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落ちる03

 



「え?」


 ウルティアは茫然とする。すうっと指先が一瞬で冷たくなるのが分かった。


「落ち着いて。カザムは無事だ。……ただ」

「ただ?」

「谷に転落したのは、カザムの相棒だ」


 カザムが無事だと聞いて安心したのに、そうと言われて息を飲んだ。


「ソルジュ。私は本部に向かう。後のことは頼む」

「かしこまりました」

「ウルティア。カザムは明日にも帰ってくる。そう暗い顔はするな。腕、渡してやるんだろう?」

「……はい」

「ちゃんと寝るんだぞ」


 クラウスはそれだけ告げて、着替えるとすぐに家を出て行ってしまった。

 家主を留守にして残されたウルティアは、ソルジュとふたりになる。


「どうされますか、ユーゴ様。お部屋はすぐに準備出来ますが」

「……帰り、ます。部屋を片付けないと……」


 落ち着こうとしてお茶を飲んだ後、彼女は心ここに在らずで、カップを机に戻して答えた。

 立ち上がってアタッシュケースの前に立つと、ウルティアはちょっとの間じっと義腕を見つめる。何度も不備がないか点検した、今できる精一杯。

 だがこれは、カザムに頼まれて作ったものではない。




 カザムがこれを見たら、彼は何というのだろうかーー。




 彼女はパタンとケースを閉じた。











 ◆










 燃やして埋めて、走って、寝て。

 それからまた走ってカザムが戻って来たのは、登ったばかりの朝日に照らし出された、鎮守の森と清流に囲まれるクリッサンサマムの都。

 任務を終えて帰ってきたが、仲間を、それも長年の友を失って、明るい顔をしていられるほどカザムも感情に乏しくない。


『お前は帰れよ』


 最後に聞こえたアレンの言葉は、何度も頭の中で反芻していた。

 それは含みのある声色で、まるでもうお前と俺とは違うんだと線引きされたかのように、カザムには聞きとれた。

 そうされる心当たりは、ある。

 戻って来た都には、自分の帰りを待ってくれているであろう人、どうしても生きて再会したい人がいる。


 でもだからと言って、仲間を見捨ててまで帰ろうとは決して思わない。断固としてだ。


 そんな覚悟で、今までずっと命をかける仕事をしてきたつもりは微塵もない。

 カザムにとって、王宮狩護団六番隊というのはホームで、仲間はファミリーだった。

 身寄りのない孤児でも、努力すればきちんと認めてくれる場所は、彼にとっては得難い環境で。

 特にアレン・ライオネルのことは、本物の兄弟ように思っていた。



(ーーそれなのに)



 カザムの眉間に深いシワが寄る。






『ペリュトン討伐については、これより会議で作戦を決定する。任務から帰った六番隊のメンバーは体を休めること。二番隊と四番隊は都の警備。その他の隊は戦闘に備えて、準備をしておけ。以上』



 本部と寮には緊急放送が流れて、三団長のひとりであるスレイン・ボルドーから方針が告げられた。

 ペリュトンと交戦したカザム、ジン、ナダルは本部の会議室に呼ばれ、当時の報告をする。


「あれは間違いなく一級でした。最後に出てきたやつも、相当強い」

「能力が厄介です。少なくとも二体は植物のツタや根を操る個体がいます」


 団長や隊長が勢ぞろいの部屋には、〈藍川渓谷〉の地図が貼られたボードを中心に会話が行き来する。ジンとナダルが交互に、ペリュトンとどこら辺で出会したのか、どんな能力があったのかを詳しく説明した。


「失礼します! 〈藍川渓谷〉での行方不明者リストをお持ちしました」


 途中、会議室にやってきた伝達係りが渡した資料は、すぐ机に広げられる。


「南側に集中しているな」


 団長スレインが呟いた。

 今回、六番隊がシカ型の魔獣を一掃したのは、西から東に流れる〈藍川〉から北側の範囲だ。

 渓谷の谷はかなり険しい崖のような地形のため、北と南は別の生態と見られていたが、空を飛べるペリュトンとなれば話は別。


「オブザーバーの行方不明者もいるじゃねぇか……」


 ダリオの顔には苦渋が浮かぶ。

 北側だけではなく、南側の詳しい情報に注意しておけば、異変に気が付けたかもしれない。

 今となっては後の祭りだ。


「南には数ヶ月前までペリュトンとは別の一級が出ていたわ。ペリュトンの目撃情報が今までなかったのは、相手に賢い個体がいるせいよ」


 ダリオの心中を悟った七番隊長ベロニカ・ワーズが、フォローしながら話を進めた。


「群れでいる可能性を考えると、地形も相まって手強いですね……。三隊は出動するべきかと」


 ベロニカは団長らに視線を向ける。


「そうだな。一、三、五、七、八、九。隊の状態は?」


 スレインの問いに、呼ばれた隊の隊長らは問題ないと答えた。

 それを側から聞いていたカザムは、じっとダリオに視線を送る。それは自分に行かせてくれという強い意志を感じさせる視線だった。

 刺さるような目線に気がついたダリオだったが、被害が出た隊は同じ現場に行くことを避けられる。今回の討伐隊に六番隊が含まれないことはほぼ決まりだった。

 ダリオとて、部下を失って戻ったことを悔いている。できるものなら参加したい。だがそれは難しいのだ。

 彼はカザムのほうを見ることはしなかった。



(ーーッ)



 わざとこちらに気がつかないフリをしていることを察したカザムは、行き場のない感情を拳に握る。

 そして報告を終えた三人は、会議室から退出を促された。広い廊下に出ると、ジンとナダルは無言でそれぞれの場所へと足を向ける。

 カザムはふたりとは反対の方向へふらりと歩き出した。






 服に付いた魔獣の返り血はすでに乾いていたが、その匂いはこびりついている。遠征帰りで汚れも落とさぬまま、カザムは狩護団本部を出た。

 頭にはアレンのことを考えながら、ただ街を進む。都は目を覚ましたばかりで、人気はまだ少ない。石畳の道を悶々とひたすら歩いてやっと足を止めたのは、約半年通い続けた彼女が待つ家の前。


 我に返ったカザムは、その扉に伸ばした手を止めた。



(……ダメだ)



 ウルティアのもとに帰って、仲間の死を彼女に慰めてもらって、自分はアレンを忘れるのか?


 家族を知らないカザム・ハイトという青年は、こんな時自分を支えてくれるであろう人の元へ行っても良いのだということを、受け入れることが出来なかった。

 ウルティアという、初めて出来た安らぎをくれる心の拠り所は、彼からすると戸惑うほど幸せで恵まれた場所だったのだ。

 だから、アレンを亡くした直後、そんな優しい場所には帰れない。帰ってはいけないと思ってしまう。すぐそこに、会いたかった人がいるのに。

 カザムは一歩後ずさる。


 しかし、ガチャンッと部屋の中から何かが落ちる大きな音がして、彼は咄嗟に鍵を開けて扉を開いた。



「ウル?!」



 久々に帰ってきたウルティアの待つ家。

 裏口のすぐそばにはパントリーがあり、その奥に進むとキッチンがある。

 カザムが慌てて中に踏み込むと、しゃがんで床に落とした食器を拾い集めるウルティアと目が合った。



「カザムさん……」



 彼女は驚いた様子で固まってしまう。

 カザムは歩み寄ると自分も腰を落として、素手で散らばった破片を集めていた彼女の手を摘んだ。



「怪我は?」

「な、ないです」

「オレがやるから触らないで。顔色も良くないし、もしかして体調悪い?」



 ウルティアの異変に気がつくと先程までの考えは吹っ飛んで、彼の思考は目の前のことに集中していた。



「だ、大丈夫です。少し寝不足なだけで。……すみません。カザムさんも疲れて帰って来てるのに」

「そんなことはいい。向こうで待ってて。すぐ片付ける」



 彼女を立たせると一緒にダイニングに回る。

 邪魔な外套を脱ぎ、荷物なども椅子にかけると割れた皿を片付けた。ウルティアがこんなミスをすることは今までなかったため、心配になる。

 ゴミを捨て、再びウルティアの姿を探せば椅子から上着が消えていた。二階から降りてくる足音が聞こえて、カザムはそちらを見る。



「ありがとうございます。お湯を張って来ました。温まってください。服も洗っちゃいますね。朝食は食べましたか?」

「……いや」

「じゃあ、簡単にご飯作っておきます」



 これからどうするにせよ、体の汚れを落として食事は取らなければならないことには変わりない。他に行くあてもないカザムは、ウルティアに勧められるまま二階に上がった。

 シャワーで汚れを流れ落とす間、風呂に湯が溜まって行く。洗面所にある洗濯乾燥機が回る音がし、だんだんと誰かが待っててくれる家に帰って来たことを実感した。

 どんな顔をしてここにいれば良いのか分からなくてなって、カザムは湯船に長く浸かる。出てきた時には顔は赤く染め上がり、体に熱がこもった。上はインナーだけ着て、リビングのローソファーに座る。

 髪を拭こうと頭にかけたタオルは、彼の表情をすっぽり隠した。





「カザムさん。朝ごはんを持って来ました」



 気分によって二階のリビングで食事をすることは珍しくない。ウルティアは料理をのせたトレイを持って現れたが、彼の姿を見て呆然とした。


「カザムさん?!」


 ギリギリと左肩の断片を右手で握り潰すように痛めつけていることに気がついたのだ。


「痛むんですか? そんな風に握ったらーー」


 ローデーブルにトレイを置くとカザムの前に膝をつく。右腕を掴み、黙ったままの彼の顔を覗き込んで、ウルティアは呼吸を忘れた。





「掴めなかった」





 そう言ったカザムは今にも泣きそうな顔をしていて。



「届かなかったんだッ……」



 震える声は、苦しみを押し込むようにくぐもり、ウルティアは思わず彼を抱きしめた。

 前に引き寄せたカザムを、上から包み込むようにしてきつく腕の中に閉じ込める。



「……この腕が、憎い」



 それはカザムが初めて吐いた弱音だった。

 すぐ側にそれを聞いた彼女の表情もまた辛そうで。カザムの小さな叫びは痛切に、ウルティアの心も締め付ける。

 彼は何も悪くない。悪いのは、掴める腕を作れるのに今まで黙って作らなかった自分だ。

 もうこれ以上、自分を責めるようなことは聞きたくない。



「わたしは『お前のせいで人が死んだ』と言われるのが怖いんです」



 胸の中のカザムがぴくりと動くのを感じたが、彼女は抱きしめる手を緩めないで言葉を続ける。


「わたしの作ったもので、誰かの命が左右される責任に耐えられるほど強くなかった。全然覚悟が足りなかった。やって来たことは偽善どころか自己満足でしかなかったのかもしれない。そして別に自分がいなくても、他の人が頑張ってくれるだろうと、そんなことを考える責任のないやつなんです」


 ウルティアは心を決めていた。カザムに嫌われようと、義腕を渡すときには自分が馬鹿でどうしようもない人間だということを告白すると。


「わたしのせいで死んで欲しくない。わたしに関わった人が死ぬのを知りたくない。……だけど、わたしに出来ることを出来ないフリして黙っているのも、耐えられなかった……」


 彼女はそっとカザムを離す。

 彼の手を取り立ち上がると、部屋の外へカザムを導いた。


「ウル? 何を……?」


 はらりとタオルが落ちて、カザムの困惑した面持ちはあらわになる。落ち込んでいた彼だが、いつもと違うウルティアの様子にうろたえた。何も答えてくれないウルティアにされるがまま、一階の店に連れ込まれる。

 すると彼女は手を離し、作業スペースに消えた。

 カザムはその場に立ち尽くし、ぼうっと彼女に握られた右手に視線を落とす。

 次に現れたウルティアの手にはアタッシュケースが握られており、彼女はカウンターテーブルにそれを置いた。カチッカチッと金具を外すと、ケースをゆっくり開く。



「受け取って、くれますか?」



 カザムはケースの中に鎮座した黒く艶めく義腕に瞠目した。


「これ……」


 恐る恐る義腕に手を伸ばし、それからウルティアを見つめる。

 彼女はまるで叱られるのを待つ子どものように、俯いて小さく縮こまっていた。


「わ、わたしがもっと早く」


 カザムはウルティアが言わんとしていることを察して、咄嗟に右手で彼女の口を塞いだ。


「んっ」

「言わないでいい。オレのために考えてくれてたんだろ?」


 彼はウルティアの唇に触れた手を下ろし、一歩彼女と距離を詰める。

 カザムはウルティアにとって義肢を作るということが、どれだけ覚悟が必要だったことかを想像して胸の奥が苦しくなった。



「ありがとう。……ウルのおかげで、オレは生きていられる」



 不器用な手つきで、今度はカザムがウルティアを抱きしめる。

 この溢れんばかりに自分を突き動かしてくる感情の名前は分からないが、とにかく彼女が自分にとって大切で大事な唯一の人だということは間違いなかった。


 義腕をつけることを選ぶのは自分だ。

 ここから先、これをつけて何かあってもそれは自分の責任であり、彼女のせいなどではない。







「ウルティア。この腕をオレにくれ」






 オオカミの瞳が真っ直ぐに、宝石のような緑の眼を捉えた。







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