23 治癒魔法
いつもの教会の屋根に、ぼんやり寝転ぶネロの姿があった。あの少女は、無事に生家に戻り、今回の事件から、王弟陛下の商会が何かしら関わっているのではないかと言う意見も出ていたが、しばらくは静観することになったという。そこまで来たら、あとは凍土の森にいる手練れに任せるしかないのだ。
「あ~、お前だったのか。おい、ネロ。誤解なんだ。助けてくれよ…」
頭の中であの時の情けない顔の兄を思い出す。実の兄を助けないという事は、案外心に大きな重しとなっている。自分が凍土の森に行くよりずっと前に家を飛び出した兄だ。そして、長兄エリオットには、もうウィリアムの事は忘れろと何度も言われながらも、その無事を祈り続ける母がいる。
「おまえはどうしたい?」
それは、実行犯がウィリアムだと分かった時点で、オーリーに掛けられた言葉だ。その時の自分に迷いはなかった。どんなにかわいがってくれた兄だとしても、犯罪は犯罪だ。それを見逃す気持ちなど、微塵もなかった。だけどこんなに気持ちが沈むのは、どうしてだろう。ネロは、もやもやした気持ちを吐き出すように、大きく息をした。
「ネロ! もう凍土のお仕事は終わったの?」
嬉しそうにやってきたのはミオだ。
「ああ、あとはオーリー達がやってくれる。さすがに王族相手になると、長老が出ていくことになるだろうな」
「王族? そんなことになってたの?」
ミオは、事件の全容を知らない。それは長老の采配だ。年若い見習い魔法使いには、荷が重いだろうとのことだった。何も知らないミオは、ブレンダを助けられたことで少し自信をつけたようだった。練習していた治癒魔法を実践するんだと意気込んでいる。
「今日、病院に行くのか?」
「そう、これからね」
やる気に満ちて、鼻息の荒いミオを見ていると、思わず笑ってしまう。
「そうか。がんばって来いよ。一度に治せなくても、少しずつ症状を軽減出来たらそれでいいんだ」
「…そっか。私、一度に治すんだと思っていたけど、それならちょっと気が楽になる。ケビンのお母さん、お父さんが亡くなってから、ずっと働き詰めだったって言うから、早く元気になってほしいんだ。ありがとう! 行ってきます」
コロコロ表情の変わる黒曜石のような瞳が、輝いている。弾むように空に飛びあがると、ミオはすぐさま病院に向かって飛び立った。それを見送ったネロは、ふと、自分も母親に会いに行こうと思い立った。父が亡くなって以来、ずっと苦労してきたのは自分の母親も同じだった。ウィリアムは牢屋に入っているが、生きている。それだけでも知らせてやりたい。教会の屋根を飛び立つ頃には、ネロのモヤモヤもすっかり晴れていた。
ミオは、ケビンの母親の滞在する病院にやってきた。そっと病院の裏手に降りると、お見舞いのお花を持って、病院の入り口に回った。この時間、ケビンは補習を受けるために学校にいるはずだ。そっと目当ての病室のドアをノックすると、中から返事が聞こえた。
「こんにちは。あの、私、のんびり亭で働いているミオと言います」
「まぁ、あなたがミオちゃんなのね。息子が仲良くしてもらってるようで、ありがとう。こんな情けない姿でごめんなさいね」
ケビンの母が起き上がろうとするのを、ミオが慌てて止めた。
「あの子、ご迷惑をかけてるんでしょ? 私が倒れてから、ずっと学校とバイトで、ふらふらになって、あたり構わず当たり散らしていたから。ごめんなさいね」
「いえ、そんなことは…。きっとケビンも疲れが溜まってしまったんですよ。あ、この花瓶、お借りしますね」
そういうと、そっと花瓶を持って洗面所に向かった。花瓶に水を入れて花を生けると、そっと魔法を掛ける。ゆっくりと眠れる魔法だ。それを病室に飾ると、きれいなお花ねと言いながら、ケビンの母親がゆったりと眠りに落ちた。
「よし、がんばるぞ」
ミオは手のひらに魔力を集中させると、ケビンの母親の回復を祈ってその力を注ぎこんだ。ふわっと柔らかな光を放って母親の体を包み込むと、ゆるやかに光が消えていく。
「今日はこんなもんかな。明日も来ますね。お大事に」
穏やかな寝息を立てている母親に声を掛けると、病室の扉に手を掛けた。それと同時にガチャっと音を立てて、ケビンが部屋に入ってきた。
「おい、こんなところで何をしている? 今、何か光ってたみたいだけど」
「ケビン! お、お帰り。気になってお見舞いに来たんだけど、お休みになったから、帰ろうと思ってたんだ。でも、会えてよかった。これ、マスターから。今日のパンだって。それから、少し落ち着いたら、顔出してくれって」
「ああ、ありがとう」
「じゃあね。ケビンもちゃんと食べないとダメだよ」
そう言いながら帰って行く同僚を見送って、ケビンが病室に目を向けると、いつもより少し顔色のいい母の姿があった。
「さっきの光は何だったんだ?」
首をかしげながらベッドの傍の椅子に座ると、ふうっと大きなため息が出た。マスターに断られてから、新聞配達と牛乳配達の仕事を掛け持ちしてなんとか暮らしている状態だ。ケビンが若いと言えども、きつい仕事だった。学校では補習を受けているが、周りの皆からどんどん遅れている自覚もある。ミオが言う様にもう一度、店に顔を出してもいいのだろうか。
「あら、あの子はもう帰ったの?」
「母さん、目が覚めたんだね」
ケビンは極力明るく答えた。
「申し訳なかったわ。お見舞いに来てくれたのに、いつの間にか寝てしまってね。明るくていい子よね。のんびり亭で働いている子なのね」
「そうだよ。俺の後輩。初めのうちは危なっかしかったけど、真面目だし、よくがんばってるよ」
母親は、「そう」と答えながら、嬉しそうな顔になった。
「な、なんだよ。変な顔して」
「あら、そんな顔してた? 貴方の周りに優しい人がいてくれて、母さん嬉しいのよ。学校にはちゃんと行ってるの?」
「ああ、行ってる。そんな心配しなくていいよ。それより、姉さんに入院の事伝えなくていいのか?」
ケビンは、ミオにお守りアクセサリーを買う時に手助けしてもらった手前、母親のことを黙っているのが辛いのだ。
「もう、心配かけないでやって。あの子はあの子でがんばってるんでしょうし。さぁ、貴方も早く帰りなさい。明日も学校があるでしょ?」
「ああ、分かった。じゃあ、また来るよ」
笑顔で病室を出たケビンだったが、廊下を歩く姿には疲れが見えていた。
つづく
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