第3話「吹雪の夜を越えるための小さな焚き火」
ロマンは立ち上がり、雪をかぶっていない手頃な枯れ枝を集め始めた。
銀狼の巨体が冷たい雪に体温を奪われ続けるのを、これ以上見てはいられなかったからだ。
鞄の底から取り出した火打ち石を打ち合わせ、乾燥した落ち葉に小さな火種を移す。
オレンジ色の炎がかすかに揺らぎ、やがて太い枝へと燃え移っていった。
木が爆ぜる音が、静寂に包まれた雪の森に低く響く。
芯から染み渡るような熱が周囲の空気を温め、ロマンは安堵の息を長く吐き出した。
『なんとか火が起きてよかった』
かじかんでいた指先を炎に近づけ、彼はようやく自分の体が芯まで冷え切っていたことに気づく。
炎の向こう側では、銀狼が身動き一つせず、彼の一挙手一投足を鋭い視線で観察していた。
黄金色の瞳には、警戒というよりも深い戸惑いの色が浮かんでいるように見えた。
人間に対して敵意をむき出しにしてもおかしくない手負いの魔獣が、ひどく大人しい。
ロマンはその理由を深く考える余裕もなく、ただ鞄の中から硬い干し肉を取り出した。
「お前も、腹が減っているだろう」
声を潜め、彼は干し肉を小さくちぎって銀狼の鼻先へと差し出す。
牙を剥かれるかもしれないという恐怖はあったが、不思議とためらいはなかった。
銀狼は差し出された肉片とロマンの顔を交互に見比べ、緩やかに首を伸ばす。
ざらついた舌がロマンの手のひらをかすめ、肉片だけを器用にさらい取っていった。
『食べてくれた』
ロマンは安堵から、顔をほころばせる。
冷たく整った彼の容貌が、そのささやかな笑みによって年相応の無防備なものへと変化した。
銀狼の喉の奥から、今度は威嚇ではない、低く甘えるような音が漏れる。
それは、思いがけないほど温かな響きだ。
焚き火の熱と干し肉で少しだけ人心地がつくと、急激な疲労がロマンの全身を重く押さえつけた。
過酷な雪道の逃亡劇と、巨大な獣の治療で、彼の体力はすでに限界を突破している。
炎のそばに座り込んではみたものの、背中から忍び寄る雪山の冷気はどうしようもなかった。
まぶたが鉛のように重くなり、意識がかすれ始める。
眠ってしまえば凍死するかもしれないという危機感すら、もはや働きそうになかった。
そのとき、背中に沈み込むような確かな重みと、包み込むような熱を感じた。
背後に回った銀狼が、ロマンの体に沿うようにしてその巨体を横たえていたのだ。
上質な毛皮から伝わってくるのは、燃えるような命の熱だった。
凍える夜風を遮るように、狼は自らの体を壁にしてロマンを守っている。
「……いいのか」
ロマンが振り返ってかすれた声で問うと、銀狼は黄金の瞳を緩やかにまばたきさせた。
まるで、ここで眠れと促しているかのような静かな仕草だった。
前世からずっと求めていた、大きくて温かい命のそば。
ロマンは抵抗する気力をすっかり失い、その極上の毛並みに静かに背中を預けた。
冷え切った体が、外側からも内側からも静かに溶かされていく。
炎のゆらめきと、背中から伝わる獣の力強い心音だけが、彼を包み込む世界にあった。
ロマンは深く安らかな呼吸を繰り返し、深い眠りの底へと落ちていった。
残された銀狼、すなわち獣人皇帝カルステン・モルゲンは、腕の中で眠る青年に熱い視線を注いでいた。
密猟者の罠にかかり、不覚にも動けなくなっていた自分を救った奇妙な人間。
冷酷な美貌の中に、信じられないほど深く優しい魂を隠し持っている。
カルステンの本能は、この青年と触れ合った瞬間から激しい警鐘を鳴らしていた。
それは危機を知らせるものではなく、魂の半身を見つけ出したという歓喜の叫びだ。
この青年こそが、自分にとって唯一無二の運命の番であると、血が激しく主張している。
この青年を手放せば、二度と魂が満たされることはない。
カルステンはロマンの金髪に優しく鼻先を押し当て、その甘い匂いを深く肺へと吸い込んだ。




