木漏れ日亭殺人事件
今日の舞台は昼下がりの宿屋!
美味しい料理に囲まれ、友達と楽しく過ごすはずだった時間は、大きな物音で一変した!
悲鳴が響き、店内が騒然となる中、一人の少年が立ち上がる!
たったひとつの真実を見抜く、見た目は子供、頭脳は大人。
その名は――!
「レオ?」
「へ?」
突然名前を呼ばれて、俺は我に返った。
隣を見ると、リリアが不思議そうな顔でこちらを見ている。
「さっきから何を一人でぶつぶつ言ってるの?」
「あ……いや、なんでもないよ」
「そう?」
◇
「それじゃあ、試食会を始めるぞ!」
リリアのお父さん、ルドガーの声が響き、俺たちはテーブルへ視線を戻した。
目の前には、今日のために用意された料理が次々と並べられている。焼いた肉に野菜料理、スープ、それから果物を使ったデザートまであり、どれも宿屋の料理としてはかなり手が込んでいるように見えた。
「おお……」
カイルの目が輝いている。さっきまで計算の授業で死にそうな顔をしていた少年とは思えないほど、生き生きとした表情だ。
「そんなに嬉しい?」
「だって肉がいっぱいあるんだぞ!」
「カイルは本当に肉が好きね」
「美味しいからな!」
リリアが呆れたように笑う。俺も思わず笑いながら料理を見る。
「さあ、遠慮せずに食べてみて!」
「いただきます!」
リリアの母、エミリに促され、俺たちは揃って料理に手を伸ばした。
「うまい!」
真っ先に声を上げたのは、やはりカイルだった。
「本当ね。これ美味しい!」
リリアも嬉しそうに頬張っている。俺も一口食べてみた。
……うん。美味しい。味付けもしっかりしているし、肉も柔らかい。
新作料理としてはかなり完成度が高いんじゃないだろうか。
「どうだ?」
ルドガーが期待に満ちた顔で俺たちを見ている。
「美味しいです!」
「そうか!」
その顔がぱっと明るくなった。
その後も俺たちは料理を次々と口に運び、どれが美味しいだの、もう少し塩っぱい方がいいだの、六歳児なりの感想を言い合いながら試食を続けていた。
平和だ。実に平和な昼下がりである。このまま全部食べ終わって、みんなで美味しかったねと言って帰る。
俺はそんな未来を疑っていなかった。
だからこそ、その瞬間は突然だった。
――ドォンッ!
突然、宿の二階から大きな物音が響いた。
俺たちはもちろん、近くにいた客たちも一斉にそちらへ顔を向ける。
「な、何の音だ!?」
カイルが椅子から半分立ち上がり、リリアも驚いた顔で二階のほうを見る。
俺も反射的に音のした方向へ視線を向けた。
すると、間を置かずに――。
――ガシャァンッ!
今度は何かが割れるような音が響いた。さすがにただ事ではない。
店内にいた客たちもざわめき始めている。
「二階の部屋だ……!」
ルドガーが二階に向かい、俺たちもその後を追って階段を駆け上がる。さっきまでの試食会の和やかな空気は完全に消え去っていた。
二階の廊下に出ると、音のしたと思われる部屋の前でルドガーが足を止めた。
「お客さん!大丈夫ですか!?」
ノックをして部屋に入ろうとするも、扉は開かない。
「鍵がかかってる……」
「お客さん、大丈夫かしら……」
エミリが不安そうに尋ねる。
俺は扉に近づき、耳を当ててみた。
……静かだ。さっき、あれほど大きな音がいたというのに、中からは何も聞こえてこない。
「おじさん、開けられないの?」
「合鍵はあるけど……」
「持ってきて!」
「わ、わかった!」
俺がそう言うと、ルドガーが鍵を取りに駆け出していく。
残された俺たちは、閉ざされた扉を見つめた。
「中で何が起きたんだろ……」
「さあ……」
答えながら、俺も少しだけ緊張していた。
やがて、合鍵の束を握りしめたルドガーが戻ってきた。息を切らしながら鍵穴に鍵を差し込み、ゆっくりと回すと、カチャリ、と小さな音がする。
「開けるぞ……」
俺たちは固唾をのんで見守った。
そして――ゆっくりと扉が開かれる。
その瞬間、俺たちの目に飛び込んできたのは――床に倒れている一人の若い青年だった。
「えっ……!?」
エミリが声を上げる。部屋の中はひどい有様だった。
椅子は倒れ、荷物は床に散らばり、水差しが割れて水が床一面に広がっている。その中央には宿泊客の青年が倒れており、頭の近くには割れた水差しの破片が転がっていた。
窓は大きく開かれ、カーテンが風に揺らいでいる。
一瞬、誰も声を出せなかった。俺も思わず息を呑んだ。これは……。どこからどう見ても、事件現場である。
「お客さん!」
ルドガーが慌てて青年に駆け寄る。
楽しい試食会は、いつの間にか、とんでもない事件現場に変わってしまったらしい。
◇
部屋の中で倒れていた青年は、すぐに木漏れ日亭に居た人達によって運び出され、近くの治療院へと搬送された。
幸いにも呼吸はあり、外傷もそれほどひどくはないらしい。とはいえ、頭を強く打って意識を失っている以上、念のためしっかり診てもらう必要がある。
青年が運び出されたあと、木漏れ日亭には別の緊張感が漂い始めた。
事件の可能性があるからと、ルドガーは衛兵隊詰所へ連絡に行ったらしい。ほどなくして、ルドガーと数人の衛兵が木漏れ日亭へやってきた。
俺たちは邪魔にならないよう廊下の端へ移動し、衛兵たちが部屋の中を調べていく様子を眺めていた。
衛兵の一人が難しい顔をしながら室内を見回している。
「誰かが窓から侵入した可能性は?」
「ありません」
別の衛兵が窓を確認して首を横に振った。
「この部屋は二階です。外からも確認しましたが、外壁を登った形跡もありませんし、床がこれほど濡れているのに、窓の周囲にも足跡はありません。それに今は昼間ですからね。それに、この部屋は宿の正面側ですし、窓も通りに面しています。窓から人が出入りしていたなら誰かしら見ているはずですが、目撃者は今のところいません。」
確かに宿の前には大通りがあり、人通りも少なくない。
白昼堂々、二階の窓から人が入ってきたり、そこから逃げていったりすれば、さすがに目立つだろう。
当然、そんな目撃証言など出てくるはずがない。それなのに部屋の中は荒れていて、青年が倒れていた。
そして部屋には鍵がかかっていた。衛兵たちは腕を組み、真剣な顔で考え始めた。
「……内部犯か?」
「内部犯?」
「外から侵入した形跡がない。それでいて室内この状況だ。ならば、最初から宿の中にいた人間が関わっている可能性がある」
なぜか話はどんどん物騒な方向へ進んでいった。
衛兵がルドガーへ視線を向ける。
「この部屋を開けるためには鍵が必要だったんですよね?」
「ええ」
「そして、合鍵を持っているのはあなただけ……」
「そうですが……」
「つまり、ルドガーさんなら自由にこの部屋へ出入りできた、と」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
エミリが慌てて手を上げる。
「夫は犯人じゃありません!物音がした時、一階の食堂で一緒に試食会をしていたんだから!」
「奥さん落ち着いて、まだ犯人と決まったわけでは――」
「ほとんど犯人扱いじゃない!」
俺は思わず額を押さえた。
俺たちはただ新作料理を食べに来ただけだったはずなのに、いつの間にか本格的な事件捜査の真っ最中である。
カイルを見ると、彼も完全に困惑していた。
「レオン……これ、本当に事件なのかな?」
「うーん……どうだろ」
犯人の有無はどうあれ、少なくとも被害者の青年は生きているのだ。気絶して治療院へ運ばれたのだから仕方がないのだが、本人が目を覚ませば何が起きたのかすぐに分かるのではないだろうか。
もしここに、「あれれー?おかしいぞー?」が口癖の頭の切れる子供の名探偵がいれば、その前に解決してくれているかもしれない。
そんなことを考えていたときだった。
「戻ってきました!」
階段の下から衛兵の声が響いた。
全員が一斉に振り返ると、そこには、治療院から戻ってきた青年の姿があった。頭には包帯が巻かれているものの、自分の足で歩いている。
どうやら大きな怪我ではなかったらしい。
衛兵たちが一斉に青年へ近づいた。
「大丈夫ですか?」
「はい……。頭は少し痛いですけど、もう大丈夫です」
「何があったのか覚えていますか?」
青年は少し考えるように眉を寄せたあと、あっさりと答えた。
「ええ。床に散らかった荷物を片付けようとしていたんです」
「荷物を?」
青年はそこで少し恥ずかしそうに俯いた。
「はい、そのとき足を引っかけて、盛大に転びまして」
「……はい?」
衛兵たちの動きが止まった。
青年は自分の頭を指差した。
「その拍子に、テーブルの水差しが落ちてきて、頭に当たったんです」
沈黙。
そして何とも言えない空気が漂う。
「それで、そのまま気を失った……と?」
衛兵が恐る恐る確認する。
「はい」
青年は恥ずかしそうに頬をかきながら頷いた。
「お騒がせしました。 すみません……」
また沈黙が落ちた。さっきまで内部犯だの密室トリックだの、合い鍵を持つ宿屋の主人が怪しいだのと議論していた衛兵たちは、互いの顔を見合わせている。
そして、そのうちの一人が小さく咳払いをした。
さっきまでの緊迫した空気はどこへやら、衛兵たちは何とも言えない表情になっている。
一人は頭を掻き、もう一人は床を見つめ、さらにもう一人は何事もなかったかのように咳払いを繰り返していた。
「……名探偵、必要なかったな」
思わず小さく呟くと、隣にいたカイルが首を傾げた。
「めいたんてい?」
「いや、何でもない」
こうして木漏れ日亭の密室事件、いや、そそっかしい青年が起こした事故は、無事に解決したのだった。




