10 オールドリッチという街
みんなが花屋を出て帰って行く中、ネロがこそっとミオに声を掛けた。
「例の奴、どこで売ってるか分かったか?」
「うん、この山の向こうのオールドリッチってところなんだって」
「オールドリッチか…」
ネロは山の向こう側にあるであろう街を思い浮かべて、微かに目を細めた。その名前には聞き覚えがある。幼かったネロをとてもかわいがってくれた兄が住んでいるのだ。ネロが修行に出る頃、急に人が変わったように粗暴になって、飛び出す様に独立して行った兄。それ以来交流がなく、なんとなく住んでいる街は分かったが、正確な住所は分からないままになっていた。
それからは、時々不可思議な服装で歩くダーラを見かけることはあるが、大きな問題もなく、日々が過ぎていた。日曜日は、朝の早いうちにやってきて公園に近い窓に腰を下ろすダーラに、モーニングセットを出すのがケビンの役割になっていた。
「おはよう、ケビン。今日もいいお天気ね。公園のバラがそろそろ見ごろなのよ。今日も忙しくなりそうね」
「そっか、だから最近女性客が多いんだな」
会話だけ聞いていれば、何の問題もないが、ダーラはパジャマのままだ。それでもだれも咎めないのは、ダーラのために少しだけ早めに店を開けているからだ。食事を済ませると、ダーラはご機嫌で帰って行く。最近は、そんなダーラを見守る街の人たちまでその時間にモーニングを食べにくるので、店は大助かりだった。
「そう言えば、最近ネロを見かけないけど、どうしているのかしらね」
「なんでも、用事があるから実家に行くって…」
ダーラが首をかしげていると、ミオがそれに答えた。
「なんでおまえがそんなこと知ってるんだよ」
後ろから来たケビンが、眉をしかめている。
「仕事帰りに見かけたときに、そんなことを言ってたんだもん」
「わざわざミオにそんなことを言う必要ないじゃないか」
「え~、どうしてケビンが不機嫌になってるのよ」
そんな二人のやりとりを見て、ダーラやアンリが楽し気に笑った。
その頃ネロは、オールドリッチの街を歩いていた。この街には以前にも来たことがある。それは、家出した兄が住んでいると聞いて探しに来たときだ。ネロには二人の兄がいる、長兄エリオットは、魔法は使えないが、魔力は十分にあり、魔法科を卒業している。ところが、次兄ウィリアムは魔力が極めて少なかった。それでも両親は三人を同じように扱ってきたはずだった。しかし、負い目を感じているウィリアムには、そうは映らなかったようだ。まだネロが幼かった頃、家族5人で出かけていた馬車が横転する事故が起こり、父親はエリオットを助ける代わりに自分が下敷きになって亡くなった。母親はネロを抱きとめ、なんとか難を逃れた。ところが、その時、両親の手が届かなかったウィリアムは、片腕を馬車に轢かれ失うことになってしまったのだ。残った母親がウィリアムの治療に多額の治療費をかけて義手を作ってもらったが、ウィリアムは心を閉ざしてしまった。それ以来、ウィリアムは家族と交流することを拒み続け、ついには家を出てしまった。
過去を振り返ったところで、どうすることもできない。ただ、あの頃は幼くて、なにもできなかったが、今なら。そんな想いが胸をよぎった。あの赤いしずく型のイヤリングに込められた悲し気な何かが、どうしても兄ウィリアムを思い浮かばせるのだ。
「なんだか、雰囲気が違うな」
この街は、ネロやミオが住んでいる街とさほど変わりない大きさで、以前来た時は静かでのどかな雰囲気だった。ところが今は、通りのあちこちにしゃれたカフェや土産物屋ができ、人の往来も途切れない。それに、若い女性が多かった。やはり例のお守りの人気の影響なのだろう。
少し歩いた先に、のんびり日向ぼっこをしているおじいさんを見つけると、ネロはすぐさま歩み寄ってお守りの販売先を尋ねた。
「ああ、それなら、その先の路地を曲がったところだよ。アンタも買いに来たのかい? こんな時間じゃもう売り切れてるよ。朝のうちの来ないとダメだね」
おじいさんは呆れた様に言うと、お疲れさんっと労った。ネロは「そうかぁ」と残念そうに答えながらも、言われた路地を曲がった。その時、わーっと歓声が上がって、建物の中からしゃれたスーツに身を包んだ男が現われた。その男は、取り囲む女性たちににこやかに手を振ると待たせていた馬車に乗り込んで行ってしまった。
「あ~、今日も買えなかったわ。だけど、ウィリアム様のご尊顔を拝めるなんて、幸運だわ」
「あの銀の腕、お父様を助けようとして負ってしまったんでしょ? それですら素敵!」
「ホントよね。あれだけの魔力を込めたお守りを作るのに、全然疲れていらっしゃる様子がないわ。どれほどの魔力を持ってらっしゃるのかしら」
女性たちの興奮した空気に当てられながら、ネロは茫然と立ち尽くしていた。
―あれは、誰だ。―
ネロの中の兄は、あんな自信に満ちた顔をしていなかった。いつも拗ねたように誰とも目を合わさない人だった。しかもさっきの女性たちの話では、この店のオーナーのようだ。
ネロは、そっと建物の様子を伺ったが、中のショーウィンドウは空になり、申し訳なさそうに従業員が売り切れの札を出しているところだった。オールドリッチの地名を聞いた時、最初に頭に浮かんだのは兄ウィリアムだ。悲し気な雰囲気を持つ魔力も、兄を彷彿とさせるものだった。だが、実際の兄は、どうやら順風満帆の暮らしをしているように見える。女性たちの話を聞いていると、違和感を覚えるばかりだが、ここでこれ以上聞き込みすることはなさそうだ。ネロは誰にも声を掛けずにオールドリッチを後にした。
いつもの教会の屋根に小さな人影が見えた時、なぜかネロの心に灯のような安堵が広がって、顔がほころぶ。その小さな人影は、懸命に山の中腹を見回しては首をかしげている。後ろに結んだ黒髪が揺れる度、赤のしずくも揺れていた。それを見た途端、やはりあのお守りを作っているのは別の人物だと直感的に感じた。
「ネロ! お帰り」
「え? あ、ああ。ただいま」
振り返って自分を見つけると、ぱっと明るい笑顔を見せる姿に、ツンっと何かにつつかれたような感覚を覚える。
「ご実家はどうだった? ダーラさんが、ネロの姿が見えないって、心配してたよ」
「ん、実家には行かなかった。代わりにオールドリッチに行ってみたんだが、販売所は売り切れたところだったよ」
「やっぱり人気があるのね。でも、ご実家にも行って来ればよかったのに…。ネロ、なにかあった?」
ふいに黒目がちな瞳が、心配そうに顔を覗き込んでくる。まったく、俺はいつからこんなに弱い人間になったんだ。兄ウィリアムの思いがけない姿に動揺して、こんな半人前の子どもに何を求めてるんだ。ネロは出来るだけそっけなく否定して、遅くなる前に帰れとミオを送り出した。何か言いた気な様子が気になったが、今は一人になりたかった。
ウィリアムが事業で成功を収めているなら、それは喜ばしいことのはずだった。しかし、実家に残った母が寂しげにしているのを知っているだけに、素直に喜べない。
一方、ネロに促されて帰宅したミオは、アンリに呼び止められた。
「ミオ、ちょうどよかったわ。さっきトーマスさんが来てくれて、赤ちゃんが無事産まれたって知らせが来たそうよ! それで、しばらくお店を閉めて奥さんの実家に行くんですって」
「わぁ、トーマスさん、喜んでたでしょうね」
「そ、そうね。赤ちゃんの誕生は良かったんだけど、ちょっといろいろあるみたいで…」
アンリらしくない言葉に、ミオはじっとその続きの言葉を待ったが、アンリは、こちらに帰ってきたら分かると言うだけで言葉を濁した。
「なんだったんだろう。アンリさんらしくない。」引っ掛かるなぁ」
ブツブツ言いながら部屋に戻ってきたミオは、もう一つ気になることがあったことを思い出した。
「そうだ! ネロに言うの忘れてた」
教会の裏山に確かに小さな光がゆっくりと移動していくのを見つけたのだ。それなのに、慌ただしく帰ってしまったのだ。
翌日からしばらくは、いつものようにのんびり亭の仕事を終えると、教会の屋根に出かけていたミオだったが、あの日以来、ネロに会うことはなかった。裏山で見かけた小さな光は、だいたいの位置が分かると、意外にも毎日見かけるようになった。その光を見る度、ネロがどこに行ったのかと、歯がゆい気持ちになってしまう。
つづく
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