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それからしばらくして。
ある夜。
司が珍しく屋敷へ帰ってきた。
酷く酔っていた。
「……夏希?」
「司さん?」
司は酔っていて。
目の前にいる夏希を愛人の一人と勘違いしていた。
その夜。
二人は初めて、夫婦として一夜を過ごした。
けれど翌朝。
司には、その夜の記憶がほとんど残っていなかった。
「……俺、昨日帰ってきたのか?」
「うん」
「何かあった?」
夏希は司を見つめた。
そして。
「……何も」
そう答えた。
数週間後。
夏希は自分の身体に変化を感じた。
夏希は一人で産婦人科を訪れた。
「妊娠しています」
医師の言葉を聞いた瞬間。
夏希は胸元を押さえた。
「……私が?」
夏希は言葉を失った。
十年間。
一度も夫婦として触れ合うことがなかった。
それなのに。
たった一度。
その一度だけで。
自分のお腹には、司との子どもがいた。
嬉しかった。
すぐに恐怖へ変わった。
愛人たちはどうするだろう。
「正妻の子どもだから」と。
自分たちの子どもの立場を守るために、この子を利用するかもしれない。
そして。
司自身はどうする?
十年間、自分を愛さなかった男。
自分の存在すら疎ましく思っている男。
そんな司が。
この子を本当に愛してくれる保証なんてない。
「……駄目」
夏希はお腹に手を当てた。
「この子だけは、誰にも傷つけさせない」
それから。
夏希は誰にも妊娠を告げなかった。
家族にも。
使用人にも。
そして。
司にも。
海外にいる司から連絡が来ても。
いつも通りに返した。
『体調は大丈夫か』
『はい。大丈夫です』
本当は。
毎日、吐き気に苦しんでいた。
それでも。
司には何も言わなかった。
数ヶ月後、司がまた海外出張に出た。
夏希は出産の日を迎えた。
「頑張ってください!」
産声が響く。
「……女の子です」
小さな赤ちゃんが胸元に置かれる。
夏希は涙を流した。
「……可愛い」
小さな手を握る。
「あなたは、私が守る」
その子に。
『美桜』
という名前をつけた。
司には知らせなかった。
そして。
美桜を守るため。
夏希は決断する。
司と離婚する。
以前。
司が苛立ったように差し出した離婚届。
夏希にとっては。
司から「もう必要ない」と言われた証だった。
それでも。
今は、それを使うしかなかった。
夏希は自分の名前を書いた。
「……さようなら」
誰にも告げず。
美桜を抱いて家を出た。




