第10話 明日が来なくても
喉の奥から必死に振り絞ったような声でした。とっさに取り出したハンカチを、震える目元にそっと当てることしかできません。出会った時も同じことを聞かれましたが、なぜと問われても答えられないのです。だって、体が先に動いてしまうんですもの。
ですが、あえて理由を言うならば──。
「お、お友達ですから」
「……っ!? 覚えてるの?」
わたくしの言葉にイアム様は勢いよく顔を上げました。首を傾げてみせると、今度は目を伏せて「なんでもない」と呟きます。
こうして言葉を交わす際に懐かしさと締め付けられるような痛みが同時に込み上げてくるのは、きっと気のせいではありません。
その理由を思い出したい衝動に駆られますが、今は目的を果たすことが先決。場を仕切り直すべく、こほんと小さく咳払いをします。
「イアム様、お茶会をいたしましょう」
「え、嫌」
「わかります、わたくしも貴女に聞きたいことが山ほどありますもの。けれど、そのためにはまず仲良くならなくては」
「ぜんぜん人の話聞いてないじゃない」
なかなか頑固な方ですが、それくらいは織り込み済み。ポケットに忍ばせていた秘密兵器をいよいよ取り出す時です。王都で二時間も並ばなければ手に入らない、伝説のクッキー。お兄様からいただいた大切な一箱をこの時のため取っておいたのは正解でした。
先の衝撃で箱は少し傷んでいましたが、クッキー自体は割れていないようです。ふふんと鼻を鳴らし、食べるよう勧めます。わたくしの熱い思いを受け入れていただけたのか、彼女はそれを一口食べました。途端、目を大きく見開き、無心に咀嚼を繰り返しておられます。美味しいでしょう、そうでしょう!
クッキーを存分に味わったあと、こちらより先にイアム様のほうから口を開きました。
「答えないからね、なに聞かれても」
「もうっ、せっかちさんですわね。わかっています」
ここでわたくしは、もう一つの切り札を切ります。
「仲良くなるためには、秘密の共有。これに限りますわよね」
「絶対違うでしょ」
「わたくしの兄、マルシュお兄様は……」
「あんたじゃなくてお兄さんの秘密を売るの!?」
耳元に顔を寄せ、ひそめ声で誰にも話していないお兄様の秘密を打ち明けました。興味をお持ちになっていただけたのか、彼女は素直に耳を寄せてくれます。
「実は、お裁縫で可愛いお人形を作るのが趣味なのです」
「かわいい、おにんぎょう……?」
わたくしが取り出したのは、お兄様が手作りしてくれたひよこのぬいぐるみです。六歳の誕生日に彼が手を包帯だらけにしながら贈ってくれた一品。普段は自室に大切に飾ってあります。
「こだわりはつぶらな瞳らしいですわ」
「とれかけてるし……呪具でしょ、これ」
「お兄様は魔法省でも選りすぐりのエリートなんですが、ご自分で作ったぬいぐるみがないと眠れないようですの」
「悪夢しか見てないんじゃない、あんたのお兄さん」
お会いしてから初めてイアム様の笑顔を見ることができました。ぱっと花が咲いたようです。ありがとうございます、お兄様。今度改めてお礼とお詫びに参りますわ。
ひとしきり笑い合った後、この時間がずっと続けばいいと思っていました。ですが、無情にも東の空はすでに白み始めています。そろそろ神殿に戻らなければ、無断外出がアルに知られてしまいますわ。
「名残惜しいですが、お開きの時間のようですわ」
「そうね。セレーナ……さま」
「そういえば、さっきセレーナと呼んでくださいましたよね?」
うっと言葉に詰まっていらっしゃいますわ。顔を背けられても、そう簡単に逃しませんからね!
「気のせいじゃない?」
「いいえ、確かに聞きましたわ! どうぞセレーナと呼んでくださいまし。わたくしもイアムとお呼びしてもよろしくて?」
「わかったわよ! 離れて、セレーナ」
仲良しお茶会作戦は大成功ですわ! 勝利の女神はわたくしに微笑んでくださいましたのね。
「一つ、聞いてもいい?」
「もちろんですわ」
イアムは下唇を強く噛み締めていました。指が白くなるほど拳を震わせながら、言葉を続けます。
「セレーナは明日が来なくても……幸せ?」
問いを投げかけながら、答えを聞くのが怖かったのでしょうか。そのままわたくしに背を向けて、歩き出してしまいました。小さな背中は、今にも崩れ落ちてしまいそうで。
追いかけようと声を上げかけた、その瞬間。ぐらりと視界が揺れ、体が宙に浮きました。
「だ、誰ですのっ!?」
異変を察したイアムが駆け戻ってきてくれましたが、時すでに遅く──気づけば不気味な黒いローブに身を包み、顔を隠した者たちに包囲されています。
そして助けを呼ぶこともできぬまま、わたくしたちはどことも知れぬ場所へ連れ去られてしまったのでした。




