帰る場所03
カザムが去った修理屋は、普段と変わらず時を刻む。
ウルティアは作業していた顔を上げて徐に店にかかった時計をみた。
「えっ。もうこんな時間?」
そこでやっと昼休みの時間はとっくに過ぎていることに気がつく。
五分もあれば適当に口の中に食べ物を詰めて昼食は終わりだなんてことは、カザムが来る前は日常茶飯事。彼女は席を立つと、キッチンに回って朝作っておいたサンドウィッチをかじる。
行儀が悪いがカザムがいないことをよいことに、食べながら冷蔵庫の中身を確認した。
「ご飯、適当に買い込んで来よう」
美味しいと言って食べてくれる人がいないと、作る気も湧いてこない。定休日になったら惣菜でも買ってこようとウルティアは心に決める。
「洗濯も明日からは、溜まってから回せばいっか」
カザムがこの家に来たばかりのときは、洗濯するにも下着をどうするかなんて話し合ったことがあったなと思い出し、彼女は苦笑する。ちなみに下着は中が見えないネットに入れて洗濯乾燥機で洗って、畳むのは各自ですることになった。
(懐かしいな……)
最初は勿論、年の近い青年と一緒に暮らすことは不安でいっぱいだったのだが、意外なほど彼との生活は順調で。不思議と嫌だなと思う場面はなかった。
冷蔵庫を閉めて、ダイニングテーブルに座る。
カザムが狩りに出始めてからは、こうしてひとりで食事をすることも増えたと思う。今回は遠征で一週間近く家を空けるそうなので、しばらく食事はひとりだ。
カザムが来る前の一年間は、それが当たり前だったはずなのに、静かな部屋にしんみりする。聞こえてくるのは時計の針が動く音と、自分がサンドウィッチを咀嚼する音だけ。
ウルティアは三階建ての広い家屋でポツンと、昼食を済ませた。
仕事に戻れば、常連客たちの体をほぐしながら喋り足りない分を埋めるように会話をする。
彼女は相変わらず、若い狩人を診ることはせず、加齢で体に痛みが出てくるような人ばかりを相手にしていた。ルオのように紹介の内容によっては請け負う仕事もあるが、基本的に狭いコミュニティでしか『修理屋』は知られていない。
医療に携わる者として、自分に救える人を救わねばならないとは、ウルティアも分かってはいる。必要としてくれている人に応えることは、名誉なことだ。
しかし、自分の一手で全てが崩れていくような感覚には、もう向き合える自信も覚悟もなかった。彼女は何のために頑張っていたのか、分からなくなっていたのだ。
自分が頑張らなくても、優秀な薬師に、精霊の加護を導く魔術師がこの大陸にはいる。
それに、傷や病気は薬を飲んで治すものだから、持続的にやらねば効果が分かりにくい整体やら整骨やらには理解が薄い。
ウルティアの母たちが必死に「整体師」としての知識を継承して来たのに、衰退の一途を辿っているのはそういうことだ。
それに、薬師だろうが治癒に特化した魔術師である「治癒師」だろうが、既に消えそうな「整体師」だろうが、聖女さまが現れれば皆等しく価値は下がる。
聖女さまの全てを治す力もそうだが、彼女たちが生成する回復薬は〈霊薬〉と呼ばれる代物。到底それに及ぶ能力は現地人である彼女たちにもつことは不可能だ。
だからこそ、彼女たちは「神の使徒」とも呼ばれる崇拝の対象なのである。
ほとんどの国で信仰されている〈聖薬教〉は、一代目がこの世界に薬が行き渡るように教会を配置したことが始まりだと言い伝えられている。ウルティアも書庫を利用するために、よく教会には通ったものだ。
「じゃあ、ユーゴちゃんまたね」
「はい。ありがとうございました」
本日最後の客を見送って、彼女は店じまいをする。カザムが留守の間に何かあったら、彼にも迷惑になるので言われた通りにしっかり戸締りをした。
店の出入り口の鍵を閉じて、蛍光石を消す。ダイニングに戻ると、裏口の鍵が閉まっているかを最後に確認した。
カザムは今日、この扉から帰っては来ない。
夕食も余っていた食パンを焼き、スープだけ作って簡単に済ませると、さっさと風呂に入ってリビングのソファーに腰掛けた。
「カザムさん、忘れずに薬を塗ってくれるかな。……今日はきっと移動だろうし、怪我とか大丈夫だよね?」
時にも依るが風呂に入った後は、リビングでストレッチをするようにしている。カザムは隻腕のため、どうしても体に歪みが出やすいので、ウルティアも気にかけていた。
だがそれは、ただ単に父親と同じように隻腕の彼を案じているのではないことは、彼女ももう分かっている。
(行かないでなんて、言えないよ)
ソファーの上で膝を抱えて、ウルティアは沈黙した。
カザムがこの家に帰って来てくれる。
好きだとか、付き合ってくれだとか言われたわけではない。しかし彼女はそれでも彼が帰って来てくれるならば今のままでよかった。
きっとこれ以上踏み込んでしまえば、自分は彼を困らせるわがままを言ってしまうだろう。
カザムは生粋の狩人だ。
隻腕になってしまったならば、狩人の道は断念することを選ぶのが普通だろうに、彼は人より不利な体のまま再び狩り場に戻ってしまった。
自殺行為にすら見えるような芸当を彼はやってのけてしまった。
狩ることこそ、生きること。
腕を失ったときに父親が仲間に向かって涙ながらに語ったのを、偶々聴いてしまった言葉が蘇る。カザムと父親を重ねてしまうのは、どうしようもなかった。
もしかしたら、父と同じように彼も帰ってこないかもしれない。
だが、彼らから狩りを奪うことは、魚に水をやらないのと同じくらい酷なことだともウルティアは知っている。
体を失って狩りに出られなくなった狩人が生きる希望もなく自ら死んでしまうこともあると知っているから。父親も同じように死んでしまうのではないかと不安な駆られ、そんなことにはさせないと、必死に作ったのが特製の戦闘用義肢装具だったから。
結果、動く体を取り戻してしまった父親は、狩りから帰ってくることはなかった。
『お前のせいで!』
駄目だ。このことを考える度に、またあの時を思い出してしまう。
ウルティアはグッと唇を噛み締める。
もう失わずに済んだはずの人を、自分のせいで失いたくないーーそう思うのは傲慢だろうか。
自分がやらなくても、誰かがやってくれる。そうやって、店にこもって自分に優しい客だけ相手をしているのは罪だろうか。
ーー逃げて来た自分を、叱ってくれる人はここにはいない。
カザムはそんな自分の悩みもお構いなしに、己の力だけで体を鍛え、隻腕のまま行ってしまった。あまりにも円滑に復帰へと向かう彼に、ウルティアは何も口を出すことができなかった。
そして、カザムはとうとう危険度の高い狩りへと呼ばれる狩護団に戻り、遠い土地へと旅立った。
戦える腕を作れることを、言えないまま。
彼には親がいない。兄弟もいない。妻もいなければ、恋人もいない。いるのは、共に生きるために狩りをする仲間だけ。
〈竜殺し〉の、彼の力を求めている狩人たちだけなのに。
「馬鹿だ。わたしは本当に馬鹿だ!」
ウルティアは俯いていた顔を上げたかと思えば、立ち上がって一階に降りる。暗がりに転がり落ちそうになりながらも、彼女は一直線に店を目指す。
なんで本当に力が必要な人に、自分ができることもせず、馬鹿みたいに何もせずうじうじと帰りを待っていたのだろう。
腕をなくそうが、新人と同じようにまた一からやり直すことになろうが、決して狩人としての在り方を諦めなかった人を、ずっとそばで見ていたはずなのに。
なんで、そんな人を万全な状態で送り出してやらなかったーー?
彼女は店の照明をつけて、カウンターの裏にある作業台に回ると、蹲み込んでしまってあったスケッチブックを何冊も取り出す。
何度も捨てようと思ったが捨てられなかったボロボロのスケッチブック。クリッサンサマムに来てからも、封印するように奥へ奥へと隠し、二度と開かないと思っていた過去の記憶たち。
全て抱えると机の上に置いて、一冊だけ別にしまってあったまだ新しいスケッチブックも手に取った。
カザムが狩りに行くようになってから、眠れなかった夜。彼女は不安を紛らわすようにして、それにペンを滑らせていた。
「……作ろう。カザムさんが帰ってくるまでに」
ウルティアはスケッチブックを開く。
そこには白紙を埋め尽くすようにして、カザムがつけるための義肢のデザインが描き込まれていた。
彼女は椅子に座りながら腕についたゴムを引っ張り、素早く亜麻色の髪をまとめる。その間も、新緑の瞳は睡魔など忘れて、スケッチブックを追い続けた。
「こんなんじゃ駄目だ。〈鎧組〉と同じものなんて付けさせない」
ウルティアはこの日誓った。
生きるために。
彼が無事に帰って来られるように。
自分がここにいても、カザムを守ってくれる左腕を作ろう、と。
そのためになら、何度過去を思い出して泣いたって構わない。
(わたしは彼に、どうしても死んで欲しくない)
結局は自分のエゴだ。それも分かっている。
それで苦しめた人がいることも、身をもって知っている。
でも。どうしても。
誰になんと言われようと、このまま何もしないでカザムを失うことのほうが許せなかった。
「わたしは聖女さまを待ってはいられないんだ」
魔獣王が現れるまで、聖女は召喚されない。
それまで魔獣の凶暴化は止まってなどくれない。
カザムも狩りに行ってしまう。
ウルティアは今までしまっていた真っ黒な表紙のスケッチブックを手に取った。これだけは簡単には開かないようきっちりと糸で綴じられており、彼女が一番目を背けたかった内容が詰まっている。
ゆっくり、ゆっくりと糸を解き。
一呼吸を置いて、ページを開いた。
《隊長オシュハル・ユーゴ 右腕》
スタンピードが終わって、遺骨と共に帰ってきた義肢たち。処分をどうするかという話が出た時、ウルティアは全てを引き取りひとつひとつスケッチに残した後、それらを埋葬した。
このスケッチブックには、〈鎧組〉の狩人たちが付けていた義肢装具の最期が描かれている。
どこにどんな傷があり、どんな壊れ方をしたのか。ウルティアは一枚一枚、過去を思い出しながら情報を拾っていく。
過酷な、作業だった。
三年前の出来事が、目の前のことのように思い出されて涙は溢れる。痛い思いをしたのは自分ではないが、堪えようとすればするほど大きな涙の粒が落ちた。
〈嘆きの洞窟〉の近くに精霊石がとれる鉱山があり、頻繁に魔獣が目撃されるようになってから、魔獣の等級を上げさせないために早急な対応が迫られていた。そこに当時「西国の盾」と呼ばれるまでに成長した〈鎧組〉が送られることになり、調査が進められることに。
実際には、〈嘆きの洞窟〉は魔獣たちが繁殖した魔窟と化しており、彼らは溢れでてきたそれらを狩り続けーー。……増援は、間に合わなかった。
「……結界石を組み込もう。もしもの時、発動するように。あとは……腕を食われたら中から爆発させる……いや、毒を仕込むほうが周りに被害がない……」
黙っていては、哀しみに飲み込まれそうで。
ウルティアは思いついたことを声に出しながら、スケッチブックを黒く染めていく。
「硬くて軽い素材が欲しいな。カザムさんは父さんよりは体が小さいから……。腕の装着は….神経とのリンクは問題ない。右肩までアーマーを伸ばして安定させようか……だったら、ついでに急所を守れないかな」
腕ではない部分を、体にフィットした柔軟性のある外皮のような鎧にしようと、どんどんイメージを膨らませた。
哀しみに暮れる暇はないのだ。
もしかすると、もう手遅れなのかもしれない。
でも、もうこれ以上の遅れを取るわけにもいかない。
ウルティアは止まらなかった。
その日からカザムのいない『修理屋』は、夜遅くまで明かりが消えることはなかった。




