聖女の代行02
クラウス・ノッカー団長からの手紙を読んだ次の日。
居てもたってもいられなくなったカザムは、手紙を出した本人を訪ねることにした。
狩護団の本部に入れば、何事かと隊員たちから顔をうかがわれたが、気にすることなく廊下を進み。クラウスがいる団長室の扉を叩く。
「六番隊カザム・ハイトです。お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「……入れ」
突然の訪問だったが、カザムが来たことを知ると、中へ通してくれる。
そこには艶のある銀髪をゆるく束ね、五十過ぎにはとても見えない容姿の男性が座っている。
「どうした。ウルティアと何かあったか?」
開口一番、クラウスに言われてカザムは閉口した。全てを悟られたような凪いだ瞳に、彼は言葉を探す。
「……団長から彼女に宛てた手紙を拝読させていただきました」
結局選んだのは、正直に事実を述べることで。盗み見て来たことの罰の悪さから、視線が下がる。
「そうか。それで君はウルティアのことを私に聞きに来た、といったところか?」
「ハイ……」
カザムが頷くのを見て、クラウスはペンを置いた。
「そのうち訪ねてくるとは思っていた。彼女は自分のことをお前に話すわけにはいかなかっただろうしな」
「それはウルティアが義肢装具が作れるからですか?」
「ああ」
「でも、オレの肩では義腕をつけることはできないと」
手紙を読んで疑問に思った点を尋ねれば、クラウスは苦笑する。
「彼女の技術はそんなことを障害としない。特別な方法で装着して、感覚をリンクさせて自分の体のように動かせる義肢装具を作れる。三年前、アルサールで噂が立った〈鎧組〉を知らないか?」
「確か西国の特殊部隊で、〈嘆きの洞窟〉で起こったスタンピードの討伐をたった一隊で食い止めたがほぼ全滅したっていう……」
「そうだ。〈鎧組〉は、お前のような健常でなくなった体の狩人たちが、ウルティアの作った戦闘用義肢装具を装備した部隊のことだ。隊長を務めていた彼女の父親オシュハル・ユーゴも鋼の右腕で戦い、殉職している」
カザムは凍りついた。
「……じゃあ、またわたしのせいで誰かが死ぬっていうのは……」
昨日ウルティアがひとりで呟いた言葉を口にすると、クラウスも彼女が言った内容だと理解して顔を歪める。
「戦いが終わった後、殉職者たちの家族や恋人たちに言われたそうだよ。『お前が義肢なんか作ったせいで彼は死んだ』と。……むごいことに、母親にも言われたみたいだ」
「ーーッ」
言葉が、出なかった。
何故、彼女が慣れ住んだ故郷を出て、危険な横断ルートを進み、この国に来たのか。
何故、父親は亡くなり、母親とは縁が切れているのか。
何故、隻腕の自分に嫌な顔ひとつせず、詳しい知識でケアをしてくれるのか。
そして何故、自分が狩りに行って帰ってこないことが「わたしのせい」になるのか。
全てを理解したカザムだが、彼女の過去を前にただただ立ちすくむことしかできない。
何も言えないカザムに、クラウスは目をつぶって重い息を吐き出すと、ぽつりぽつりと話を続ける。
「彼女がここに来たのは一年前だとは聞いたか?」
「……ハイ」
心ここに在らずでカザムは返事をした。
やけにこの部屋が静かで、空気も冷たくて重いように錯覚する。
「スタンピードがあったのは三年前。彼女がクリッサンサマムに来るまでの一年の間に、アルサールではもうひとつ大きな出来事があった」
雲行きの怪しい語りだ。カザムは頭の整理が追いつかない中、必死にアルサールの時事をめぐる。そしてすぐに誰もが知っているであろう訃報にたどり着き彼は口を開いたが、喉から音が出て来なかった。
それにクラウスは重々しく頷く。
「……アルサールの王妃が崩御した。筋肉が衰えていく不治の病だったそうだ。ウルティアは彼女の体を支えるためにも、カラクリを使って最善を尽くした」
いつだったか、ウルティアが貴人と会うことに慣れていると言っていたことをカザムは思い出す。あれは王妃をサポートするために、王宮に出入りする経験があったということだったのだ。
「ウルティアが悪いわけじゃない。彼女は体の一部を失った人のために一生懸命義肢を作り、聖女にしか治すことができない不治の病にも必死で立ち向かった。私も色々と調べたが、一時は『聖女の代行』とまで囁かれたそうだ」
クラウスの話は続く。
「最期に妃から礼を言われてしまったと言っていたから、彼女も自分がやったことは全てが間違いだとは思っていない。救われている人も必ずいるんだ。だが、そうだと分かっていても、自分にはもうどうしようもなかったんだろう……」
自暴自棄になって横断ルートを通って来たと言ったウルティア。一体彼女はどんな気持ちで、魔獣たちの住処を横切って来たのだろう。
もしかすれば、自分と同じようにいっそのことこの世から消えてしまいたいと思ったかもしれない。あるいは、出会す魔獣たちに、お前たちのせいでこんな目にあったと憎悪を抱いたかもしれない。
時々「聖女なら」と口にするウルティアが、どれだけその存在を望んでいるか。
カザムには計り知れなかった。
「……ウルは、自分がアルサールを出たのはあの国が優し過ぎたからだと言っていました」
俯いて、右手でどうしようもない感情を握りしめ。彼は静かにクラウスに言う。
「国王から、よく尽くしてくれたと褒美を与えられたが、全て城の部屋に置いて出て来たそうだ。……それが、ウルティア・ユーゴなんだよ」
カザムはもうそれ以上ウルティアのことは何も聞かなかった。
もう、十分だ。話を聞いているだけの自分ですら胸が潰れるような思いになるのなら。これ以上本人がどれだけ大変な思いをしたのか聞くなど、愚問としか思えない。
「お前を彼女の護衛役につけたのは、〈竜殺し〉の英雄を優遇するためではない。痛みを知っているハイトだからこそ、ウルティアに大丈夫だと言ってやって欲しかったんだ。……まだこの任務、引き受けてくれるか?」
クラウスの双眸に見守られて、カザムは顔を上げる。
「ハイ。オレに、やらせてください」
彼女をひとりにしたくない。これ以上彼女を苦しめることは、全て排除してやりたい。何より、他のやつになんか励まされて欲しくもない。
カザムは誰にも彼女の隣を譲る気はなかった。
「頼んだぞ」
彼の決意を見たクラウスは、ゆっくり首を縦に振る。
***
チクタクと時計の針が時を刻む『修理屋』で、ウルティアはいつものように作業服を着てカラクリと向き合っていた。
カザムは急用ができたと言って、朝食を食べた後すぐにここを出ていってしまったので今は店にひとりだ。彼が来る前まではこれが当たり前で、自分ひとりだからと食事を省いていたことがずっと昔のことのように思える。
共にいる時間が長くなるほど、彼といるのは安心できて。
昨日、怪我の跡をみるまで、こうして一緒に暮らすことが当たり前ではないことを忘れていて唖然とした。
『あなたのせいで、彼はッ——』
そう言ってしがみつき、深く苦々しい恨みを自分に向けて泣くのは、温厚で人想いの優しい嫁さんだと評判の女性だった。綺麗な顔をぐちゃぐちゃにして、この世の終わりだと言わんばかりの慟哭が今でも耳から離れない。
もう三年も前の出来事はずなのに、ふとした時、嫌というほど鮮明にあの時の記憶が蘇る。
ウルティアは作業していた手を止めて居た堪れない記憶に顔をしかめ、グッと目をつぶってこの名状し難い苦い感情が収まってくれるまでやり過ごす。
そしてこの記憶を思い出す度に、自分が良かれと思ってやっていることは、必ずしも正しいことではないのだと、釘を深く心に刺した。
でも、そうすると決まって頭にちらつくのは、
『ありがとう。ウル』
こんな自分にありがとうと感謝を伝えてくれたアルサール王妃の最期。
ウルティアの脳裏には一年ほど前の出来事が蘇る。
『……ッ。メリッサ……』
息を引き取った王妃の前で、男の小さく震えた声が、静まりかえった気品あふれる広い寝室に染み込んでいった。天蓋付きの大きなベッドに横たわる美しい女性は安らかな表情だが、二度とその目を開くことはない。
三十歳。まだまだ若く、この国に必要な女性だった。
彼らの別れを看取った家族や薬師、魔術師、従者たちは堪えきれない涙をその瞳に溜めながら、ひとりまたひとりと静かに退出していく。その部屋に残されたのは、永遠の眠りについた彼女の夫と幼き息子だけだった。
最後に部屋を出たウルティアは、いつもより重く感じる厚い扉を閉めながら、最愛の人を失った男の心細い背中と慟哭をみた。
彼女はグッと唇を噛み締める。そしてパタンと扉が閉まる音と同時に、その緑色の目からはとうとう涙が流れ落ちた。
そんな彼女の背中には、慰めるようにして優しい手が置かれる。
『ありがとう。ウルティア。お姉さまが笑っていられたのはあなたのお陰だわ』
『そんなっ、わたしは何もーー』
ウルティアは振り返って固まり、息を呑む。
それは今しがた姉を亡くしたその女性が、慈悲に満ちた哀しい目をしていたからだ。
周りにいる他の者たちも、誰もがウルティアに労いの眼差しを送っている。
ーーただ、その表情はあまりにも優しすぎた。
『何で……わたしは、王妃さまをお助けできなかったのにッ……』
ウルティアは、この国の王妃であるメリッサを助けることが出来なかった無力な自分を責めて欲しかった。お前のせいで彼女は助からなかったのだと、罵ってくれればどれ程よかったことか。しかし、誰一人としてウルティアを責める者は、そこにいなかった。それが逆に彼女を苦しめるとは知らずに。
不治の病だった。
聖女がいないこの世界で、メリッサが死んだのは、仕方がないことだった——。
その暗黙の諦観に、彼女の胸はぎりぎりと締め付けられる。何も言葉は出てこなかった。
そして、それがまたウルティアを惨めにさせる。沈黙は肯定と同じだ。自分でも、メリッサを助けることが出来ないのは仕方がないことだと思っていたという、その証明だ。
深慮の瞳が注がれる中、言葉の代わりに出てくるのは、悲しみと悔しさから溢れる涙だけ。
(わたしはまた、助けられない……)
ウルティアの拳に、力がこもった。
救えなかった自分が泣くな、と彼女は自分に言い聞かせるが、瞼に乗った滴はポトリポトリと落ちて服に染みを作った。
人の死を見ることは、これが初めてではなかった。しかしそれでも、この出来事はウルティアにとってはもう割り切って受け止め切れるものではなかった。
一年前に失った〈鎧組〉の狩人たちに続いて、この国の王妃まで。
彼女には全てを受け止めてひとりで立っていられるほど、余裕はなかった。
それはまるで重い、重い、杭を胸に刺されたような感覚だった。穴が開くだけなら、他の何かで埋めて来られたというのに、この世の理が産んだ冷たい杭はちょっとやそっとじゃ抜けそうにない。無理やり抜こうとするならば、酷く痛みを伴いそうなカエシまで付いている。
ーー苦しかった。息が詰まる。
自分は所詮、人より少し治療の知識を多く蓄えた常人でしかない。
聖女のように、失った視力や聴力、肉体を与えることはできないし、ましてや不治の病を治すことなどできない。
ウルティアの母親は、ありとあらゆる手段をもって人を癒し整える「整体術師」だった。幼いときから彼女も、母親から厳しくその知恵を学んでいた。
薬の調合に、傷の縫合。時には特殊な能力をもった精霊石を応用して治療にあたり、歴代の聖女たちが残した言葉、文献を手がかりに沢山の治療法を研究……。
何年も前から注ぎ足しながら受け継がれてきた知識を習得したウルティアだが、自分をむしばむその苦しみを消し去る術を知らなかった。
アルサール王国王妃メリッサが崩御して五日後。
彼女は「お世話になりました」という短い置き手紙と、与えられた報酬のほとんどを居城に残して故国を去った。
あの時はただ、自分のことを誰も知らない場所へと行きたかった。王妃を助けられなかった自分には、もう国にいる資格などないと思った。さらに言えば、一体どんな顔をしてあの国で生活すれば良いかウルティアには分からなかった。
(陛下は元気にされているだろうか……)
目を瞑り、離れた故郷の王を想う。
自分がそんなことを考えることすらおこがましく思うが、どんなに離れても過去は振り切れるものではなかった。
ウルティアが城に呼ばれたのは、だんだんと弱っていく王妃を少しでも楽にしてあげたいという、国王レオニードの藁にもすがる思いがあってのこと。
彼は〈鎧組〉のことはお前のせいなどではないと、何度も言ってくれた。
家に居場所がなくなったことを知り、城に部屋まで与えて、今度は妻のために力を貸してくれと言ってくれた。
(わたしはその期待を裏切った)
もうこの国にはいることが出来ないと、そう思った。祖国を発ったことに後悔はない。
だが、
「……どこにいっても、わたしは聖女さまにはなれないんだなぁ」
ウルティアは完全に作業が止まった手を、顔に押し付ける。
どんな傷や病も治せる聖女になれたなら。
自分は狩りに行くカザムを、自信をもって送り出せるのだろうか。
(狩人なんて辞めて、ずっと側にいてくれればいいのに……)
醜い感情が顔を覗かせて、彼女は唇を噛み締めた。




