もしかして、「異世界転生」
眩しい。
最初に感じたのは、それだった。
閉じた瞼の向こうから差し込んでくる光が妙に眩しく、俺は重たい頭を動かしながら、ゆっくりと意識を浮上させていった。
身体全体が妙に重く感じる。昨日の仕事がよほど堪えたのだろうか。
午前五時過ぎまで仕事をして、そのままタクシーで帰宅し、ベッドに倒れ込んだのだから無理もない。
そう思いながら目を開けた俺の視界に入ってきたのは、見慣れたアパートの天井――ではない。
――あれ?
まだ寝ぼけているのかと思い、ぼんやりとした視界の中で周囲を確認しようとする。
しかし、そこで最初の違和感に気づいた。身体が思うように動かないのだ。
腕を動かそうとしても妙に力が入らず、身体を起こそうとしても、まるで自分の身体ではないかのように、思うようについてこない。
それでも何とか腕を動かしてみると、視界の中に小さな手が入ってきた。
「……?」
俺はしばらく、その手を呆然と見つめる。小さい。手のひらも、指も、自分が知っている四十歳の男のものとは到底思えない。
何かの見間違いではないかと思ってもう一度腕を動かしてみると、短い腕が持ち上がり、その先にある小さな手が、俺の意思に合わせるように開いたり閉じたりする。
俺は慌てて身体を起こそうとした。しかし、腹筋に力を込めたつもりなのに身体はほとんど動かない。
四十歳になってから体力の衰えを感じることは増えていたが、それでも俺の身体は、少なくともこんなふうに起き上がることすらできないほど衰えてはいなかったはずだ。
おかしい。そう思いながら、俺は試しに声を出してみた。
「……あぅ」
聞き覚えのない声が、自分の口から出た。
「あ……あぅ」
もう一度試してみても、結果は同じ。
頭の中に一つの可能性が浮かんだ。まさか、いや、そんなことがあるわけない。
しかし、今まさに身体が小さくなっていて、まともに声すら出せない。
――嘘だろ……俺、赤ちゃんになってる!?
そんな馬鹿げた結論しか残っていない。
自分でも信じられないし、むしろ信じたくない。
しかし、目の前にある小さな手も、自由に動かせない身体も、赤ん坊のような声しか出せない声帯も。
そのすべてが、俺の出した結論を否定するどころか、むしろ肯定していた。
――もしかしてこれ、異世界転生ってやつか?
WEB小説を読んでいた頃には、何度も見た展開だった。
ブラック企業で働いていた主人公が死んでしまい、気がつけば異世界で赤ん坊として生まれ変わっている。
そんな物語を読んでは、「そんな都合のいいことがあるかよ」と笑っていたものだ。
まさか、それを自分が体験することになるとは――。
そんなことを考えていると、不意に扉の開く音が聞こえた。
「まあ。起きたのね」
女性の声だった。
俺は反射的にそちらへ目を向ける。そこに立っていたのは、見知らぬ女性だった。
長い藍色の髪に青い瞳。整った顔立ちで、年齢は二十代後半から三十代くらいだろうか。
かなりの美人だが、少なくとも俺の知っている日本人ではない。
女性は俺が起きていることに気づくと、嬉しそうに微笑みながら近づいてきた。
「おはよう。レオ」
そう言って、女性は俺をそっと抱き上げた。
自分では身体を起こすことすらできなかったというのに、女性は驚くほど簡単に俺を持ち上げ、そのまま胸元へ抱き寄せる。
「よく眠っていたわね」
耳元から聞こえてくる優しい声に、俺は何も言えず、ただ女性の顔を見つめていた。
女性は嬉しそうに笑っている。その表情を見ていると、まるで自分のことを心から大切に思ってくれているような、そんな温かさが伝わってくる。
俺はこの女性を知らないが、向こうは俺を知っている。そして俺を見て、「レオ」と呼んだ。
それは俺の名前なのか。というか、なぜ言葉がわかるのか。これが噂に聞く転生特典と言うやつか。
俺が混乱していると、今度は廊下から大きな足音が聞こえてきた。
「起きたのか!」
次の瞬間、勢いよく扉が開く。
入ってきた男を見た俺は、思わず目を見開いた。
――でけぇ!?
身長も高いが、それ以上に身体そのものが大きい。肩幅が広く、腕も太い。
服の上からでも鍛え抜かれた肉体がはっきりと分かるほどで、暗い赤色の短髪と、紅い瞳も相まってかなりの迫力がある。
そして、その大男は嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「レオ!」
女性に抱かれている俺を見つけると、まるで子供のように顔を輝かせる。
「ほーら、父さんだぞ!」
どうやら、この男が父親らしい。そして、俺を抱いているこの女性が母親。
つまり俺は、本当に赤ん坊として生まれ変わったらしい。
「あなた、扉は静かに開けて。それからもう少し声を抑えて。レオがびっくりしちゃうわ」
「あ、いや、すまん……」
さっきまであれほど大きく見えていた男が、妻の一言で目に見えて小さくなる。
俺は思わず笑いそうになった。見た目はものすごく怖いのに、どうやら妻には弱いらしい。
無意識に口元を緩めると、その変化に母親が気づいた。
「ほら。笑ったわ」
「本当か!」
父親が嬉しそうに俺へ近づいてくる。その顔には、先ほどまでの威圧感などどこにもなかった。
ただ息子が笑ったことを心から喜んでいる、一人の父親の顔だった。




