30 ビビの過去
ミオにイヤーカフをつけたビビは、そっと公園の木の上で二人の様子を眺めていた。
「ふふ。ネロの奴、焦ってるなぁ。はてさて、これからが楽しみだ」
そういうと、魔方陣を描くことなく、ふいっと姿を消した。
ビビは、いわゆる私生児だ。美しい銀髪と青い瞳は、母親の物ではなく、父親が上位貴族であることを連想させる。しかし、物心ついた時、ビビが暮らしていたのは、場末の酒場の隣にある小さな長屋だった。母親は夜の仕事に出ていて、昼間はほとんどの時間眠っている。微かに祖母に世話をしてもらっていたような気もするが、あまりに幼く、記憶はあいまいだ。ただ、大人たちが自分の押し付け合いをしていた事だけは理解していた。
そんなビビに強烈な印象を与えた事件があった。母親と一緒に店に行って母の仕事中は奥の控室で遊んで待っていた頃だ。とてもこんな店に来るようには見えない上質なスーツを着た男が母を訪ねてやってきたのだ。そして、しばらくもめていたようだったが、結局男は疲れた後ろ姿のまま帰って行った。母親はすっかり浮かれた様子で、その日はいつも食べさせてもらえないようなまともな食事を与えられたのだ。
「あんたを産んでおいてよかったよ。ふふふ」
その時、ビビは3歳とは思えない冷静な目でその一部始終を観察していた。元より母親に愛情を求めることはなかったビビだ。“この女は自分を盾にして、あのお金持ちからお金を受け取ることに成功したんだ”そう思う様になってしまった。
ビビはその見た目の良さで周りの大人に可愛がられ、母親の仕事仲間が、お土産と称して持参する食べ物で生きながらえていた。そのうち、上目遣いでおねだりしたり、他の女性より素晴らしいと囁くと、望みの物を持って来てくれると分かると、店の女性たちを思うままに動かして、欲しいものを手に入れるようになっていった。そんなある日、ビビに、母親の仕事仲間のダイアナが声をかけたのだ。
「アンタ、こんなところで燻ってちゃだめだよ。私と一緒においで」
たった3つや4つの幼子が、飲んだくれの母親とまともな生活ができていることに、母親を始め周りの大人たちがあまりにも頓着していなかった。ダイアナはそれに気づいて、ビビの外見だけでない何かに気が付いたのだ。その日、ダイアナは酔って寝つぶれている母親のすぐそばで魔方陣を描いて、大胆にもその場からビビを連れ去ったのだ。
行先は凍土の森。そこで、まずは規則正しい生活を叩き込まれることになった。凍土の森でも、見眼麗しいビビは随分と可愛がられていた。10歳になる頃には、女性の見栄や下心を利用して、好き放題するようになり、オーリーに厳しく指導されたりしていた。そんな時に現れたのがネロだった。子どものいない凍土の森にやってきた同じ年の少年と仲良くなるのに時間はかからなかった。ネロはビビの様に意識せずに魔法を使うことはできない。でも、自分の持つ力をしっかりと身に着けたいという強い意志を持っていた。見る見るうちに才能を発揮するネロは、ビビにいい刺激を与えていた。一緒に学んで、一緒に遊んで、一緒に悪さをして叱られて、二人は順調に成長していった。
「ねえ、見てよ。あの魔女、この前金持ちの男をだましたことがばれて、この森に引き戻されたんだよ」
「え? だますって、どうしてそんなことしたんだろう」
「はぁ、女なんてそんなもんだろ。美形の男と、金持ちが好きなんだよ。そこに地位なんてものがあれば大好物。見栄っ張りで、欲が深くて、いつも、より自分を輝かせてくれる男を探してるんだ」
さも当たり前のように話すビビに、ネロは驚愕するばかりだ。
「何を驚いてるんだよ。女って、そういう生き物じゃない。まぁ、そのおかげで僕は餓死せずにいられたんだけどね」
「…。俺は、女性にはいつも優しくしなさいって、母上から言われていた。見栄っ張り? 欲が深い? そういうの、分からないな」
それは、二人の育ってきた境遇の差がくっきりと出た瞬間だった。それでも、ビビにとってこの価値観の違いは、些末なことだった。自分を普通の友達として接してくれるネロと一緒に居られたらそれで充分だったのだ。
二人が13歳を迎える年、長老はそれぞれに師匠となる魔法使いをつけて、市井に送り出したのだ。ネロの師匠はジュリエット。ビビの師匠は彼を連れ出したダイアナだ。身長も伸び、すらりとした美丈夫に成長したビビを、周りの女たちが放ってはおかない。ダイアナがどんなに注意しても、ビビの持つ美貌と無意識に発している魅惑の魔法を止めることは出来なかった。そしてついには凍土の森に引き戻されることになったのだ。魅惑の魔法を封じられ、反省を促されても、何が悪かったのかなど、ビビには分からなかった。
聞こえてくるのは、同期のネロの活躍だ。市井に馴染み人助けをしながら、便利な魔道具を開発していると言う噂は凍土の森にも届いていた。便利な魔道具などと簡単に表現されるが、凍土の森にいるだけでは、何が便利なのかなど分かるはずもなかった。そして、20歳になった今、ネロは見習い魔法使いを育てているという。どんなにちやほやされていても、変化や刺激の無いこの森では成長することもできないと感じたビビは、真剣に魔法の技に取り組みだしたのだ。詠唱なしの魔法、魔方陣なしの転移、本気で挑むとそれは面白いほどに身に付いて行った。
そんなある日、懐かしい魔力を感じて凍土の森の端まで行ってみると、ネロが女の子を連れて馬車から下りてくるところだった。自分が森に閉じ込められている間に、どんどん力をつけた親友に、妬ましい気持ちが湧いてくる。
―アイツの弟子が女の子なら、簡単に自分に寝返らせることができる。場合によっては、僕の弟子にしてしまえるかもしれないなー
しばらく二人が歩いている様子を見ていたが、頃合いを見て、姿を現した。今まで自分の姿を見て見惚れない若い女性なんていなかった。とびっきりの笑顔で目の前に現れたらあっという間にとりこになるはず。かじかんだ手を暖めるように使い魔を飛ばすと、目を真ん丸にして驚いていた。そして颯爽と現れる。どう? 見惚れちゃうでしょ? すると、ネオまで負けじと使い魔でマフラーを飛ばしてきた。まあいいさ。先は長い。氷の滝の傍を通るなら、こちらの道が近道だ。ミオを誘って連れて行こうとすると、すぐにネロが引きはがす。あいつめ、僕に取られると思って焦ってるな。それからも、あの手この手で誘い出すが、ミオはこちらに見向きもしない。ちいさなアヒルの子みたいに、ネロの後を懸命に追いかけて行った。おかしいだろ。あんな田舎っぽい子が、僕になびかないなんて。
ビビがどんなにミオに構いに行っても、ミオはなびく様子を見せなかった。そのうち凍土の森に閉じ込められている詐欺師のばあさんに、笑われる始末だ。納得がいかないビビは、一層ミオに興味を持つのだった。
今朝の様子から、二人は両片思いというところか。女心が分からないネロは、ビビからするとまどろっこしく思える。さっさと誘惑して、自分の物にしちゃえばいいのにと。せっかく作ったお守り代わりのイヤーカフは、ネロが作った物なのに、ビビからもらったプレゼントだと思われている。さて、不器用なネロは、これをどう説明するんだろう。ジュリエットの家には、ダイアナも自分も招待されている。あの家でこれからどんな揉め事が起こるか、とても楽しみなビビだった。
つづく
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