第5話「雪道を共にする巨大な影」
外套の裾を咥え込んだ巨大な顎は、岩のように強固でまったく動く気配がなかった。
ロマンは困惑しながら布地を引いてみるが、布が破れそうになるだけで状況は変わらない。
銀狼の黄金色の瞳は、真っ直ぐにロマンを見据えたままだった。
言葉の通じないはずの獣から、置いていくなという強烈な意志が伝わってくる。
「お前、怪我は治りかけだとはいえ、無理をすればまた傷が開くぞ」
ロマンが諭すように声をかけると、銀狼は咥えていた布を静かに離した。
しかし、雪の上に座り込むことはなく、ロマンの真横に立って歩き出す準備を整えている。
どうやら、このまま同行するつもりらしい。
獣人や魔獣が恩を返すために人間に従うという伝承は、前世のゲームの知識にもあった。
ロマンは深いため息を吐き出し、それ以上追い払うことを諦めた。
「好きにしろ。ただし、危なくなったら俺のことは見捨てて逃げるんだぞ」
忠告を口にしながら歩き出すと、銀狼は音もなく彼の隣に並んで雪を踏みしめた。
負傷していたはずの後ろ足は、すでに痛みを微塵も感じさせないほど力強く大地を蹴っている。
馬ほどもある大きな獣が寄り添って歩く姿は、まるで頼もしい護衛のようだった。
国境の森は深く、常に未知の危険が潜んでいる。
しかし、巨大な銀狼が放つ並外れた威圧感のおかげか、他の野生動物や魔獣が近づいてくる気配は一切なかった。
雪深さで足取りが重くなる中、ロマンは隣を歩く銀狼の存在にひどく救われていた。
一人きりの逃亡劇は、静寂と寒さで確実に心をすり減らしていく。
言葉を交わすことはできなくとも、すぐそばに力強い命の息吹があるだけで、前世から抱えていた孤独が和らいでいくのを感じた。
「お前は、皇帝の軍勢を見たことがあるか」
膝まで埋まる雪をかき分けながら、ロマンは独り言のように語りかける。
銀狼は耳を傾けるように、大きな頭を少しだけ彼の方へと傾けた。
「皇帝は恐ろしい獣人だと聞いている。俺の家がやっている悪事を知れば、一族を根絶やしにするだろうな」
それが正当な裁きであることは、ロマン自身が一番よく理解している。
しかし、処刑台の刃に対する死の恐怖だけは、どうしても拭い去ることができなかった。
「だから俺は逃げた。誰かを傷つけるのも、誰かに殺されるのも、もうたくさんなんだ」
本音を吐露するたびに、冷たい空気が肺を焼く。
隣を歩く銀狼は、ただ静かにロマンの横顔を見つめ返していた。
その黄金の瞳の奥で、どれほど深く激しい感情が渦巻いているのか、ロマンが知る由もない。
カルステンは、己の運命の番が抱える恐怖と絶望の深さを痛いほどに察知していた。
自分という存在そのものが、愛しい番を怯えさせているという皮肉。
それでも、決してこの手から逃がすつもりはないという暗い独占欲が、カルステンの胸の奥で熱く燃え上がっていた。
ロマンは寒さに耐えかね、時折手袋を外しては銀狼の背中に触れた。
分厚い毛皮の奥から伝わる力強い鼓動と熱が、凍えそうな指先を優しく温めてくれる。
触れられるたびに、銀狼の喉の奥から満足げな低い音が漏れた。
その反応が大型犬のようで愛らしく、ロマンの口元に自然と笑みがこぼれる。
過酷な逃亡の旅は、思いがけず穏やかで温かな時間へと変わりつつあった。




