第11話 真実の愛
頬を撫でる空気の冷たさに、わたくしは重いまぶたをゆっくりと押し上げました。ひび割れた石造りの低い天井が見えます。背中から伝わる床の硬さと湿り気が、ここが牢獄であることを告げていました。
確か仲良しお茶会作戦の終わり際、何者かがわたくしたちを連れ去ったのでしたわね。聖女筆頭側衛官であるわたくしと一緒にいたイアムを聖女だと勘違いしたのでしょう。厄介事に彼女を巻き込んでしまいましたわ……。
「イアム? いらっしゃいますか?」
小声で呼びかけましたが、返ってくるのは湿った空気が動く音だけ。無力感に苛まれていると、鉄格子の向こうから低い男たちの話し声が聞こえてきました。
「主様の命令だ。この女には手を出すな……偽物の聖女だけを消せ」
(──聖女を消す?)
その言葉にわたくしは驚きを隠せませんでした。妖しい笑みを浮かべる第一王子の顔が頭をよぎります。あのお方はガーデンパーティーでも、アルの秘密を暴こうと画策していらっしゃいましたもの。首謀者がわかってしまいましたわね。
怒りで冷たい石の床を強く蹴って立ち上がります。すると、廊下の奥から軽やかなリズムを刻む足音が近づいてきました。
「お目覚めかい、セレーナ嬢。イアムは一緒じゃないのかな?」
闇の中から現れたのは王族にだけ許される、優美なマントを纏った一人の男。ラルモヴァーロ殿下がわざとらしいウインクを飛ばしてきました。
「わたくしたちを閉じ込めて……ご乱心ですの、殿下!?」
ドレスを強く握り、睨みを利かせます。殿下がわずかに肩をすくめたかと思うと──煌めいたのは白銀の閃光。轟音と共に鉄格子の扉が吹き飛んでいきました。廊下にいた男たちは抵抗する間もなく、衝撃波に飲み込まれて遠くへ転がっていきます。
「なにか勘違いしてない? 僕はイアムを助けに来たんだよ」
本気とも冗談とも取れない笑みを浮かべる殿下。このお方は、フロルアレオでもお兄様と一、二を争う稀代の魔法師。指先で転がしている小さな光の粒さえ、絶大な魔力を秘めているのが分かります。
「じゃあ、一緒に探そっか」
「あ、怪しいですわ……」
「セレーナ嬢、一人でここから出られるの?」
一人で脱出できるほどわたくしが強くないのも事実。不本意ではありますが、翻る殿下の背中を追って走り出しました。
通路の曲がり角に差し掛かると、黒いローブの集団が濁流のように立ちはだかります。
「しつこい男は嫌われるよ、っと!」
殿下の手から放たれた光弾が空気を切り裂く高音を響かせ、先頭の敵を正確に射抜きました。わたくしが瞬きをする間にも魔法の光は弾け飛び、不気味な地下通路を昼間の明るさで照らし出していきます。
「イアムがどこにいそうか、心当たりはある?」
「攫われたとき意識がなかったものですから……申し訳ございません」
激しく交差する光の筋が、湿った壁を焼いて火花を散らします。殿下が魔法を振るうたび、その瞳には鮮やかな花の紋章が浮かび上がりました。それは彼が国を率いる者である証。
あまりの美しさに目を奪われつつも、わたくしは必死に足を動かします。
「あの、殿下。お伺いしたいことがあるのですけれど」
「うん? なにー?」
こんな状況で聞くことではないと理解はしています。わかってはいても、先ほどから湧き上がるこの好奇心を抑えることができませんでした。
「殿下とイアムは、どのようなご関係ですの?」
「……君のご想像にお任せするよ」
いつもの軽薄さは消え、物語に出てくる王子のような完璧な笑み。もしかしなくてもわたくしの予想通りですわ。
これは、いわゆる道ならぬ恋!?
「し、真実の愛ですのねっ!?」
暴走する妄想に足元が疎かになってしまいました。歪に盛り上がった床の石に引っかかって体勢を崩し、そのまま派手に倒れ込んでしまいます。
「そういえばお芝居が好きだったね、セレーナ嬢」
殿下は足を止めません。溜息混じりに言い捨てていきます。わたくしは泥臭く立ち上がり、再び彼を追いかけました。
「王族の自由恋愛を否定はしませんが、婚約者様はどうされるおつもりですの!? 無実の罪で断罪などなされば品位に関わりますわよ! イアムとの馴れ初めを詳しくお聞かせ──」
「すっごい早口」
殿下はあきれたように吐息を漏らし、流れる動作で新たな光を解き放ちました。悠然とした歩みを崩さぬまま、襲いくる追手たちを光の速さで薙ぎ倒していきます。
「真実は必ず誰かを傷つける。必ずだよ」
前を見据えたまま、殿下は寂しそうに言いました。魔法の光が途切れるたび、深い闇が彼の表情を覆い隠します。
「それでも君は、真実を知りたいと思えるの?」
──明日が来なくても、幸せ?
イアムの言葉を思い出しました。自分を、誰かを傷つける真実があったとして、わたくしは──。
「知りたいですわ。たとえ傷つき、どうにかなってしまいそうになっても。それでも誰かと共に立ち上がって明日へ進んでいくことが、生きるということでしょう?」
一旦の静寂。その後、殿下は顔に手を当てて笑い出しました。
「さすがだ、セレーナ嬢。君は希望だけしか見ていない……マルちゃんとそっくりだよ」
「お兄様と似ているわけありませんわっ!」
通路の突き当たり、魔法陣が展開された重厚な扉が見えてきました。不自然に黒く変色したその扉へ、殿下は手のひらをかざします。
魔力が扉を内側から食い破り、封じられていた空気が爆風となって溢れ出しました。
「扉の封印まで解いてしまうなんて、殿下の魔法は万能ですのね」
「さっき君が解除の仕掛けを踏んでたからだよ」
「へ?」
間抜けな声を上げていると、光に照らされた部屋の隅で椅子に縛り付けられた女性が浮かび上がりました。
「イアム! よかった、無事でしたのね!」
駆け寄ろうとしたわたくしを、イアムの鋭い叫びが突き放すように遮ったのです。
「お願い、来ないで!」




