28 素直になれなくて
離れまで帰ると、アンリが階段の前で待っていた。
「ミオ! おかえりなさい。無事にクリーブランド家には行けたの?」
「はい。ありがとうございました。あちらでは、ダーラさんが侍女として復帰していました。伯爵夫人も様子がおかしい事には気が付いておられたんですが、そのままダーラさんのやりたいようにさせてあげようということになりました。夫人からのお手紙をさっきセイジーさんにも渡してきたので、心配して集まっていた皆さんも帰られたところです」
「そう。案外それが一番いいのかもしれないわね。長旅、お疲れ様。それから、ジュリエットから手紙が来ているわ。これ、渡しておくわね」
ミオは、自分の事情を全部受け止めてくれるアンリの言葉に、ほっと肩の力が抜けるのを実感した。そうだ。自分は今日、がんばったんだ。魔法使いは人知れず善行を行うものと母からは聞いているが、それでもその頑張りを知っていてくれる人がいるのは幸せな事だ。
「次のお休みには、ジュリエットに会いに行くんでしょ? 私宛の手紙にはたのしみにしているって書いてあったわよ」
「あ…そ、そうなんです。ネロの仕事の都合次第なんだけど…」
歯切れの悪い返答に、アンリがじっと見つめてくる。居たたまれなくなったミオは、「おやすみなさい」とだけ言うと、さっさと階段を駆け上がってしまった。
ベッドにもぐりこんでからも、クリーブランド家から戻ってからのネロとのやり取りを思い出す。あの女の人は誰なのか、自分と一緒に母に会いに行くことを嬉しそうに同意してくれたのは、どうしてだったのか、いや、それよりも、自分の事をネロはどう思っているのか。傷つくのは嫌だけど、ちゃんと言葉にして教えてほしい。だけど…。「はぁ? 何勘違いしてるんだ、おまえは」なんて言葉は容易に想像できる。そう思うと面と向かって問いただせる気がしなかった。
同じころ、ネロは突然の訪問者に戸惑っていた。呼んだつもりはない。もちろん、居候を迎え入れる気もサラサラなかった。この訪問者にとって不幸だったのは、ダーラがいないことだった。そう、ダーラがいてくれたら、どこかに空き部屋を紹介することもできただろうに。
「で、おまえまさかここに居座るつもりか?」
「ええ、こんな時間なのに追い出すつもり? それ、ひどくないか? こんな時間に僕が夜道を歩いたら、女の子がいっぱい釣れちゃうよぉ」
銀髪をさらっと揺らして微笑むのはビビだ。クリーブランドの一件で、自由の身となったビビはさっそくネロを頼ってきたのだ。
「しかたなねぇな。今夜だけだぞ。明日になったら、誰かに部屋を紹介してもらえよ」
しぶしぶながら、一晩泊めることを許可したネロは、さっさとシャワーを浴びに行く。それを見送ったビビは、興味津々で部屋の中を見回し始めた。
「ネロの奴、あいかわらずの殺風景だな。彼女からのプレゼントとか、置いてないのかよ。ん?これは…」
「おい、その辺りのは商材だから触るなよ」
作業用のテーブルに手を伸ばしかけたビビは、慌てて手を引っ込めた。
「へぇ、アクセサリーショップもやってるんだ。魔道具の収入って、そんなに少ないのか」
「その言い方、おまえ、魔道具も作ってないのか? 今までどうやって暮らしてたんだ? 何もしないでフラフラしていたら、不信に思われるだろ…。あ~、おまえ、魔道具も作らないで女子に養ってもらってたな」
「いいじゃないか。だれも問い詰めて来なかったんだし」
「だけど、長老様には認めてもらえなかっただろ。人の役に立つ、それは女子の一時しのぎの癒しになることじゃない」
「あ~、分かった分かった。じゃ、シャワー借りるよ」
ビビはさっさとバスルームに逃げ込んだ。それを確かめると、ネロはそそくさとテーブルの上のイヤーカフを片付けた。複雑な模様を彫り込んだこのイヤーカフには魔石になる宝石は使われていない。しかし、特別な魔法を仕込んでいるのだ。ビビのような魔法使いなら、じっくり手に取ってみればどんなものが仕込まれているかばれてしまうところだった。
さっきは商材だと言ったが、これはミオと自分用に作った物。イヤーカフの小さな輪の内側には、敵意ある者から守ってくれる守護魔法を付与した石を埋め込む予定だ。今朝、伝手をたどってどうにか魔法付与をしてくれる魔法使いに辿り着いたところだ。だが、どういうわけか、ミオは急に機嫌を悪くしている。今までこんなことはなかったのに。まさか、ビビが余計なちょっかいを掛けたのだろうか。危なっかしくて子供っぽい弟子だと思っていたミオは、いつの間にか大切な存在に成りつつある。 この関係にビビを割り込ませたくはない。
数日が過ぎたある日、ミオはいつものように石畳を登ってのんびり亭へと向かっていた。明日はいよいよ実家に帰る日だ。あのままネロとはゆっくり話をしていない状態が続いている。店には来ていても、どうしても素直に話ができない。素直になれない自分を持て余していた。
「あら、この子は…」
美しい金髪の巻き毛を揺らして歩く女性が、すれ違いざまに言葉を発した。マーメイドスタイルのスカートが良く似合う大人の女性だ。振り向いたミオは、はっとして体を強張らせた。あの時、ネロと楽し気に話していた女性だ。近くにいると上品なバラの香りがする。女性はふっと笑顔を見せてミオに声をかけた。
「もうすぐビックリするようなことが起こるわよ。ふふ、楽しみだわ」
「え?」
女性は微笑みを浮かべたまま、石畳を下っていく。そう、ネロたちが住むシェアハウスに向かって。ミオは混乱した。とてもきれいな女性だが、なにか含みのある言い方で、素直には受け入れられない。その日、自分がどんな風に仕事をこなしたのか分からないまま、閉店の時間を迎えた。
「ミオ、今日はどうしたの? まるで上の空だったわよ」
「すみません」
アンリに注意されても、弁解のしようがなかった。
「明日は実家に帰るんでしょ? 疲れもたまってるでしょうから、ゆっくりしてらっしゃい。ジュリエットによろしくね」
深く詮索しないアンリに申し訳ない気持ちになりながら、石畳を下るミオだった。するとふいに華やかな笑い声が聞こえ、うつむいていた顔を上げたミオは、今朝の女性とネロが話しながらこちらに向かっているのを目撃した。微かに顔が赤くなっているネロは照れ臭そうで、ミオが見たことの無い様子だった。ミオは二人が気づいていないのをいいことに、そっと踵を返して、近くの路地に逃げ込むと、教会の屋根に飛び立った。
教会の屋根は、今日も見晴らしが良い。この景色も、そよぐ風も大好きだったはずなのに、今は何も感じられない。ミオは一人膝を抱えて座り込むと、この街に来てからの事を思い返した。今の自分は、実家に堂々と帰ってもいいのだろうか。夕陽が沈んでいくと、青かった空はオレンジへと変わり、気が付いたら深い紺色へと変わりつつあった。
ツンっと頭をつつかれて顔を上げると、空はすっかり星空に変わっていた。風は湿り気を帯び肌寒い。気が付くと、肩から上着が掛けられていた。
「こんなところで寝る奴があるか。風邪ひくだろ」
「ネロ…どうしてここに?」
「店に行ったら入れ違いで帰った後だったし、マスターんちにも帰ってなかっただろ。明日の時間も決めてなかったから、きっとここだと思ったんだ。今日はこれを渡したくて…」
呆れた様に言う姿をちらっと見ただけで、ミオは視線を落とす。
「明日、本当に行くの? 師匠として、ここまで育てました、すごいでしょって? お母さんはキッと褒めてくれるわ。ネロ、よくやったわってね」
「おい、何を拗ねてるんだ。もちろんミオがここまで成長した姿も見せたいと思っているけど、それだけじゃないだろ。二人の事もちゃんと見てもらおうと思ってる」
「二人の事? それって誰の事? あの金髪のお姉さんまで連れて行くの?」
「はぁ? 金髪? なんのことだよ」
「もういい!」
ミオは堪らなくなってその場から飛び出して行った。
「おい、待てよ」
慌てて追いかけるネロは、ポケットから小さなアクセサリーケースが落ちてしまったことに気が付かなかった。
つづく
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