、左に顔を向ける。
「おはよう、葉栗」
血走った目と目が合う。月代が、至近距離で俺の顔をガン見していた。
……どうせそんなこったろうと思ったよ。鼻息めちゃくちゃ荒かったし。低い声でハァハァ聞こえたし。でも、少しは期待しても仕方ないじゃん。男の子だもん。
「ワッツ? なんで俺たちが相部屋なんだよ?」
俺の口が質問すると、月代はなぜかはだけたバスローブを整えながら、ねっちょり丁寧に答えてくれた。
あの試合は俺と詩帆の棄権負け。俺が途中で気を失ったので、当然と言えば当然だ。結局、初戦を勝ち上がった月代・瑛子ペアがそのまま優勝。スイートルームの宿泊券を手に入れた。が、男女が同衾するのはPTA的にアレなので、元から宿なしの俺が瑛子から権利を譲ってもらったという形らしい。まさか、PTAに感謝する日が来ようとは。
さらに言えば、俺は丸一日以上気を失い続けていたようで今は合宿最終日の深夜。要するにバンド練習スキップだ。作者のやつ、楽器のこと全然わからないからって力技でバンド描写を避けてきやがった。果たして作品完結まで逃げ切れるのか、乞うご期待である。
あとあと、俺の身体から石鹸の匂いがするのと今こいつとお揃いのバスローブ姿でいる件については笑ってはぐらかされた。ねぇ、これほんとにハーレムラブコメ? BLにジャンル変わってないよね?
「まぁ、細かいことは置いといて、」
置いとかれた。
「福豆さんのこと、悪かったな。いくらなんでもやり過ぎた。止めてくれて、ありがとう」
……あくまで、作者から言わされているセリフだ。月代の本心とは限らない。だけど憑き物の取れたような穏やかな表情には確かに、安堵の色が滲んでいた。きっとあの瞬間、月代は本心から勝ちを願い、自分の意志で詩帆を狙っていた。だけどもしそれが成功していたとしたら、詩帆は傷付き、月代も一人の男として後悔の念に苛まれることになっただろう。
咄嗟の判断だったが、結果として、二人のキャラの心を守ることができた。まぁ、俺にしては上出来じゃなかろうか。
「それと、あっちに関しても悪かったな」
「? 何の話だ?」
「ナニの話だよ。まだ痛むか?」
あぁ、うまい棒のことか。あれは尊い犠牲だったよ。お前が気に病む必要は【葉×月キター!!!】【腐腐腐……今日もBLが美味い】【濃厚な濡れ場おねしゃす!】やめろよ? おい作者、絶対やめろよ? 絶対ぜーったい、読者の声に惑わされるなよ? フリじゃねぇからな?
……おい、作者?
「ちょっと、ちょっと服脱いでみ。治ってるか診てやるから」
「いや、大丈」
「ん!? こ、ここ、こいつは大変だー!(棒) 葉栗きゅん、今すぐ脱ぎ脱ぎしなさいっ」
おい作者ー!!
内心でツッコミを入れている間にも、月代は鍛え上げた筋肉で俺を淡々と組み敷く。
……これはマズイ。非常にマズイ。読者の声と月代本人の意志、両方が作品の展開に影響を与えた結果作者の筆が乗りに乗っている。PTAの目を盗んで、BL波でサーフィンしてる。
「ちょっ、お願いだから待っ……アーーーッ!」
「ダメーッ! 千博に触らないで!」
「は、破廉恥です! 婚前交渉なんて絶対認めませんよ私は!」
俺の断末魔と同時に、部屋のドアをぶち開け二人の女子が現れた。
おそらく本心からガチギレ中の救世主・詩帆。
と、ウブなセリフとは裏腹に心底残念そうな顔をした急性腐・瑛子。
それに対し「婚前交渉? 何を勘違いしてるんだ? 葉栗のうまい棒がビンビンに腫れてたから、手当てしようとしてただけだぞ?」とガンギマリな目で言い訳するこいつはもうダメだ――急逝しろ・月代。
「手当ては後で自分でするさ。それより、お前らは何しに来たんだ。か弱い赤ずきんちゃんたちがこんな夜中に野郎どもの部屋に出入りなんて、オオカミが現れても文句言えねぇぜ?」
なんだその例え。
「この部屋の宿泊権は元々私のものです。自由に出入りする権利はあると思いますけど」
もっともらしいことをもっともらしいトーンで言う瑛子だが、上気した頬から本性が駄々洩れだ。オオカミの共食いを嬉々として眺めていそうな腐れずきんである。
「それもそうか。じゃあ詩帆は? お前はこの部屋に入る権利ないだろ」
「だ、だって! 今日はその、あの……そ、そう! 千博の怪我を心配してきてあげたんだよ!」
「そうか。だったらさっきも言ったとおり自分でなんとかするから、お前はさっさと部屋に帰れ」
「な、何よその言い方! せっかく私が……」
「怪我が心配で来てくれたんだろ? ありがとな。少し腫れちゃいるが、もう十分サクサクだから問題ない」
「で、でもぉ……」
「? もしかして、何か他に用があるのか? あぁん?」
「そ、それは、その……」
「はっきりしねぇな。良い子はもうおねんねしてな。夜更かしは美容の大敵だぜ?」
なんか詩帆が帰ってしまいそうな流れに背筋が冷える。
俺の勘が正しければ、作者は本作の執筆の中でどんどん成長し、キャラが自由に動き出す領域に達しつつある。そして瑛子は明らかに月代側の人間。詩帆がここで退場し数的不利を取れば、冗談でなくハーレムラブコメというジャンル自体がBL波に飲まれて沈んでしまうかもしれない……
え、マジで? 嘘だよね作者。さすがにありえないよね? でもこいつ、唐突にジャンル変更した前科あるし。
「本当にいいんだね!? 私帰っちゃうよ!? 今さら引き留めても無駄なんだからね!?」
「あぁ。また明日な」
「福豆さんは先に帰ってもらっても構いませんよ。私が『起きている間は』責任を持って、お二人が不埒なことをしないよう見張ってますから」
帰らないでえぇぇぇ!
お前が帰ったらもう俺助からないから! オオカミとそのマネージャーしか居ないから! 頼むからここにいてくれぇ!
「まぁまぁ、葉栗。福豆さんは今回の一件で一番責任を感じてたんだよ。ちょっとぐらい看病させてやれよ。な?」
万事休すと思われたそのとき、詩帆を引き留めたのはまさかのオオカミ――月代だった。どうやら作者はすんでのところで、詩帆をこの場に残す采配をしたらしい。月代のやつ、狙いどおりの展開にならずさぞや悔しがっているだろうと思いきや、意外にも慈愛に満ちた優しい笑みを浮かべている。
月代の言葉に、詩帆の目がパァッと輝く。が。
「う、うん! ありがとう月代くん……って、元々アンタが大人げなく私を狙ったせいでこうなったんでしょーが! アンタが一番反省しなさいよー!」
「反省ならしてるよ。どうせなら君のその貧相なまな板にぶつけてやればよかった、ってね」
「ハァ? どういう意味?」
「そうしたら、腫れてなんとか食べられるサイズのスイカに育ったかもしれないだろ?」
「? 私のスイカを食べたかったってこと? ……やだ、月代くん、私のことそういう目で見てたの?」
「皮肉が通じない……だと?」
「ダメだよ! 私のスイカは千博専用なんだから! アンタなんか、皮目の白いところでも齧ってなさい!」
「ん、皮目なら食べてもいいのか?」
「! べ、別にそういう意味じゃ……っ! 皮目の白いところは甘さが控えめで捨てられがちだけど実は赤いところより栄養価が豊富で浅漬けや炒め物に適しており、月代くんにはその部分を食べて健康になってほしいなんて全然思ってないんだからっ!」
「……ふーん。おもしれー女」
えーっと、今何が起きているのだろうか。
作者の比喩下ネタが意味不明すぎてノイズになっているが、これはもしかして、月代×詩帆のフラグが立っている、のか?
普通に考えたらありえない話だ。ハーレムラブコメにおいて、まだ負けヒロインになったわけでもないハーレム要員が、別の男と良い感じになるなんて。だけどこうして考えている今も、詩帆と月代は漫才のようなやり取りを続けている。
そしてその楽しげな様を見ているだけで、作者が型に囚われず、自由気ままに書きたいものを書いていることが伝わってくる。おそらく作者自身、この二人の絡みを気に入り始めているんだ。
そしてその結果を生んだのはきっと。
「月代くんのバカバカバカー! こんな意地悪な人だなんて知らなかった! 優しい千博とは大違い!」
詩帆は例のキラキラ……いや。アイドルの猫かぶりなんかとは違う、きっと本心から生まれた笑顔を弾けさせる。
俺はてっきり、ハーレムラブコメという枠組みの中で彼女を幸せにするには月代以上に自分を好きになってもらうしかないと思い込んでいた。だけどそれではあくまで最良のハッピーエンド止まりだ。俺ではどんなに頑張っても、彼女のこの笑顔は引き出せなかっただろう。
詩帆の強い想いが、封鎖されていたはずの最高のハッピーエンドへのルートを抉じ開けた。
「ねぇ、千博! ねぇってば!」
なんて感慨に耽っていたら、月代とイチャついていたはずの詩帆が俺の前に立っていた。
こんなとこで何やってんだよ? やっと念願叶ったんだぞ。もっと堪能してこいって。
「はい! これ! べ、別に千博のために作ってきたわけじゃないんだから!」
「それは無理があるでしょ、福豆さん」
「月代くんは黙ってて!」
詩帆が差し出してきた透明な袋の中からは、香ばしくて甘い匂いが漏れ出している。そして匂いの発信源である綺麗なクリーム色のこれはもしや、クッキー?
「いいから早く受け取って! 日付変わっちゃうから!」
そういえば今日、八月二六日って。
ようやく自分自身の設定を思い出した俺に、詩帆は月代に向けるそれの八割ぐらいの、つまりは見惚れるほどに魅力的な笑顔を見せた。
「千博。一七歳の誕生日おめでとう」




