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帰る場所01

 



「すげぇ! まじすげぇ!」


 興奮して手鏡を覗き込んでいるのは、念願の施術を終えたルオ・エムラだった。綺麗に並んだ前歯に、彼は満面の笑みで自分の顔を見返している。


「これでまた女の子と遊べるぜ!」


 もっと他の感想はないのかとウルティアを見守っていたカザムは思ったが、ルオが喜ぶ姿にウルティアも嬉しそうに笑っているので目を瞑る。


「ありがとう店主! この恩は忘れないぜ!」


 見るからにルンルンのルオは、きっちり代金を払って店を出ていった。


「……よかった」


 ルオが去っていって静かになった店に、ウルティアの言葉はよく響く。

 ほっと安堵する彼女の目の下には今まで見られなかったクマができていて、カザムは悩ましそうに目を細めた。

 ギルドの依頼はなるべく怪我を負わないように遂行しているのだが、そういう問題ではないらしく。眠れないのだろう。毎晩、ウルティアは店に降りて何か作業をしているみたいだ。



(……ウルが心配しないくらい、強くならないと)



 クラウスに話を聞いてから、カザムはより一層力を入れて狩りの腕を上げていた。

 早く強くなって、隻腕のせいで危険な目にあったと、ひいては彼女が義手を作らなかったせいで死ぬなんてことはないことを彼は証明したかった。

 今日もこのあと夜の狩りがある。夜間は難易度も上がるため、気を引き締めなければ。


「昼食にしましょうか」

「うん」


 既に昼休みの時間に差し掛かっている。ウルティアに言われてカザムは頷く。

 昨日買って来ておいたパンに、サラダとスープをつけて簡単に昼食を済ませると、ウルティアは二階に上がる。足を伸ばして休憩したいそうで、食事を以外では二階のリビングで過ごすことのほうが多い。カザムは西国風に柔らかいラグが敷かれた床に座って、彼女とのんびりとする時間が好きだった。

 彼も洗い物を終えると、コーヒーをふたつ淹れて二階に上がる。


「ウル。コーヒー……」


「淹れたけど飲む?」と紡ごうとした言葉はそこで止まった。ウルティアが力尽きたようにソファーに横たわって寝ていたからだ。

 結んでいた髪をほどき、クッションに顔を埋めるようにしている姿は疲れが見てとれて。

 カザムはローデーブルにマグカップを置くと、ソファーの下に座って彼女の顔にかかった亜麻色の髪を避けた。そっと額に手を置くと、微熱がある。


(……オレのせい、だよな……)


 自惚れかもしれないが、彼女はきっと自分のせいでここまで弱っている。この隻腕に過去を思い出し、義手を作るか否か悩まされているのだろう。

 でも。ウルティアはこうして寝不足になって体調を崩しているというのに、それが自分のためだと思うと心は満たされていく。

 ソファーの背にかけてあるブランケットを手に取ると、カザムはそれを彼女にかけた。目が覚めたら念のため、回復薬を飲んでもらおうと決めると薬取りにその場を立つ。



「いか、ないで」

「ーーえ」



 聞いたことのないくらい哀しい声が彼を引き止める。

 行かないで。確かにそう彼女から寝言が聞こえた。嫌な夢でも見ているのか、眉間に深くしわを寄せて辛そうな顔にカザムは再びしゃがみ込む。



「どこにも行かない。ちゃんと帰って来るよ」



 誰かにこんな事を思うのも、言うのも、初めてだった。眠っているウルティアの額にぐっと顔を寄せ、彼は唇を落とす。

 何故こんなにいい香りがするのか分からないほど、優しい香りが鼻をくすぐった。



(ああ。もう……。オレ、ウルが好きだ)



 やってしまってから、カザムは彼女の前で悶える。








 ◆

 ◆

 ◆








「……S級クエスト、完遂か」


 ディエゴは報告書片手に、感嘆のため息を漏らす。

 それはカザム・ハイトが、ギルドの依頼で最高難易度であるS級のクエストを無事に完了させたことを証明する書類だった。

 利腕を失ってドラゴンを討伐した英雄である王宮狩護団の青年が、新人と同じように一番低いランクの依頼をこなし始めてから早四ヶ月。

 ついに彼はS級の依頼をやり遂げ、一流の狩人の地位に返り咲いた。

 だが、ディエゴは知っている。

 狩護団に入る前の彼と今の彼とでは、S級を目指す理由が違うことを。


「あの子のおかげかねぇ」


 カザムが昔のように我武者羅になって狩りをし、金を稼ぐのとは違うことは一目瞭然だった。回復薬や結界石に金を使うことを渋らないし、決して無理をして追加の依頼をこなすことはしなかった。そして、先に約束しておかないと、必ず飲みに誘っても断られる。

 自分の帰りを待ってくれている人がいるとここまで違うものかと、ディエゴも舌を巻いていた。

 彼は机の上に並んだカザムがこなした依頼書をまとめるとそれを封筒に入れる。

 その宛先は王宮狩護団本部だった。









「復帰、ですか?」

「ああ。隊に戻れ、カザム」


 定期報告のため王宮狩護団本部に訪れたカザムに告げられたのは、狩護団の狩人として再び現場に戻ることだった。六番隊長ダリオ・ロードスから書類を渡され、カザムは呆然とする。


「なんだ? 浮かない顔だな?」

「……いえ」


 いつかは戻る時が来るのだろうとは、カザムも分かっていたし、彼もそれを望んでいたはずだった。

 しかし、実際に呼び戻されてみれば、真っ先に思い浮かぶのはウルティアのことで。


(ウルはどうなる? もうお飾りの番犬は必要ないってことか?)


 戸惑いを隠せぬまま渡された書類に目を落とせば、そこには「無期限の隠密行動及び護衛任務」のあっけない終わりが記されていた。

 利腕を失って、もう狩場に出ることができないと恨み、厄介払いで手持ち無沙汰な任務を与えられ、もうどうにでもなれと思っていたのに。

 気がつけば、ウルティアが待ってくれている家に帰ることが日常になって。彼女と一緒にいるためならばと努力をして、隻腕ながらギルドでS級の依頼を達成したというのに。

 そのウルティアとの繋がりは、こうも簡単に切られてしまった。

 こうなれば、もう彼女に依頼の報酬並びにカザムの生活費が払われることはなくなる。当然、仕事で一緒に住んでいた、いや住まわせてもらっていたカザムは出て行くのが道理だった。


 どこか上の空でダリオから説明を聞き終えて、彼は深刻な表情でウルティアのいる街へ歩き出す。

 カザムは凛々しい顔を強張らせ、ぐるぐると思考を巡らせていた。

 おかしい。現場に復帰することは自分が何よりも望んでいたことのはずだ。ウルティアだって、ここまで来ればもう自分のせいやらなんやら考えなくて済むはず。これは喜ぶべきことなのだ。

 ……それなのに、何故こんなに苦しいのか。

 いつかのように、重い足取りでカザムは時計の形をしたドアノッカーのついた連棟の家屋を前にする。

 胸が詰まる理由など、自分は疾に知っていた。



(終わりたくない……)



 店に入りたくない。入ってしまえば、終わりが綴られた書類をウルティアに渡さなければならない。そうすれば、幸せだった彼女のいる生活も終わりを告げる。

 一緒に食事をして、買い物をして、たまに素材集めの狩りもして。

 ウルティアは体の状態を自分以上にわかってくれているのではないかと思うくらい気にかけてくれて、いつも良いコンディションで狩りに行くことができた。いつの間にか悩まされていた幻肢痛も、彼女のお陰で消えていた。

 どうやらこの生活がいつまでも続いてくれると、夢を見ていたらしい。


 ガチャリ、と目の前の扉が開く音がして、カザムはハッとする。


「ありがとう。また頼むよ」

「はい。お待ちしております」


 店から出て来たのは、私服姿のクラウス・ノッカーだった。カザムは彼を前に目を見開く。


「あれ? カザムさん? どうしたんですか。そんなところで」


 ウルティアはカザムに気がつくと、キョトンと首を傾げた。裏口からならいつでも入ることができるのに、こちら側の扉にいたことが不思議だったのだろう。でも、カザムからはすぐに言葉は出てこない。代わりにクラウスが口を開いた。


「遅かったな。もう帰るところだった」


 彼はそう言うと、ウルティアを振り返る。


「ハイトの現場復帰が決まった。同時に隠密と護衛の任務は終わりになる」


 あっという間にクラウスから全てを吐露されて、カザムは顔色を失った。恐る恐るウルティアの表情を伺えば、彼女は少しだけ沈黙したあと「おめでとうございます」と他人行儀な笑みを貼り付ける。

 おめでとうと言われて、こんなに嬉しくないことは今までになかった。


「うちの隊員が世話になった」


 終わりの挨拶を口にするクラウスの声が遠くに聞こえる。今自分がどんな顔をしているのかすら、カザムにはわからない。表情を取り繕うこともできずに彼は沈黙した。

 彼女のために頑張ったのに、そのせいで彼女の側を離れることになるとは考えが至らなかったのだ。悔やんでも悔やみきれない。

 だが、



「ーーと言いたいところなんだが。実は寮の部屋が埋まってしまってな。まだしばらくこいつを泊めてやって欲しい。まあ、ハイトが別に家を探すにしろ、後のことはふたりで相談して決めてくれ」

「!」



 クラウスはそう言うと、ウルティアの頭をぽんぽんと撫でる。暗かった彼女の表情はそれを聞いてぱあっと晴れるのが見えて、カザムはみるみる正気を取り戻していった。ついにやけそうになって、彼は唇を噛んだ。

 正直なところ、ウルティアには嫌われていないというより、どちらかと言えば好意を持たれているとは思っている。そうでもなければ半年近くも男女がふたりで一緒に暮らすなんてことは、普通ないだろう。

 クラウスは彼女に微笑むと、途中まで開けた扉から外に出る。彼はカザムとすれ違う瞬間「うまくやれよ」と意味深に囁いて、星の街を抜けていった。どうやらカザムの心内はお見通しだったらしい。


「カザムさん。おかえりなさい」


 クラウスが去って扉が閉まらないように押さえていたウルティアが、にこりと笑う。


「ただいま」


 もうここが自分の帰る場所になっていることを、カザムは認めざるを得なかった。

 ふたりでカウンター席に座ってカザムは書類を渡し、ウルティアはそれにサインを終える。

 そしてこれからどうするか話をしようと顔を上げた彼女に、カザムは言った。



「……これからもここに帰って来ていいですか……」



 思いの外緊張していたらしく、彼の真剣な声色にウルティアは目を丸くする。

 でも、次第にその目を嬉しそうに細め、彼女は微笑むのだ。



「はい。帰って来てください。カザムさんが必要な時までずっと」



 帰って来ていい。

 任務抜きで彼女の側に居てもいい。

 カザムにはじわじわと喜びが募っていく。まだ一緒にいられることの安堵から顔が緩んだ。



「やばい。どうしよう。すげぇ嬉しい……」



 気が抜けすぎて、思ったことがそのまま口に出てしまうカザム。言い終わってから、ハッと気が付きウルティアを見ればーー



「っ、?!?」



 顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせている彼女がそこにはいて。

 それすらも可愛く見えてしまって、カザムは自分がこぼした言葉などどうでも良くなる。



(ウルが待っててくれるなら、一生ここに帰りてぇ)



 次こそはちゃんと心でそう呟き、彼は立ち上がると大事な人に手を伸ばす。




「これからは、今までみたいにとは言えないけど……ちゃんと帰ってくるよ」




 クラウスが触ったところを払拭するように、カザムは亜麻色の髪を撫でた。

 頬を赤らめていたウルティアは、その強い眼差しに希望を託すように「はい」と、返事をするのだった。




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