18 山の中の少女
「もっと魔力を掌に集中させろ。まだ足りない」
「はい」
「そうだ。このタイミングで、この枯れた花に治癒魔法を掛けてみろ」
「あ!」
来る日も来る日も、ネロはミオに治癒魔法を教え込んだ。そのおかげで、枯れた花を甦らせたり、切り傷ややけどを治せるようになってきたのだ。ミオは、ピンと花びらを伸ばして復活した花を見て、思わず飛び上がって喜んだ。その瞬間に目の端に飛び込んだ何かに、動きを止める。
「どうした?」
「今、山の方で何か光った気がする」
「どこだ?」
二人は光の元を確かめるべく、すぐさま教会の屋根を飛び立った。山の斜面に近づいたところで、ネロがそっとミオを止める。
「これ以上近づくと、気づかれる。このまま様子を伺おう」
気配を消してじっと目を凝らしていると、雑木林の中を歩く何かが見て取れた。よく見るとそれが幼い少女だと分かった。歩みは遅いが歩く先には、迷いがない。目を凝らすと、少女の歩いた後には、ささやかだが獣道らしきものが出来上がっていた。
―もしかして、この子がネロの話していた双子の片割れ?―
箒を握るミオの手に力が籠った。想像していたイメージと違いすぎる。ボロボロの服に皮脂や汚れで練り固まった汚れた髪。遠くから見ても分かるほど、覇気のない様子は、まるで老婆のようだった。
二人が気配を消して見守る中、少女はもくもくと歩き、山の向こう側へと進んでいった。そして、不意にその姿が見えなくなったのだ。ネロは、すぐにその現場に向い、山の斜面に降り立った。続いて降り立ったミオは、急な斜面に転がりそうになりながらもなんとか体制を立て直す。
「おい、見ろよ」
ネロが落ち葉で折り重なった場所にそっと手を入れると、その内側には扉が設えられていたのだ。そっと扉を開けると、中は真っ暗で人の気配すらなかった。しばらく考えていたネロは、扉を慎重に閉めると、ミオに合図して、そっとその場を離れた。
「そろそろ暗くなってきたな。今日はこのまま帰ろうか」
「ねえ、もしかして、さっきの子がクリーブランドの双子の片割れ? さっきの獣道を辿れば、住んでる場所が分かるんじゃないかな。明日はお休みだから、まだいけるよ」
「ん~、じゃあ、ちょっと行ってみるか」
ネロはろうそくの炎程度の明かりを掌に浮かべると、先ほど少女が歩いてきたささやかな獣道を伝って歩き出した。すると、すぐにドタッという音がして振り返る。
「イタタ。木の根っこが飛び出してたみたい。平気、平気」
スカートについた枯葉を払いながら、ミオが苦笑いする。すると、その手を大きな手がガシっと掴んできた。
「しかたねぇな。気をつけろよ」
驚きで言葉の出ないミオをそのままに、ネロは再び歩き出した。先ほど見た少女の様子からあれはクリーブランドのブレンダではないかとブツブツ思考を巡らすネロだったが、ミオの頭にはそんな言葉も入って来ない。ただ、自分の小さな手を包み込むように繋がれた大きな手にドキドキが止まらないのだ。長い指に少し節が目立つその手は、大人の男性のモノだ。
その時、ふいに足を止めたネロにぶつかりそうになったミオは、ネロが凝視している小ぶりな穴倉に気が付いて息をのんだ。獣が巣を作っているかのようなそれは、、たくさんの枯葉が詰められていた。慎重に枯葉をどかせると思いのほか奥が深く、大人でもかがんで入れるぐらいの高さがあった。そこにはしおれた雑草が敷き詰められ、かじりかけの木の実が転がっていて人がいた気配がしていた。
「こんなところで…」
それきり言葉が出なかった。
「ミオ、一旦帰ろう。おまえも疲れただろ」
見ているのが辛くなるようなその場所に、ミオを連れて来るのではなかったとネロは唇を噛み締めた。だが、ミオの目は、涙をあふれさせながらも穴倉からそらされることはなかった。
「ねえ、ネロ。私、あの子をなんとかしてあげたい。私たちに出来ることってないのかな」
「そうだな。長老に相談してくるよ」
言葉少なに言うと、ネロは魔法陣を描いてミオを連れて元の教会の屋根に転移していった。
翌朝、まだ朝日が昇る前に、少女は元来た道を寝床へと歩いていた。早朝の山は朝もやに包まれ、乾燥しきった肌に心地いい。穴倉まで帰ってくると、不意に足を止めた。
―いつもと違うー
少女は、慎重に、しかし微かな期待を胸に、枯葉をどかしてねぐらが荒らされていないか確かめた。しかし、そこで何もされていないと分かると、大きく息を吐いて穴倉に身を沈めた。やはりあれは気のせいだったのか。夢うつつに誰かが自分に語り掛けていたのを感じた。あの老婆や男とは全く違う、祈るような男の子の声だった。
外は日が昇り、昼間の気配が始まった。草木のメキメキと新芽を出す音、風に揺れる枝葉の音、動物が素早く地面を蹴る音、もうすっかりおなじみの音だ。それを子守歌に少女は目を閉じる。今日も魔力をたくさん使った。自分の物にはならないけれど、きれいな赤い石や青い石に、言われた通りの願いを込めるのだ。それさえすれば、食べ物にありつける。そのことに辛いとか悲しいという感情はなかった。眠りに落ちる寸前、誰かが呼んでいる声が聞こえた気がしたが、疲れ果てた体はもう瞼を上げることを許してはくれなかった。
少女は、自分の名前を知らない。物心ついたころには、どこかの山小屋で老婆と二人で暮らしていた。不愛想なその老婆は、決して少女を可愛がろうとはしなかった。最低限の食事と排泄の仕方を言葉少なに躾け、時には手を上げて少女を家畜のように扱って育てたのだ。
少女の知っている世界にあるのは、「食べる」「トイレ」「汚い」「うるさい」などの短い言葉と、山の中の自然の営みだけ。人間は、その老婆と時折様子を見に来る若い男の二人だけだ。ところがある日、若い男が甘い匂いのする包みをもってきた。
「なんだい、気持ち悪いねぇ。こんな土産を持って来るなんて」
「ああ、こいつの世話もそろそろ終わりだからな」
他にも裏がありそうだと言いながら一口かじった老婆が急に苦しみだし、地面を這いまわって恨めし気な言葉を残し、やがて動かなくなった。
「若造め、謀ったな。孫を人質にしてこんな獣の世話を押し付けやがって…。あの子は、あの子は無事なんだろうね…。うぐぐ…」
「やっとくたばったか。おまえも死にたくなかったら、言うことを聞くんだな」
目を見開いて事の次第を見ていた少女は、それまで“えさを運んでいた者”が倒れ込み、もがき苦しんだ末に動かなくなっていくのを、まるで薬剤を掛けられた芋虫のようだと思いながら見つめていた。そこに、悲しみや絶望を抱く心はなかった。男はふいに、少女を荷物の様に抱えて、山小屋から連れ出したのだ。
日が沈み始める頃、少女はいつものように穴倉で目を覚ました。周りに人の気配がないのを確かめると、掌にポッと小さな明かりを灯す。山小屋から連れ出され、連れていかれたのは、今ではすっかり慣れ親しんだ「サギョウバ」だ。そこで、光の作り方や魔力の込め方を教えられたのだ。自分以外にも、同じように教えられている子供が何人かいたが、言葉を知らない少女には、声の掛けようもなかった。それも、一人、また一人と倒れてはどこかに運び出されていった。そんな遠くもない過去の事をふいに思い出して、ふうっとため息をついた。今の彼女にとって、サギョウバで仕事をすることは、生活の糧を得ることにほかならない。たとえそれがたった7歳の子どもの身に起こっているとしても。
つづく
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