第8話 枯れない花
庭園から少し離れたガゼボにアルと殿下がいました。殿下の後ろに、もう一人誰かいるようです。わたくしは隠しきれていないアルの魔力に圧倒されてしまって、ガゼボを囲む生垣の下に座り込んでしまいました。
生垣の隙間から覗くと、ガゼボの中には月の光を背負った殿下が優雅に脚を組んで椅子に腰掛けていらっしゃいます。その向かい側に、完璧な聖女として振る舞うアルが座っていました。
「やあ、聖女アルカテニ様。パーティーはお気に召さなかったかな」
「いいえ、殿下。少し春の風が強くて……」
捉えどころのない殿下の声が聞こえ、手にしていた果実酒を呷っておられます。アルはヴェールの下で微笑みを作り上げて崩しません。
二人の間を穏やかな春風が吹き抜けていきます。
「春は嵐が吹き荒れ──花が散るのも道理。終わりがあるから美しいと思いませんか」
「それでも人は枯れない花を求めるでしょう?」
「ははは! 枯れない花、ね……まあいい。今日はあなたに、紹介したい者がいるんです」
殿下が指を鳴らすと、彼の背後にいた人影が一歩進み出ました。思わず息を呑んでしまいます。
そこにいたのは、わたくしに「大っ嫌い」と吐き捨てて走り去った少女でした。
「彼女はイアム、僕の賓客でね」
イアムと呼ばれた少女は先ほどの震える姿が嘘のように、毅然とした態度でアルの前に立っていました。
その赤い瞳には激しい敵意が宿っています。
「お会いできて光栄です、偽りの花の香りに満ちた箱庭の聖女様」
アルの指がぴくりと微かに震えました。それは恐怖ではありません。自らの秘密を土足で踏み荒らそうとする人間への苛烈な──殺意?
「偽りでも花は花……その美しさは変わらないのですよ、永遠にね」
声が一際低くなっています。聖女の仮面が今にもひび割れそうになっていました。
「まーまー! 二人ともそんなに睨み合わないでよ。イアム、聖女様には敬意を払わないと」
殿下はわざとらしく彼女を窘めましたが、目は全く笑っていません。彼はイアム様と共に、アルの正体を暴こうとしているんだわ。
「失礼しました、殿下。……この国からあまりにも不自然な時の澱みを感じるものですから」
イアム様の言葉を聞いて、わたくしは目を大きく開きました。
──不自然な時の澱み?
わたくしが逆行したこと、世界が滅びた前世のこと。彼女はそれに関わる真実を知っているのでしょうか。
「セレーナ? そこでなにをしているんだ」
不意に後ろから声をかけられました。振り向くとそこには、またマルシュお兄様が立っていました。怪訝そうな顔をしておられますが、その顔をしたいのはわたくしのほうですわ。どうして毎度毎度、居場所がわかりますの?
「お兄様!? これは、その」
「ああ、なるほど。殿下と聖女様の会談を警護していたのだな。素晴らしい、さすがは我が妹だ」
わたくしたちの話し声が聞こえたのか、ガゼボにいる三人が一斉にこちらへ視線を向けました。
「おや、マルちゃん。それにセレーナ嬢じゃないか」
「その呼び名を許可した覚えはないぞ、ラル」
友人であるお兄様を見つけた殿下が愉快そうに片手を上げます。わたくしは慌てて立ち上がり、膝についた土を払い落として、カーテシーをとりました。
「ごきげんよう、殿下。お兄様がご挨拶をしたいと申しておりましたので」
「俺がいつそのようなことを……まぁいい」
流れを読んだのか、お兄様がガゼボの中へと足を踏み入れます。わたくしもその後ろに続きました。アルはわたくしだけを見ていました。その目は聖女ではない彼自身の色に変わっているようです。
まるで他の誰にも見られない場所へ、今すぐわたくしを連れ去りたいといわんばかりの──。
「セレーナ、果実酒はどうしましたか? 私、待ちわびていたのですよ」
そういえば忘れていましたわ!
焦っているとアルがわたくしの腕に自分の腕を絡めてきました。
「もうっ! どこで寄り道をして、《《誰》》といたんです?」
「申し訳ごさいません」
わたくしたちの様子を見ていたイアム様が冷ややかな声で呟きました。
「可哀想な人、なにも覚えてないのね」
「イアム様、どういう意味ですの……?」
彼女の真意を聞こうとしたわたくしを、アルの手が強く制します。
「セレーナ、この方は殿下の賓客です。無礼があってはいけません」
アルは微笑んでいましたが、彼の魔力が鉛のように重く感じられました。関わるなと立ちはだかるようにイアム様からわたくしを体で隠します。
「イアム、セレーナ嬢と仲良くしなね?」
殿下の「仲良く」という言葉に、イアム様はあからさまに嫌そうな表情をしておられます。
なぜわたくし(とアル)はここまで嫌われているのでしょう。なにも覚えていない、という彼女の言葉が気になって仕方ありません。
「そういえば、アルカテニ様。次の満月の夜、神殿で大規模な結界修復の儀式があるとお聞きしました。そこに僕もイアムを伴って出席させていただきたいんだが」
殿下が出した突然の提案。軽薄な雰囲気とは裏腹に、拒否を許さない凄みがそこにはありました。
アルの瞳がわずかに揺れます。
「原則、儀式に部外者の立ち入りは制限されておりまして……」
「ご安心を、邪魔をするつもりはありません! 彼女はあなたと同じ使命を持った娘なのです」
同じ使命?
殿下はなにを言っているのでしょう。まさかイアム様も聖女だったり……なんて、そんなことありえませんわね。そう何人も聖女がいたら国が救われすぎて大変なことになってしまいますわ。
「承知いたしました。殿下のお望みとあらば」
「楽しみだなあ。それじゃ、失礼するよ」
殿下は満足げに頷き、イアム様を連れてガゼボを去っていきました。去り際、彼女はもう一度だけ振り返りました。敵意はあるけれど、不思議と少し悲しみを帯びています。お兄様も、殿下の背中を追って足早に離れていきました。
後に残されたのは重苦しい沈黙とアルが放つ圧倒的な魔力の余韻。誰の姿も見えなくなった途端、アルの声から聖女の響きが消えました。
「セレーナ」
手を掴まれ、彼の元へ勢いよく引き寄せられます。アルのヴェールがわたくしの顔にかかりました。魔力から今にも崩れ落ちそうな不安が感じ取れます。
「安心して、アル。わたくしがあなたの秘密を……」
「守らなくていい」
言い終わる前に遮られてしまいました。わたくしの頬に触れる彼の冷たい手に、無意識で自分の手を重ねます。
アル、どうしてそんな辛そうなの?
「そばにいてくれるだけでいい。俺がほしいのは、それだけ。お願い、セレーナ──俺から離れないでよ」
「ええ、約束。約束するわ、アル。わたくしたち、ずっと一緒よ」
アルは安心したように、わたくしの肩へ顔を埋めます。この「やり直し」の時間が大きな嵐に飲み込まれようとも、必ず彼を、彼との約束を守ってみせましょう。
見上げた春の月が雲に隠れていきます。黒雲に隠れてしまった彼の言葉に、わたくしは気づくことができませんでした。
「うそつき」




