16.つながった手を離すことを、俺はどこか寂しく感じた。
「ねね、絵本読んで~」
「おねーさん、彼氏いる?」
「せっかくだから、高校生のお兄さんたちに勉強教えてもらいなさい」
「勉強やーだー」
子供はパワフルだ。自分にもこんな時代があったのだろうか。いや、こんなクソガキだったとは思いたくない。もっといい子ちゃんだった。
冬を感じ出した今日、俺はボランティア部の活動で高校近くの学童に来ていた。学童とは小学校おわりに、まだ親が仕事で帰宅していない子供たちが一時的に預けられる施設の事である。学童の子供たちはボランティア部の面々にまとわりついたり、反対に逃げ出したりしていた。
俺もかつて預けられていた時代があったが、俺の通っていた学童とは随分と雰囲気が異なるようだった。時代の流れか、それともこの学童の特色か。
「おい、おっさん!」
「ドッジボールしようよ!」
足の脛をゲシゲシとけられる。足元には元気のよさそうな男子が俺の足元に張り付いていた。低学年というには図体がデカい。中学年か? あと、シンプルに重たい。
ってか、年上の男におっさんと呼びかける男児って本当に存在するんだな。俺は高校生なのに。親の教育はどうなっているんだ。流石に初対面の人間に対しての礼儀が無いだろ。そんなことが脳裏によぎりながら、男児の誘いに乗る。
「はいはい、遊ぶぞー」
俺はくたくたになるまで男児たちに追いかけまわされた。
……終わってみると中々楽しかったが、脇でお絵描きしている女子生徒たちが羨ましくもあった。明日は筋肉痛だろうなぁ。
× × ×
「大塚君!」
「神田さん?」
ボランティア部の活動から高校に戻り、荷物を持って帰ろうとすると、昇降口の所で神田咲良に声をかけられた。走り回っていたようで、肩で息をしている。
何かを焦っている?
「どうかした?」
「はぁはぁ……あの、奈緒、知らない?」
「奈緒? 有馬さんの事? 見てないけど。俺はボランティア部の活動で外出てて、今帰ったから校内についてはあんまりーー」
「そっか……」
神田は有馬奈緒を探しているようだ。
でも、どういうことだろう。今の時間は部活のはずなので、本来なら神田と有馬は一緒にいるはずだ。それに神田は制服を身にまとっている。テニス部の活動中って訳でもなさそうだ。
「何かあったの?」
「……今日部活でミーティングしてたんだけど、そこで、その色々あって、奈緒が出て行っちゃって」
「は?」
「ヒートアップして、意見がぶつかったって言うか……でも、罵り合いに発展したわけじゃないし、奈緒も頭冷やしてくるってだけだと思ってたんだけど……帰ってこなくて」
「喧嘩ってこと?」
「いや、そう言うわけでもーー」
神田はひたすらに言いにくそうだ。
ミーティング中の言い合い。
漫画でよく見たことがあるが、実際に目にすると変に緊張する。
神田は困惑したような表情で、目に見えて困り切っていた。
「……俺も探すよ」
「え?」
「部活でなんかあったなら、知らない奴の方が話しやすいかもだろ?」
神田は「そこまでは……」とかなんとか言っていたが、最終的に、俺も有馬奈緒捜索隊に加えてくれた。
と言っても主要な場所はどこも探し切っていたらしい。もう一度部室に戻るという神田と別れ、俺は校内を探すことにした。
教室、食堂、図書室……どこにもいない。
すれ違っている? いやでも、部員達とのいざこざで消えた人間が動き回るとは考えにくい。
そもそも学校内に居れば誰かの目にはいるだろう。俺も神田も話を聞いて回っているから、目撃情報が無いことはおかしい。……誰にも見つからない場所にいる?
学校で誰も寄り付かない場所。実習棟の汚いトイレ、旧更衣室、普段使わない教室。
俺は一つの光明を見出し、階段を駆け上がった。
4F特別教室。本来4階の無い三波高校のぼこっと突き出た隠し部屋のような教室。
階段を駆け上がったせいで上がった息を整え、扉を開ける。扉はガラガラと音を立てて開いた。
教室には目を赤くはらした有馬奈緒がいた。有馬奈緒は俺の姿に、目を見開いている。
こんなとこまで逃げ込んだのか。来ておいてなんだが、驚きだ。
なんて声をかけていいかわからなくて、俺は無言のまま有馬が座っている席の隣に腰掛けた。
「……神田さん、探してたよ」
「ご、ごめん」
「俺は別に……その、神田さんに言ってあげて」
「……うん」
俺たちの間に沈黙が落ちる。
「話聞いた方がいい? それとも、そっとされたい? 1人になりたいなら、神田さんに言いに行く。見つかったよって」
「……ここにいて」
「わかった」
俺は動きやすくするため、昇降口の所に荷物を置いてしまったので、スマホは持っていない。カバンの中だ。だから、いまも有馬を探しているだろう神田に連絡ができない。そもそも直接の連絡先を知らないので、去年のクラスグループの中から探すところから始まるが。
神田に無駄に探されていることを心の中で謝りながら、俺は有馬の言葉を待った。
数分経った時、だいぶ落ち着いた様子の有馬が話始めた。
「咲良になんか聞いた?」
「いや。突然いなくなったとだけ」
「そ、っか」
その声は弱弱しく、初めて聞くような声色だった。まだ涙は引ききっていないようで、鼻を鳴らしながらも、言葉を続ける。
「今日の部活はテニスじゃなくて、この前の運動部が集められた話の周知と、月一のミーティングで」
「あぁ、それで神田さんも有馬さんも制服なのか」
「そう。……そのミーティング中に後輩と言い合いになってーー部活の方針でさ」
「うん」
「後輩の一人が、もっと上を目指すために練習をもっと頑張るべきだって言いだして……それは間違いじゃないんだけど、学校の部活の決まり事とかあるし咲良が『時間は伸ばせない』って言ったら、『時間の問題じゃなくて、気持ちの話です!』ってなって。私は黙ってたんだけどーー」
ここまでの話では、テニス部の部長である神田と後輩のもめごとだろうが、なぜ有馬が泣くことになったのだろう。俺は産まれた疑問を解決したくなって急かしたくなったが、ぐっと堪えて、続きの言葉を待った。
「突然『有馬先輩はどう思っているんですか!? ウチの部で一番うまいのは有馬先輩ですよね。有馬先輩だってもっと上を目指したいんじゃないですか?』って言われて、私どうしたらいいかわからなくなって……逃げちゃった」
真っ赤な瞳から声の震えと共に涙があふれ出す。
「『勝ちたい』けど、それと部活の運営は違うっていうか。全員で16人いる部活で全員が勝利のためのテニスをしているわけじゃないし、それを押し付けると組織としてダメになっちゃうって言うか。そもそもテニスは個人競技の側面もあるし」
「有馬さんの言いたいことは、その切れ散らかした後輩と『勝ちたい』ってスタンスは同じだけど、部活の方針を変える必要はないと考えてるって理解でいいか?」
「う、ん。まぁ、そう言うことになるかな」
「……それをそのまま後輩に言えば、分かってもらえると思うけど?」
テニス部のごたごたは理解できたが、ここで有馬奈緒が泣いている理由がわからない。
「言葉にしたら、全部、叶わなくなっちゃうから」
「は?」
思わず俺の口からバカみたいな音が出た。どういう意味だろうか。
有馬奈緒は椅子の上で体を抱きかかえるようにして縮こまる。
「意見がぶつかっていなくなった」「逃げてきた」「言葉にしたら叶わない」
まさか、自分の考えを何も言わず飛び出したのか?
俺はてっきり、後輩との言い合いの末に部室から飛び出したと想像してたぞ? 言い合いにすらならなかった?
だとしたら、あの“神田の困惑した表情”も納得できる。後輩から詰め寄られた友人が何も言わず飛び出したんだ。しかも帰ってこない。困惑しきりだっただろう。
俺がどうしたものかと丸まった有馬を眺めていると、有馬が小さな声で独白する。
「自分の意見って言っても叶わないことが多いし、千夏ちゃんは私の意見を求めたけど、結局私を盾にしたいだけ。なんか、いろんな可能性を考え始めたら止まれなくなって、気づいたら部屋から飛び出しちゃって……。帰れないし、見つかったらいけないから、なんか、逃げる場所を探してたらここを思いついたって言うか」
有馬奈緒は小さな子供のようだ。
それにしても「帰りにくいし、見つかりたくない」じゃなくて、「帰れないし、見つかったらいけない」か。なんというか、有馬奈緒の『進んだら止まれない性格』が悪く出た気がする。
「言ったら叶わない」ってのも気になる。それって「今日は唐揚げ食べたーい」的なことも含まれるのか? だとしたら、有馬家の教育方針を穿ってみてしまう。
俺はゆっくりと有馬奈緒へかける言葉を考える。間違えられない。
「……日本には言霊という文化があるがーー」
しょっぱなから間違った気がする。でも、俺の口は止められない。
「有馬さんの言う通り、言っても叶わないことがあるかもしれない。でも、言葉にするからこそ叶うことも俺はあると思う。気持ちを通じ合わせる事なら尚更」
「……でも」
でも、と言ったきり有馬奈緒は口を閉ざした。この先も「言ったら叶わないこと」なのだろうか。できるだけ優しい声を心掛け、俺は口を開く。
「でも? その先を言って欲しい。俺は怒らないよ」
「……でも、相手が嫌だと思うことを言っちゃったら、関係性がダメになるから、それなら最初から言わない方がいいって言うか。私は嫌だと思う範囲が狭いから、相手に合わせる事が得意って言うか、得意なことを得意な人がやればいいじゃん?」
支離滅裂とまではいかないが、文章になっていないそれを最後まで聞く。
自己犠牲の塊のような思想だ。でも、それで爆発したら意味が無いだろ。
「有馬さんが嫌なことが少ないってのは、嘘じゃないと思う。でも、今は部室飛び出しちゃったんだよね? 多分、自分でも考えてないうちに許容外だったんじゃないかな?」
「それは……」
「嫌なことは嫌って言っていいし、誰かを嫌な気持ちにしてもいいって俺は思っている。人間は身勝手な生き物だから。自分の身勝手さも他人の身勝手さも多少は許容しないと自分だけがしんどくなると思う」
言葉にしながら、俺は自分の言葉は以前姉に言われたことと本質は同じなのかもしれないと思った。
正しい社会や環境はを保つことは大事だけど、人間一人一人がそれを全てカバーできるわけではない。
「それに、話しながら衝突するよりも、突然爆発される方が嫌な気分になる人は多いって俺は思うな」
「それは……」
「あぁ、その、責めているわけじゃない。ちゃんと話した方がいいと思うってだけ。今も俺と話せただろ? おんなじことをもう一回したらいいよ。大丈夫」
「でも、それは大塚君が優しかっただけで。出ていった私の事、みんな嫌になってるよ」
「多少嫌な気分にさせても大丈夫だよ。これからのリカバリーが大事」
何度も大丈夫と言って、有馬を落ち着かせる。途中彼女の背をさすってあげたくなったが、それは流石にダメだとなって、もどかしく空で手を彷徨わせた。
やがて、有馬も落ち着いてくる。目元は赤いままだが、涙は引いて、声も震えなくなった。そっと手を差し出して、声をかける。
「行こうか。俺も付いていくから」
「……うん」
「でも俺は部室まではついていけない」
「……」
そこからは有馬奈緒が自分で進まないといけない。
有馬は何も言わなかった。だが、差し出した俺の手を取りゆっくりと立ち上がった。
戸締りをし、ゆったりとした足取りで階段を下りていく。
その際、俺も有馬も互いの手を離さなかった。ふんわりとした体温が共有される。
「今日帰りは?」
「お父さんが迎えに来る。仕事がこっちで、忙しい時期じゃない時はいつも送ってもらってる」
「そっか。まぁ、電車だと時間かかるしな。1つ乗り逃すと大変だし。俺と違って、真面目な部活してる有馬は特に」
「私、真面目に部活出来てるかな」
「出来てるよ。この前、試合見に行った時の覇気凄かったもん」
「私、試合中に覇気だしてるの?」
有馬はヘラりと笑う。特別教室で見つけた時と比較すると、顔色もよくなっている。
昇降口まで行くと、運よく神田と出会った。神田は泣いている有馬に驚いていたが、何も言わず俺から有馬を受け取った。
「じゃあな。……有馬は頑張ってるよ。だから、思ったこと話すだけでいい。味方は隣にいるから」
「うん」
部室へ向かう有馬と神田を見送る。
その背は空に向かって真っすぐと向かっていた。
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