20 初めての仕事
その日、ミオは落ち着かない気持ちで一日をやり過ごしていた。出勤してきたら、店の前でネロが待っていたのだ。
「話がある。仕事が終わったら、いつものところで待ってる」
話ってなんだろう。この前は急に抱きしめられたけど、やっぱり告白? いや、あれはネロが疲れていただけよね。まさか、…そんなわけないよね。
ミオの心の中で、微かな期待と、期待しすぎてがっかりするかもしれないと言う不安がグルグルと回っていた。
「今日もがんばったな。お疲れ」
店を出るとき、ちょうど通りかかったマスターが声をかけた。
「あ、そうだ。ミオ、今から時間あるか? アンリがケビンのおふくろさんのお見舞いに行くそうなんだが…」
「えっと、すみません。今日は友達と約束があって…」
「そうか、じゃあ仕方ないな。気を付けて行っておいで」
マスターに見送られて石畳をしばらく行くと、そっと路地を通り抜けて、箒に飛び乗った。いつもの教会の屋根には、すでに人影が見える。ミオは心臓がドキドキするのを抑えて、大きく息を吐くと、できるだけいつものように元気に声を掛けた。
「ネロ、お待たせ」
「ああ、お疲れ。今日は頼みたいことがあるんだ。これは、長老からの初めての依頼だ」
「え? 長老様からの?」
「そうだ。あの少女を無理強いせずにあの穴倉から連れ出してほしいとのことだ」
拍子抜けしてぽかんとしていると、ネロが咳払いをして説明を始めた。
あの少女を連れ出す、それは想像以上に難しい仕事だった。ミオが最初にしたことは、少女のねぐらに山の果物を置くことだった。あの穴倉から少し離れた場所にきれいな葉っぱを広げて、ヤマモモやアケビを置いてみた。しかし、少女がそれに手を出した様子はなかった。二日もすれば、野生の動物や虫がそれぞれの餌にしてしまう。クルミを置いたり栗を香ばしく焼いてみたりもしたが、少女は気にする様子もなかった。そこで、今度は毛布を穴倉の近くに置いてみた。朝晩の移動に使えるようにケープ状になった物だ。翌日、その毛布がなくなっているのを見て、ミオは小躍りして喜んだ。だが、何日かが過ぎたが、状況は変わらなかった。その日は久しぶりの大雨で、果物を運ぶのを諦めかけていた。教会の屋根からぼんやりと山を眺めていると、こんな日でも小さな光がゆるゆると山肌を進んでいくのが見える。
―こんなお天気なのに、どうして?-
自分の運ぶ食べ物にはまったく手を付けない少女が、それでも雨の中を行く姿に、ミオは思わず追いかけようとした。しかし、それはネロに止められてしまった。
「ダメだ。深追いして逃げられたら、もう助ける手段がなくなる。一度作戦を練りなおそう」
「だけど…」
唇を噛み締めて、小さな光を見送るしかなかった。
翌日は天気も回復した。ミオはふと思い立って、お守りのイヤリングをつけて少女の元に向かった。ケビンにもらった物だけど、今は彼女を守りたい。山ぶどうをかごに入れ、いつもの山肌に向かったミオは、キレイは葉っぱを見繕ってその上に山ぶどうを並べていた。すると、何か嫌な視線がこちらの向けられている気がして振り向いた。そして、思わず体が硬直してしまう。イノシシだ。間合いを詰めるようにじわじわと近づいている。逃げなくては。そう思うのに、身体が思う様に動かない。そっと後ろに足を引いた時、ミオの足はぬかるんだ斜面を滑り、勢いのまま体ごと滑り落ちてしまった。
日が落ち、辺りが暗くなってきた。少女は、いつものように穴倉から這い出し、獣道を行く。最近、自分以外の人間がこの辺りに来ていることは分かっていた。甘い匂いの果物や木の実が置いてあるが、自分の手でもいだものしか食べてはいけないときつく言われているので、見ないふりをしてきた。それでも、老婆と若い男と、「サギョウバ」の女以外にも人がいることに興味がないわけではない。もしかしたら、「サギョウバ」に来ていた他の子どもかもしれないし、夢の中で自分を呼ぶ子どもなのかもしれない。いつか、機会があったら会ってみたいと思っていた。
しばらく歩いていると、異変に気が付いた。何者かが獣道を滑り落ちた形跡があったのだ。そしてその近くに、見覚えのある赤い宝石が一つ、落ちていたのだ。
―これは、自分が魔力を込めた物。身に着けている人物の身を守る魔法付与をしたものだー
そっと獣道から下を覗き込むと、枯葉に紛れて人が倒れているのが見えた。少女は一瞬迷ったものの、相手はどうやら意識を失っていると分かって、そっと近づいてみた。若い女の子だと分かると、少し緊張がゆるんだ。経験上、濡れたままで今からの時間に外にいるのは危険だと知っている。少女は穴倉に戻って毛布を持って来ると、そっと女の子に掛けて自分はいつも通り「サギョウバ」へと向かった。
夜になってもミオが帰って来ないとアンリから連絡をもらったネロは、大慌てで教会の屋根まで飛んでいった。辺りはすっかり暗くなって、山中にいるミオを探すのは至難の業だ。それでも、ネロはあの獣道を目指して山へと向かっていった。
「ミオ! どこだ、ミオ!」
真っ暗な山の中で、ネロの声だけが響いた。足元はまだ雨水を含んでぬかるんでいる。その時、ふと、前に木の根に躓いて転んだミオを思い出した。
「まさかこの山を滑り落ちたのか?」
背中がつーんと冷たくなる。ネロはあたり構わずミオの名を呼びながら探し回った。そして、自分も足を滑らせて滑り落ち、目の前に見覚えのある毛布が広がっているのを見つけた。枯葉だらけの体をそのままに、急いで毛布に近づくと、その下で気を失ったままのミオを見つけた。
「ミオ! しっかりしろ! ここじゃまずいな」
ネロはすぐさま魔法陣を展開してミオを教会の屋根まで連れ戻した。
「ミオ! ミオ、しっかりしろ」
どのぐらい時間が経ったのか分からないが、ミオの体は冷え切っていた。ネロは、すぐさま魔法で温風を出し、絡みついた枯葉を飛ばしながら、ミオの体を暖めた。青白かった頬が、ほのかに明るくなったころ、やっとミオが意識を取り戻した。手紙鳥でアンリに事情を連絡して、朦朧としたまままだうまく動けないミオを抱き上げると、ネロはそのままミオの部屋まで転移した。
部屋を暖め、服を着替えさせてベッドに寝かせると、ネロは改めてアンリに向き直った。
「アンリさん、俺が付いていながらすみません」
「なにか事情があったんでしょ。だけど、この子は真面目過ぎるところがあるから、充分に気を付けてあげてね。暖かいスープを作って来るわ。貴方も飲むでしょ?」
「ありがとうございます」
アンリは、親友から愚痴を聞かされていたこのやんちゃな親友の弟子が、随分と大人になっていることを微笑ましく思っていた。
―ジュリエット、貴方の弟子はがんばってるわよ。自分の弟子を労わる姿は、貴方にそっくりねー
温かいスープを持って来ると、すでにミオは意識もしっかりとなって、ネロと話をしているところだった。魔法使いの話は、極秘事項も多い。アンリはスープを渡すと、二人の邪魔をしないようにすぐに部屋を出た。温かなスープで体がほっとほぐれてくると、やっとミオも話ができるまで回復してきた。
「迷惑かけて、ごめんなさい。イノシシに遭遇して慌ててしまって、足を滑らせたの。あー、せっかくお守りのイヤリングをつけていたのに…。あ、あれ? イヤリングが一つない! 滑り落ちた時、落としたのかな」
「いつもの獣道からだと、だいぶ下まで滑っていたからな。途中で落としたんだろう。でも、大した怪我でなくて良かった。それより、あの毛布はどうしたんだ?」
「え? 毛布?」
思いがけない言葉にキョトンとするミオをしり目に、ネロは現場の事を思い出した。ミオには覚えがなくとも、間違いなく毛布はミオの体を冷やさないようにと掛けられていたのだ。あんな山の中で、毛布がそう都合よく落ちているはずもない。
「そういえば、少し冷え込んできた頃に、穴倉の手前に毛布を置いてきたわ。少しでも暖かくしてもらおうと思って。次の日には無くなっていたから、使ってくれたのかと思っていたけど、どこかに落ちていたのかな」
「いや、そうじゃないだろう。明らかにミオに掛けられていたんだ」
「それじゃあ…。もう一度、あの子のところに行ってみたい」
起き上がろうとするミオを押しとどめて、ネロは考えを巡らせた。
「しっかり休んでからだ。あの子はきっと、もうお前の存在を知っている。それなら、ちゃんと元気になって、会いに行けばいい」
つづく
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