第二十五話 カルネイル渡河戦 -2-
「決意に横槍を入れるようで悪いんだけど、オヴェリウスがこっちに向かうとは限らないんじゃないの」
リズが言った。その疑問にはトーヤが答えた。
「僕は来ると思うよ」
「なんで」
「オヴェリウスはキエス王家から王権を奪った。学院復活派の後ろ盾があるとはいえ、その行為は不当だと不満を抱く人間は多いはずだ。強大な魔術師とはいえ、王国全体の人心を掌握するのは不可能だろうからね」
「反乱が起こるかもってことでしょ? だったら、なおさら国元にいた方がいいんじゃない」
「国内の反乱分子は極端な話、全員殺すか、投獄してしまえばいい。けど、兵士はそうもいかない。前線の士気が下がれば戦が不利になるからね」
キエス本国と、苛烈な戦闘が予想される前線。簒奪者であるオヴェリウスが睨みを利かせておいた方がいいのはどちらか。
キエスは既に周辺地域を制圧しているだろうから、多少本国の内情が動揺したところで問題はない。しかし前線の兵士が造反したり逃散したりすれば、侵攻は大幅に滞ることになる。
そこで、オヴェリウス自らが参陣する。戦場において威光と武功を見せつければ、支配の正当性に対する疑いを払拭できるかもしれない。
ハキムはそこまで深く考えていなかったが、トーヤの予測はおおむね妥当であるように思えた。もっと理屈抜きに言うならば、自ら前線を駆け巡るくらいの覇気がなければ、一代で帝国を築くことなど不可能だろう。
だから、オヴェリウスは来る。ハキムは確信していた。実際の理由はこの際どうでもいい。
「……分かった。それなら、私も信じる」
「それからハキム。僕も君の意見に賛成する。ここで因縁を終わらせよう。ネウェルやカラマスで起こったようなことを繰り返しちゃいけない」
「お前は逃げてもいいんだぜ、リズ」
ハキムは意地の悪い表情で言った。しかし彼女がその勧めに従うだろうとは、はじめから思っていなかった。
「ここまで来たら、もう弱気になんてなってられない。ねえハキム。私とはじめて会ったときのこと、覚えてる?」
「ロマンチックな話か?」
「違う。あなた、誰を仲間にするかのリストを見てた」
ああ、とハキムは当時のことを思い出した。黄金探しの仲間を募っていたときのことだ。腕は立ちそうだが気性の荒そうなリズは、はじめ候補から外れていた。
「そこに私が声をかけた。要するに、私がこの冒険をはじめたの。それからトーヤに声をかけて、このパーティーが結成されたんでしょ」
「うん? うーん……」
「それに元々オヴェリウスのことを調べていたのは私なんだから、最後まで顛末を見届ける義務がある」
彼女の主張が正しいかどうかは置いておいて、決意のほどは伝わった。
「まあ、そういうことにしておこう。死ぬかもしれないが、いいのか」
「それは今更ね」
ああ今更だ、とトーヤも頷いた。
「そうか」
そうか、とハキムはもう一度口にした。いい仲間だ、と思った。
「そうと決まれば、色々準備をしないとな。こればっかりは無茶と気合でどうにかなる話じゃない。俺はただの盗賊だが、二人にはコネがある。必要なお膳立ては、面倒がらずにやってもらうぜ」
◇
キエス軍が南下しはじめたとの報が入ったのは、それから三日が経ったころだった。相前後して、ネウェルの西に展開していたポート公国の主力軍が敗北した、という知らせも舞い込んできた。全滅こそ免れたものの前線は崩壊し、再編には時間がかるだろう、とのことだった。
ある程度覚悟していたこととはいえ、町民の動揺は大きかった。少なくない者が戦火を逃れるために住処を離れた。ハートラッドの守備隊とその友軍が邪悪な兵団を打ち破るはずだ、と力強く主張する者もいたが、それもどこか白々しい響きを伴った。
ハキムは一度、リズを連れて町の周辺を偵察した。張り巡らされた防御施設と、地形を把握するためだった。
先日見た通り、町の北側は大河カルネイルと幅広の防壁、そこに備え付けられた投射兵器によって守られている。比較的手薄だと思われた町の東西には、騎兵の突撃に備えた馬防柵が設置されていた。細い丸太を互い違いに組み合わせ、直線的な移動を邪魔するための障害物だ。
そしてこれらの周囲には、しばしば古代文字が書かれた木や陶器の板が置かれていた。文字の中には、防壁の石に直接刻まれているものもあった。
それらを読んだリズは、儀式魔術によって夜の火を灯すための準備だ、と言った。ハキムたちがネウェルから持ち帰った知識は、こうして確かに継承され、実戦で大規模に活用されることになったのだ。
一度はカルネイルの対岸まで足を伸ばし、解体中のティンザー砦も見に行った。敵国のスパイではないかと疑われたが、そこはリズがなんとかとりなしてくれた。砦を囲んでいた堀はすっかり埋め立てられ、防壁や建物はもはや防御施設としての用を為さないほどに破壊されていた。
「ハキム、あの手袋貸してくれない? 熱に強いヤツ。火狐だっけ」
偵察を終え、宿で夕食を摂っていたとき、リズが思いついたように言った。
「狐じゃなくて鼠。なにに使うんだ」
「試してみたいことがあるの。いざというとき、きっと役に立つから」
火鼠の手袋はハキムが持つアーティファクトの一つだ。それには熱や冷気を通さない特別な魔術が掛かっていて、たとえ火竜の息に晒されても燃えることはない。あまり気軽に貸せるようなものではないが、目的達成の足しになるのであれば、とハキムは了承した。
「刃とか針は防げないからな。穴空けるなよ」
夕食後、ハキムたちは部屋に戻り、描いたり買い求めたりした地図を並べながら、偵察で集めた情報をまとめた。そのうちトーヤが帰ってきて、作戦会議に加わった。
「エシカは頑張ってるよ。こんな政治の場に出るなんて、本当はもっと先のことだったろうに」
彼女は近隣からやってきた援軍の指揮官や、ハートラッドの有力者たちと連日会合を繰り返しているという。そこでキエスの現状を訴え、グランゾールに野心を抱くオヴェリウスの脅威を説いているのだ。
味方の団結を強めることで、保身に駆られた裏切り者が出るのを防ぐために。もしカラマスと同じようにアンデッドを引き入れられたり、キエス軍と対峙した際後ろから攻められたりすれば、戦の形勢は致命的に悪化してしまう。
そういったことを考慮に入れた上で、エシカは意識して哀れな亡国の姫を演じ、士気の維持に一役買っているのだった。
「それから、敵味方の情報も仕入れておいた」
トーヤは床に散らばった地図を指しながら、開戦時の布陣を予想しはじめた。
「偵察隊の報告によれば、国境に向かっている兵の数はおよそ二万四千」
「二万四千か……」
ハキムはその数を繰り返した。軍事の素人であっても、それが大軍であることは分かる。先日聞いたハートラッドの常備軍が二千人。これにしても決して少ない数ではない。
「そのうちキエスの正規軍が一万六千。アンデッドと思しき軍勢が八千。様子を聞くところによると、グランデやルトゥムもいる。ひとまずは分かれることなく真っ直ぐ進んできているようだ。五日か六日のうちには、カルネイルまでやってくる」
「味方はどれぐらいいるわけ?」
リズが尋ねた。
「まず、常備軍が二千。それからこれは見込みだけど、退役兵と有志から成る義勇兵が二千。かき集めた傭兵が二千。合計六千がハートラッド領主の指揮下に入る。
それから友軍だ。会戦までに間に合うのはおそらく四千くらいになるだろう。町を空にはできないし、上流下流から回り込まれるのを防ぐための偵察も必要になるから、実際は全員が戦闘に参加できるわけじゃない。だから僕らは一万に満たない軍で、二万四千からの敵と戦わなければならない」
「なんか奇策はないのかよ」
「ちょっと待ってくれ。これが一番重要な情報だ。報告によれば、キエス軍を率いる将の中に、キエス人らしからぬ銀髪褐色肌の偉丈夫がいたと」
ウェルテアに確認するまでもない。それがオヴェリウスだとハキムは確信した。やはり来たのだ。二万四千の軍を率いて、肥沃なグランゾールの地を席巻するために。あるいはエシカやリズ、玻璃球を狙ってのことか。
「もしハートラッドがこの戦に負けても、オヴェリウスさえ滅びれば、キエスの侵攻は止まるだろう。そこで、さっきの奇策だ」
トーヤは地図に描かれたティンザー砦を指さした。
「仮に、ここがオヴェリウスのいる本陣としよう。そのすぐ近くには渡河部隊が南向きに展開してハートラッドの防衛隊と向き合うことになる。一方で、本陣の北側は比較的手薄になるはずだ。そこを精鋭百騎と、志願した傭兵二百から成る部隊で奇襲する計画がある」
「たった三百? 奇襲にしたって無茶だろ」
「確かに奇襲部隊とは言いつつ、事実上の決死隊だ。でも失敗したときを考慮するとそれ以上は割けないし、多すぎるとそもそも奇襲が成立しない。
オヴェリウスを討てなくとも、渡河のタイミングで敵を混乱させれば最低限の成果にはなる。それにこの奇襲部隊には、オヴェリウスに対する奥の手が付くんだよ」
「それって……」
リズが察したような声で言った。ハキムも話の流れから、次の言葉が想像できた。
「ハキム、リズ。僕はこの奇襲部隊への合流を提案する。最短距離でオヴェリウスの喉元に迫るには、この方法しかない」
◇
酒場での喧嘩ならまだしも、アンデッド含む数万の大軍に躍り込むなど正気の沙汰とは思えない。しかし狂気の沙汰に至ることなくして、勝利を掴むことが困難なのもまた事実だった。キエス軍の南下が発覚してから到着までの数日で、ハキムたちは軍への根回しや各々の準備を整えた。
そんな中、エシカが突然、トーヤを伴ってハキムの部屋を訪問してきた。
「よう、元気だったか?」
ハキムが彼女に会うのはハートラッドに到着した日以来だった。そのときのエシカは薄汚れた旅装を纏っていたが、今は控えめながら立派な灰色のドレスに身を包んでいた。以前との落差も手伝って印象を鮮烈にしていたのだろう、その高貴で繊細な佇まいには目を瞠るものがあった。
「ええ、おかげさまで」
容姿のみならず、面構えもまた以前とは異なっていた。数日前まで憔悴と悲しみに彩られていた表情は、今や力強さと決意を湛え、どこか清々しい印象さえ与えるものになっていた。
「ハキム。トーヤから事情は聞いています。私は一つのお願いをするためにここに来ました」
「どうぞ」
エシカの雰囲気に若干圧されつつ、ハキムは傍らにいるトーヤをちらりと見た。彼は苦いような、困ったような顔をしていて、彼女のお願いとやらが中々に厄介なものであることを予感させた。
「奇襲部隊に加わるそうですね。私も一緒に連れて行ってください。自分の身は自分で守ります」
ハキムはエシカの眼を真っ直ぐに見た。エシカもまたハキムを真っ直ぐ見返した。
「オヴェリウスに一矢報いたいって?」
「そうです」
「生き残るのが自分の役割だって、納得したんじゃなかったのか」
「役割など思い込みだと言ったのはあなたですよ、ハキム。それにこの数日、私はできることをやり、諸侯は団結しつつあります。彼らは戦うでしょう。あとは私がいなくともなんとかなります」
「姫様が死んだらキエスはどうなる?」
「私が死んでもキエスは滅びません。しかしオヴェリウスを倒さなければ滅んだも同じです。……確かに道中は足を引っ張るかもしれません。でも、オヴェリウスにとって、私は利用価値のある存在だと思います。
だから、いざとなれば私を人質にとって、一瞬の隙を作るのに使ってもらっても構いません」
多分、このあたりの問答は既にトーヤとも交わしたあとだろう。エシカの答えに迷いはなかった。ハキムとしても、役割うんぬんやキエスの情勢を本気で心配しているわけではない。彼女の覚悟に矛盾がないか、ほんの少し確かめただけだった。
「分かった。連れていく」
「ハキム……」
リズが心配そうな声を上げた。
「エシカが決めたことだ。それに、覚悟がありゃできることもある。せいぜい、オヴェリウスを驚かせてやろう」
◇
カルネイル河畔における会戦の準備は、徐々に整いつつあった。オヴェリウス率いるキエス軍は文字通り無人の野を進み、二万四千の大勢力をもってティンザー砦の跡地周辺に布陣した。その一角には噂通り、不穏に蠢く巨人や不定形の塊が在る。
カルネイル南岸のハートラッド周辺に展開するのは、領主ティグリット麾下の正規兵二千、義勇兵二千、傭兵二千、それに西部グランゾール諸侯からの援軍四千から成る計一万の軍勢である。幅の広い河と周到に用意された防御施設で、渡河してくる敵を迎え撃つことになっている。
両軍は河を挟んで丸一日睨み合った。ハートラッド周辺は晴天続きだったが、ネウェル方面では雨が降ったらしく、河の水位は数日の間に若干ながら増していた。
ハートラッドの守備隊から選りすぐられた騎兵と、命知らずの任務に志願した傭兵たちは、敵軍到着の二日前から北岸に渡っていた。ティンザー砦の西方向、敵軍を視界に収める小さな林を隠れ蓑に、夜間も火を焚かず、用便にも気を使い、事前に発見されないようじっと身をひそめる。
そして衝突が目前に迫った昼、ハキムたちに声をかけてくる男がいた。
「驚いたな、なんでお前らがここにいる?」
キエス王家の人間がいるとなればまず間違いなく騒ぎになるので、他者との関わりは極力避けていた一行だったが、直接声を掛けられれば無視するわけにはいかない。やむなくフードを上げたハキムの目前にいたのは、意外な、しかし覚えのある人物だった。
林の中は薄暗く、人相に確信は持てなかった。しかし不精に生やした茶色い髭と、ごつごつした手に握られた短槍は、ハキムにレザリアでの探索行を思い起こさせた。
「クーパーか?」
クーパーはハキムと同じような時期にアルムを訪れていた傭兵で、五人の仲間とともにレザリアへと潜り、遺跡の崩壊まで生き残った腕利きの人物だった。
彼の小さな傭兵団は、ハキムたちにとって黄金を狙う商売敵であると同時に、危険の多い遺跡を共に攻略する戦友でもあった。
ハキムたちがいなければ彼ら全員がレザリアから生還することはなかっただろうし、彼らがいなければ、ハキムたちは今もアルムの土の下に埋まっているだろう。
「ここに開けるような鍵はないと思うがね、〝マスターキー〟」
「鍵はないけど因縁があんだよ。お仲間も来てるのか?」
ああ、と応じてクーパーが顎で示した先には、それぞれの武器を持った男たちがいた。長剣を持っているのはティンという男だ。他の四人も以前に名前だけは聞いていた
顔を戻したクーパーの目線がエシカに留まったのに気づき、ハキムは沈黙のジェスチャーで釘を刺す。
「隠し玉だ。秘密にしといてくれ」
「そのコも魔術師か? 別にお前らを心配するわけじゃないが、今回ばっかりはかなり過酷だぜ。なんたって万からの敵陣に突っ込むんだからな。奇襲とはいえ、囲まれて全滅ってのも十分ありえる。金貨四十枚だって、本当は安いぐらいだ」
「オヴェリウスの首を取ればきっとその百倍は貰えるぞ」
「レザリアといい、つくづく縁があるな。お前らもその口か」
「そんなとこだ」
「蘇った古代の皇帝なんだってビビってるヤツもいる。けど、アンデッドがいるんだからそんなのは今更の話だ。せいぜい現代を生きる人間の糧になってもらおうぜ。……ああ、うるさいのが来やがった」
周囲を見回りながら、こちらをじろりと睨んだのはキエス軍の部隊長だった。敵の本陣から離れているとはいえ、騒ぎを起こせば気づかれるかもしれない。お喋り一つに神経を尖らせるのも致し方ないことだ。
「じゃあな。ハキム、リズ、トーヤ、それから可愛いお嬢さん。健闘を祈るぜ」
「あの……お気をつけて」
座ったまま顔を伏せていたエシカが、おずおずとクーパーに声をかける。それを聞いた彼はにやりと笑って一行に背を向け、右の拳を軽く上げてささやかな励ましに応えた。
「カッコつけてやがる」
「それくらいはいいじゃないか」
クーパーの背を見送りながら、トーヤが苦笑混じりに言った。




