第8話「決別の雪道と迫り来る追っ手」
狩人たちの足跡は、森の奥へと向かって不規則に続いていた。
ロマンは銀狼に気づかれないよう、呼吸を整えて歩調をわずかに遅らせる。
銀狼は周囲の気配を探るためか、ロマンよりも数歩先を歩いて雪を踏み固めてくれていた。
その背中が木々の陰に隠れる瞬間を、ロマンは息を殺して待ち続けた。
やがて、大きくせり出した岩肌が道幅を狭めている場所に差し掛かる。
銀狼が岩の向こう側へと足を踏み入れた瞬間、ロマンは雪を蹴って逆方向へと走り出した。
「ごめんな。……元気で生きろよ」
かすれた声で別れを告げ、ひたすらに雪をかき分けて進む。
狩人たちの足跡をあえて踏み荒らしながら、自らが標的となるように乱暴な音を立てて走った。
冷たい風が肺を刺し、息をするたびに喉の奥から血の匂いが立ち昇る。
それでも足を止めるわけにはいかなかった。
あの美しく温かい獣を、血に塗れた公爵家の悪意から遠ざけなければならない。
前世から抱えていた動物たちへの贖罪のような思いが、凍える足を無理やりに動かしていた。
どれほど走っただろうか。
ロマンの体力が限界を迎え、雪の上に膝をついたときだった。
周囲の木々の陰から、低い笑い声と金属がすれる音が響き渡る。
「ずいぶんと手こずらせてくれましたね、ロマン坊ちゃん」
冷酷な響きを持つその声に、ロマンは顔を上げた。
雪に覆われた木々の隙間から、黒い外套に身を包んだ男たちが次々と姿を現す。
その数は十人を超え、全員が手には鋭い刃や魔力を帯びた鎖を握りしめていた。
先頭に立つのは、公爵家の私兵団を束ねる狩人の長だ。
「まさかこんな国境の森まで逃げ込むとは。当主様もひどくお怒りですよ」
男の下劣な笑いを見て、ロマンは絶望で視界が暗くなるのを感じた。
四方八方を屈強な男たちに囲まれ、逃げ道はどこにも残されていない。
連れ戻されれば、公爵家の反逆者として地下牢に繋がれるか、そのまま獣人皇帝への供物として差し出されるかもしれない。
どちらにせよ、まともな死に方はできないだろう。
『でも、あいつは巻き込まずに済んだ』
死の恐怖に震えながらも、ロマンの心には奇妙な安堵が広がっていた。
自らの破滅と引き換えに、あの気高い銀狼の命だけは守り抜くことができたのだ。
男たちが鎖の音を鳴らし、捕獲のために一歩ずつ距離を詰めてくる。
ロマンは目を閉じ、抵抗を諦めて重い息を吐き出した。
そのときだった。
森の空気が、凍りつくような重圧とともに一瞬にして停止した。
木々の枝から雪が滑り落ちる音すらも消え去るような、息をのむほどの静寂。
狩人たちの下劣な笑い声が、唐突に喉の奥で引きつったように止まる。
ロマンが不審に思って目を開けると、男たちは全員が空を仰ぐようにして硬直していた。
彼らの視線の先、雪だまりのある高台の上に、巨大な影が音もなく降り立っている。
月光を跳ね返すような、眩いばかりの銀色の毛並み。
獲物を屠るために剥き出しにされた、鋭く巨大な牙。
黄金色の瞳が、ロマンを囲む男たちを冷酷な死の宣告として見下ろしていた。




