心臓を射抜く音
その日の昼過ぎ、母さんに連れられて、俺とルークは市場へ買い物に来ていた。
オルテンシアの市場は昼を過ぎても多くの人で賑わっている。
野菜や果物を売る店、肉を売る店、干した魚を並べている店に、パンや日用品を扱う店など、様々な屋台が所狭しと並び、通りのあちこちから店員たちの威勢のいい呼び声が聞こえてくる。
「今日は何を買うの?」
ルークが母さんを見上げながら尋ねる。
「夕飯の材料と、それから果物も買いましょうか」
「果物!」
母さんの答えを聞いた瞬間、ルークの顔がぱっと明るくなった。どうやら今日の買い物で一番楽しみにしているのは果物らしい。
俺も果物は好きなので異論はない。ただ、俺には果物とは別に、こうして市場へ来たときのちょっとした楽しみがある。
◇
「はい、どうぞ」
母さんの代わりに店のおばさんからパンを受け取ると、俺はにっこりと笑い、元気いっぱいに感謝を伝える。
「ありがとう!」
「おや、可愛いらしい子だね。これ、少しおまけしてあげる」
「本当!?」
どうやら効果は抜群だったらしい。俺は目を輝かせ、嬉しそうな顔を作る。
「ありがとう、お姉さん!」
「まあ!お姉さんだなんて! ほら、これも持っていきなさい!」
「わあ!」
なんと、さらにおまけが追加された。……よし。完璧だ。俺は心の中で小さくガッツポーズをする。
別に悪いことをしているわけではない。ただ、六歳の可愛らしい少年という、この肉体が持つ可能性を最大限に活用しているだけだ。
四十歳のおっさんが同じことをやったら、たぶん笑顔ではなく警戒した目を向けられていただろう。下手をすれば通報されるかもしれない。
だが、今の俺なら違う。子どもというだけで周囲の警戒心は驚くほど低くなるし、ましてや素直に笑って「ありがとう」なんて言えば、大抵の人は嬉しそうにしてくれる。
つまり――。可愛いというのは、それだけで強力な武器なのである。
「すいません、ありがとうございます」
隣で見ていた母さんが、少し苦笑しながら言う。
「いいのよ、また来てちょうだいね」
「ふふっ。よかったわね、レオ」
「うん!お姉さん、またね!」
そう言って俺たちは次の店へ向かった。
そして、そこでも俺は大活躍だった。
「坊や、母ちゃんの手伝いか?偉いねぇ」
「うん!」
「ほら、これ少し余ったから持っていきな」
「本当? お兄さんありがとう!」
今度は肉のおまけまでゲットした。……素晴らしい。
この世界に転生してから六年。俺は一つの真理に辿り着いている。可愛いは正義だ。これは間違いない。
そして俺の隣には、もう一人、可愛い少年がいる。弟のルークだ。
俺は隣を歩くルークを見る。藍色の髪に、深い青色の瞳。素直で明るく、俺の言うことをよく聞く。
何より、俺のことを大好きだと言ってくれる。うん、かわいい。素材は完璧だ。
問題があるとすれば、本人がまだその魅力を理解していないことくらいだろう。
ならば、俺が教えるしかあるまい。そう心の中で決意したところで、ちょうど母さんが八百屋の前で足を止めた。
「レオ、ルーク。ちょっと待っててね」
「はーい!」
「わかった!」
俺とルークは店先で母さんを待つことになった。
そして俺は、隣にいる弟をちらりと見る。
……さて。まずは基本から教えるとしよう。可愛い弟の秘められた可能性を、俺が引き出してみせる。
母さんが店のおじさんと話している間、俺はルークの肩をそっと引き寄せた。
「ルーク」
「なに?」
「ちょっと教えることがある」
「お勉強?」
「違う」
俺は周囲を確認する。母さんは野菜を吟味したり、八百屋のおじさんと白熱した価格交渉をしていてこちらを見ていない。しばらく時間がかかりそうだ。周囲にも、俺たちを気にしている人はいない。
よし、秘密の特訓を始めよう。
◇
「いいか?首の角度はこうして、手の位置はここ!そして、ここで笑顔だ!」
「こう?」
「そう!でも、もうちょっとだけ口をこうして……」
「こう?」
「そう! 完璧!」
うん。これはいける。さすが俺の弟だ。素材がいい。俺は自信満々に頷いた。
そんな俺たちの様子に気づいたのか、八百屋のおばさんがこちらへ顔を向ける。
「あら、二人とも可愛いわねぇ」
おばさんが近づいてきて、ルークの頭を優しく撫でた。
「お嬢ちゃん……じゃなくて、男の子なのね。ふふっ、可愛いわね」
ルークは少し照れたように笑う。
「お姉さん、ありがとう!」
「あら!いい子だね。そうだ、これをあげるわ。見た目が悪くて売れないけど、味は保証するわよ!」
そう言って、おばさんは店先に並んでいた小さな果物をいくつか手に取ると、ルークへ差し出した。
「わあ!ありがとう!」
ルークが嬉しそうに受け取る。そして、俺を見る。俺は小さく頷いた。
――今だ。ルークは俺に教えられた通り、おばさんを見上げた。そして。
「これ、おいしそうだね!」
ニコッ。完璧だった。首の角度。手の位置。そして、笑顔。すべて完璧。
「ぐはっ……!」
「え?」
おばさんが胸元を押さえ、ルークが驚いた顔で首を傾げた。
「お姉さん?」
しかし、おばさんは答えない。そのまま数秒ほど固まったあと――。
「か、可愛すぎる……」
そう呟いて、力尽きたようにその場へ崩れ落ちた。
「お姉さん!?」
ルークが慌てて駆け寄ろうとする。だが、俺は冷静だった。むしろ、この瞬間を待っていた。俺は誰にも見られていないことを確認すると、口元を邪悪に歪める。
「……計画通り……!」
小声で呟いた。完璧だ。やはり俺の見立てに間違いはなかった。ルークには才能がある。しかも、この歳ですでにこれほどの破壊力。将来が楽しみだ。
「お兄ちゃん、お姉さん大丈夫かな?」
ルークが心配そうに俺を見る。
「大丈夫、大丈夫。きっと、ちょっと疲れてたんだよ」
「そうなの?」
「そうそう」
俺は何食わぬ顔で答えた。……まあ、実際には倒れるほど喜んでくれたのだ。たぶん大丈夫だろう。たぶん。
その後、母さんが買い物を終えるまで、俺たちは何事もなかったかのように大人しく待っていた。
母さんが八百屋のおじさんとの熱い価格交渉バトルを終え、戦利品を抱えてこちらへ戻ってくる。
「レオ、ルーク。待たせたわね」
「母さん!」
「あら、二人ともどうしたの?」
母さんが俺たちの姿を見て、目を丸くする。
俺とルークは、両手いっぱいに果物を抱えていた。
「いっぱいおまけしてもらっちゃった!」
「こんなにたくさん?」
「うん!お姉さんがくれたの!」
「そうなの?よかったわね」
そう言って、二人の頭を優しく撫でてくれた。
うん。母さんは何も知らない。知らなくていい。
「それじゃ帰りましょ、今日のおやつはパイでも焼きましょうか!」
「パイ!?」
「やった!」
俺とルークは顔を見合わせた。そして、ほとんど同時に笑った。
「帰ろう!」
「うん!」
俺たちは母さんと一緒に家へ向かう。両手いっぱいの果物を抱えて。
今日はかなりの収穫だった。野菜に肉に果物。しかも、かなりの量をおまけしてもらっている。
帰り道、俺は一つだけ釘を刺しておくことにした。
「ルーク」
「なに?」
「今日のことは、母さんには内緒な」
「うん!」
ルークは素直に頷いた。よし。これで大丈夫だ。俺は満足して前を向く。
隣ではルークが楽しそうに歩いている。その姿を見ながら、俺は密かに拳を握った。




