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第二十四話 カルネイル渡河戦 -1-

 誰かが額に触れている。


 暗闇の中でまず感じたのは、温かく柔らかな指先の存在だった。深い穴に落ちた人間が偶然垂らされた縄を掴むように、ハキムは朧げな触覚を手繰り、徐々に意識を浮上させていった。


 やがて到達する無意識の天井。それを通過すると、ハキムの思考や五感が少しずつ輪郭を取り戻していく。


 頭も目蓋も酷く重かった。暗闇の引力をなんとか振り払って目を開けると、こちらを覗き込むリズの姿が映った。額に触れていたのは彼女の手だった。


「あ、起きた」


 ハキムは仰向けでベッドに寝ていた。まだ視界がぼんやりとしていて、状況がうまく把握できない。遅い時間帯であるのは間違いない。揺らめくランプの灯が昏い室内を照らしていた。


「……何日経った?」

 そう尋ねると、リズは怪訝な顔をした。


「なにが?」

「俺たちが分かれてから」


「丸二日ぐらいだけど、もしかしてずっと寝てたの? 呼んでも起きないからまた毒でも盛られたのかと思った。毛布も掛けてなかったし」


「ああ……」


 身体の各部が痛いのは、二日間ずっと同じ姿勢でいたからだろう。こうなるのなら、もう少しましな姿勢になってからはじめればよかった。


 幻の中で斬られたり叩かれたりした部分は、特にどうともなっていないようだった。しかし致命傷を負ったときの感覚を思い出して、ハキムは顔をしかめた。


「ハキム、目が覚めたのか」

 椅子に腰かけて眠っていたらしいトーヤが、枕元に寄ってくる。


「よう」

「ウェルテアと取引しただろう」


 彼の声には責めるような色があった。ハキムは少々ばつの悪い思いをしたが、正直にそれを認めた。


「けど、なんとか正気で戻ってきた。正気に見えるよな?」


「確証は持てないけど、多分ね。一度話したときには危険だと言っていたのに、なぜ相談もせずに……」


「心境の変化があったんだよ」


 首を曲げ、トーヤの方に顔を傾ける。彼のことだ、あえて詳しく尋ねるような無粋はしないだろう。同じ旅路を辿り、九割までは同じような体験をしているのだから、説明せずとも理解できる部分はあるはずだ。


「怒ってるわけじゃないよ。無事ならそれでいい」

 トーヤは半ば諦めたような顔で言った。


「とりあえず水をくれ。砂漠で飲まず食わずだったんだ」


 起き上がったハキムは水の注がれたコップを受け取り、渇いてくっつきかけた喉を潤す。ハートラッドの水は、ラウラのそれに比べて甘かった。


「それで、得たものはあったかい?」


 玻璃球を探すと、それは枕元に置いてあった。ふらつく頭を押さえながら身を起こし、胡坐をかいた脚の上に玻璃球を乗せる。見た目上、前と変わった様子はない。


 エーテルを流すための水路。ハキムは以前にウェルテアが言っていたことを思い出す。むんずと玻璃球を掴み、なにがしかの変化を期待してみた。手指がじんわりと温まるような感覚はあるが、それが自分の熱なのかそうでないのかは分からない。


「なにか感じるような、そうでもないような」


「もっとイメージして、ほら」

リズが横から言った。


「イメージ……」


「ある種のアーティファクトは意思のみで発動するの。ただそのためには単に念じるだけじゃなくて、強いイメージが必要になる。魔術師にとっては基本の技術だけど」


 普段やっているリズには容易なのだろうが、ハキムにとってはそうでない。自動的に力が使えるわけではないのか。わざわざ危険を冒したというのに不便なことだ。


 ハキムは先程まで見ていたラウラの景色を思い浮かべた。乾いたスラムに設置された深い井戸。そこから滾々(こんこん)と湧き出る水。昏い底から、徐々に揺れる水面が見えてくる。水位はさらに増していき、やがて縁から溢れる――


 一瞬、ハキムは自分の手と玻璃球の境界が消失し、両者が生ぬるい水として同化したような感覚を味わった。実際に混ざったわけではない。それはおそらく魔術的な変化だったのだろう。


「うお」


 ハキムは咄嗟に手を引いたが、玻璃球とはまだ青白く柔らかい光を放つエーテルの帯で繋がっていた。帯にはわずかな質感さえある。


 それは濃密な、不定形の力だった。絡めとるように指を動かすと、光の帯はゆるりと動いて渦となった。粗密を作り、凝って星々となる。玻璃球の外側に現出した小さな星渦。


『繋がったな』

 ウェルテアが、以前よりほんの少し現実感を帯びた声で言った。


「お前には色々と苦情があるぞ」


『だから姿を出さないことにした。しかし、お前が体験したことについて文句を言うのは的外れだ。それは我が与えたものでなく、お前の内側にあったものなれば』


「これでちゃんと、オヴェリウスの力を封じられるんだな?」


『あとは然るべきときにその意思を持て。細やかな手順を踏む必要はない』


「ふん」


 オヴェリウスに対抗しうるという力については今一つ信じきれないが、玻璃球はレザリアからここまで後生大事に持ってきたものだ。これで役に立たなければ、自分の失敗だと諦めよう。


 開いた掌を閉じると星渦はふわりと散り、空気に溶けてなくなった。ウェルテアの声ももう聞こえない。


「この二日間、なにか変化は?」


 玻璃球から注意を外し、ハキムは二人に尋ねた。リズとトーヤは同時になにかを言いかけて、互いに顔を見合わせた。


「じゃあ、私から。ハキムは寝ながらでいいから」


 ハキムは勧めに従い、再び横になる。腕を枕にして、ベッドに腰かけているリズの方に顔を向けた。相変わらず目蓋は重いが、寝るのは我慢する。


「一度、学院の魔術師に会ったの。学院を追われたんじゃなくて、元々ここの領主に仕えてた人。立場としては伝統派に近いと思う。まあ、これで復活派だったら、もうこの町は……って感じだけど」


 学院の魔術師は、キエス国外でもしばしば為政者の相談役となっている。当然、その思想は領主の態度に強い影響力を及ぼしていた。ハートラッドの魔術師が伝統派ならば、領主が易々とオヴェリウスに恭順を示す可能性も低い、ということになる。


「で、この人がなんでも儀式魔術の名手で、敵が攻めてきたときの対策も練ってるみたい。近くの町から、応援の魔術師も呼んでね。私も協力しないかって言われたけど、それは一応保留にしてある」


「儀式魔術?」

 ハキムは尋ねた。聞き慣れない言葉だった。


「儀式魔術っていうのは、前もって色々準備してから使う魔術のことね。たとえば石を飛ばすって言っても、素手で投げるのと、投石機カタパルトを使うのとじゃ全然違うでしょ? 


 準備と組み立てと、その他色々な不便と引き換えに大きな力が出せるっていうのが儀式魔術。根本的な仕組み自体は、普通の魔術とそんなに変わらない」


 仮にそれが戦の状況を一変させるほどのものならば、領主が魔術師を重用し、学院の顔色を窺うのも納得できる。


「もちろん、オヴェリウス側も使ってくると思うけど」


 現時点で言えるのは、普通の戦にはならないだろう、ということぐらいか。


「僕からも色々共有しておきたい」


 ハキムはごろりと寝返りを打って、椅子に座るトーヤの方を向いた。


「そういや、エシカは?」


「うん。とりあえず彼女は無事でいるよ。今は賓客として領主の城館にいる。僕は警護として、この二日間彼女にくっついてたんだ」


 本来ならば、ドウルがその役割を負うはずだったのだ。キエスから彼女を守ってきた騎士たちは、残念ながら誰一人としてハートラッドへは辿り着けなかった。しかし結果として、彼らは使命を果たしたのだ。


「まず僕らは、ここの領主に謁見したんだ。僕の見立てだと、ハートラッドの領主はかなりのやり手だと思う。エシカが持ってたキエスの紋章も一目で判別したし、オヴェリウスの脅威も十分に認識してるように見えた。もちろん、リズが会った魔術師の入れ知恵もあったんだろう。


 彼は兵を集めはじめてるけど、エシカと僕の話を聞いて、もっと数が必要だと判断したみたいだ。戦いは避けられない、ともね。それと、決してエシカを敵に引き渡したりしない、と約束してくれた。ハキム、僕はここの領主を信用できると思う」


 それは非常に重要な情報だった。ドウルが命を落としたシャラの町と同じ状況に陥るのは、なんとしても避けたい。


「兵力は」

 ハキムは尋ねた。


「まず、常備軍が二千」


「足りるのか?」


「多分足りない。ただ、町民から募る義勇兵と、傭兵もこれに加わることになる。それから近隣の諸領にも援軍を頼んでいるところだ。何人集まるかは、領主とエシカの政治力次第だけど」


 アンデッド兵を含むキエスの軍勢が、どれくらいの規模でここに向かってくるのかは分からない。しかしこれまでの旅路で背に感じてきた脅威を考えると、とても千や二千の兵で押し止められるとは思えなかった。


「それでも、ここは守るにいい土地だよ、ハキム。カルネイルは幅も広いし、流れも速い。アンデッドだけじゃなくて人間の軍勢にとっても、渡河は難しいはずだ」


「……なるほど」


 リズとトーヤの話を聞き、それを咀嚼するうちに、頭の重苦しさは幾分かましになった。ハキムはおもむろに身を起こし、ベッドの上で胡坐をかいたまま、二人の顔を交互に見つめた。


「俺はこの町を旅の終わりにしようと思う」


 二人は言葉の意味を測りかねたのか、揃ってきょとんとした顔になった。


「これまでぐるーっと逃げてきたが、オヴェリウスの勢いは止まりそうにない。追ってるのが玻璃球なのかリズなのかエシカなのかは分からんが、多分ゼントヴェイロまで逃げてもそこまで来るだろうし、ラウラまで逃げたところで変わらんと思う。俺たちの背後に死体の山を作りながらな」


 だから、とハキムは言葉を継ぐ。


「ここでオヴェリウスを倒す。先送りにすればするほど不利になる。追いつめられてからじゃ遅いし、なにより無様だろ。そうならないためには、前みたいな半端な形で追っ払うんじゃダメだ。滅ぼすか封印するかして、深淵アビスに送り返す」


 ハキムは宣言した。やや語調が強くなったのは、探求の旅(クエスト)から帰った興奮があるからかもしれない。しかしこれは、遅かれ早かれ為されなければならなかった決断なのだ。

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