第9話 仲良しお茶会作戦
運命はいつもわたくしを嘲笑います。石畳の隙間に、右足のヒールが面白いほど綺麗に嵌まりました。
「あら……っ?」
静かなフロルアレオの路地裏に、情けない悲鳴と派手な衝突音が木霊します。ちょっとだけ涙がにじみそうですわ。
顔を上げると、イアム様が「げぇ」と言わんばかりの表情でこちらを見つめていらっしゃいました。
「あんた、なんでここにいんの?」
苛立ちを隠そうともしない声が響きます。膝を強打して溢れそうになる涙を堪えながら、ここに至るまでの経緯を思い出していました。
『なにも覚えていないのね』
ガーデンパーティで聞いたあの言葉が、耳の奥で何度も繰り返されて眠れない夜が続いていました。アルを救うために戻ってきた二度目の人生。しかし、どこかに知らない空白が隠されている気がしてなりません。
鏡に映った自分の顔を見つめ、頬を軽く叩きます。
「しっかりしなさい、セレーナ。自ら動き出さなければ、なにも変わらなくてよ!」
重い扉を開け、神殿の自室から出ました。隠し通路で繋がったアルの部屋は静まり返っています。彼はいま大結界を修復する儀式の準備で多忙を極めているはずでした。
説明のつかない胸騒ぎを覚えましたが、今はそれに蓋をします。足音を殺して、廊下を進みます。
「夜に抜け出すなんて……なんだかドキドキしますわ」
神殿の門を抜けると夜の冷気が一気に肌を刺しました。くしゃみを必死に堪えながら、城下町へと足を向けます。
春の宴で目にしたイアム様のお召し物は、貴族令嬢のそれではありませんでした。おそらく、市井に紛れて生きていらっしゃる方なのでしょう。町へ行けば、きっと彼女に会える。ならば、すべきことはただ一つ。
「題して仲良しお茶会作戦、でしてよ!」
ポケットには贈り物も忍ばせました。この作戦に失敗の文字はありません。今日会える保証はないけれど、備えておくに越したことはありませんわよね。
ドレスの裾をたくし上げ、慣れない足取りで夜のフロルアレオへと駆け出します。いつもは馬車を使い、従者も連れて訪れる街を一人で見る景色はなんとも新鮮でした。
街灯が等間隔に並ぶ大通りを歩いていると、薄暗い裏路地に入っていく人影が見えました。お忍びの高揚感に背を押されるように、迷わずその影を追いかけます。路地でイアム様を見つけ、声をかけるタイミングを見計らいながら、慎重に一歩を踏み出したのです。
……そして、冒頭につながるわけですわ。
「ほら」
倒れ込んだところへ、イアム様はそっけなく手を差し伸べてくださいました。
「ありがとうございます、イアム様」
「べつに……」
その手をとって立ち上がります。偶然が重なっただけの再会に、思わず舞い上がってしまいそうなほど嬉しさを感じておりますが、当初の目的を果たさなければ!
「わたくし、あなたとお友達になりたくて会いにきましたの!」
「無理」
「なぜです!?」
「あんた、わたしが最初に言ったこと忘れたの?」
──大っ嫌い。
以前、心ないご令嬢たちから詰め寄られていたところを助けた、あのときの言葉ですわね。
「だからこそ、ですわ」
なに言ってんだこいつ、という顔をなさいました。眉間にしわを寄せていても、実に可愛らしいお顔です。
さらに言葉を続けようとした、その瞬間。背後の空間が、まるで真っ黒なインクが零れたかの如く染まりました。歪み、揺らぎ、その闇はやがて鎌の形をとって振り下ろされんとしています。
「イアム様、危ないっ!」
夢中で手を伸ばし、漆黒の刃から庇うためにイアム様を抱きしめました。二重の影はもつれ合いながr地面を転がり、気づけばわたくしが彼女を押し倒す格好で重なっていました。
「逃げてよ、セレーナ!」
「貴女を置いてそんなことできませんわ!」
鎌はなおも執拗にイアム様を狙い、迫ってきます。彼女に名前を呼ばれたことにも気づかず、わたくしは強く目を閉じて叫ぶことしかできませんでした。
「やめて!」
その声に応えるかのように、鎌はピタと動きを止めました。そして、夜に溶けて消えていったのです。魔物だったのかしら。一声で倒せてしまうなんて……いつの間にか、こんな力をもっていたのですね。魔法も使えないというのに。確かなのは、どうやら助かったということでした。
「お怪我はありませんか」
押し倒されたイアム様が目を丸くし、呆然とこちらを見上げています。あまりの事態に、思考が停止しておられるようです。
やがて大きな赤い瞳から雫がこぼれ落ちます。それは宝石とみまごうほどの美しさでした。ご自分でも気づいていらっしゃらないのでしょう。静かに、ほろほろと涙が流れていきました。
「どうして、私を助けるの……?」




