第28話 最後まで一緒に
花畑まで、あとわずかというところまで辿り着いていました。前へ進むわたくしの足元に、黒い影が這い寄っていることに気づきます。蛇の舌のように揺らめく視線が、わたくしを絡め取りました。
「ツィニカ……」
「あーッ、じゃじゃ馬娘じゃんッ!」
わたくしの姿を認めるなり、彼は反射的に腕で顔を庇います。また瓶を投げつけられるとでも思っているのでしょう。
「もう来たんだネェ。いつもより時間、戻すの早いんじゃナイ?」
ツィニカは硝子を引っ掻くような声で笑います。大きな不快感を残す笑い声に、わたくしは顔を歪めました。
「記憶も戻ってるみたいだネ。どーお? 力も心も奪われて千年、独りよがりな『ごっこ遊び』に付き合わされる気分はァ」
足元の花々は、ツィニカに踏みにじられてもすぐに頭をもたげます。ここは傷つくことも枯れることも許されない、永遠の檻だと見せつけられているようでした。
「カワイソーに。死んだことさえ忘れさせられて、おんなじ時間をクールクル」
「あんたが蛇ね、不愉快な顔してるわ!」
イアムが剣を構えます。しかし、ツィニカは彼女をまるで空気のように扱い、意に介していません。彼の舌がチロチロとうごめき、わたくしの心の奥底をかき乱そうとしていました。
「不愉快ィ? 自分の好きなやつを閉じ込めるためだけに世界を壊したヤツのほうが、よっぽど醜悪でショ」
「……否定できませんわね」
わたくしは短く吐き捨てるように言いました。イアムが驚愕に目を見開きます。
「セレーナ、なに言ってんの!?」
「そうでしょう、イアム。閉ざされた庭に、もう飽き飽きなの」
「へェ。なかなか見込みあるジャン。キミが望むなら、オレが力を貸してやってもイーヨ」
蛇の瞳が愉快そうに細められました。わたくしはツィニカへ誘うように視線を向けます。イアムの顔から血の気が引いていきました。ツィニカは喉の奥でくくくと笑います。その声には、体温を根こそぎ奪っていくような冷たさがありました。
「それは素晴らしい提案ですわね」
わたくしが微笑むと、イアムが動揺のあまり剣を落としそうになっています。
「正気なの!? あたしたちは……」
「お黙りなさい、イアム。勝機のない戦いに消耗し続けるより、賢い選択だと思いませんか」
わざと冷淡に言い放ち、わたくしはツィニカを見上げました。白い蛇は勝ち誇ったように、黒い影の手をわたくしへ差し出します。
「さっすが、元聖女! 賢明だヨ。さあ、オレの手をとっテ?」
わたくしは迷いなくその手を取りました。握った瞬間、石のように冷たい感触が肌へ侵食してきます。そこには命の気配などありませんでした。
「キミが作り出す天国はどんなのか楽しみィ」
「わたくし、自分の願いは自分で叶えたい派ですの」
わたくしの唇がすうっと吊り上がりました。彼の目をまっすぐ見つめ、強く手を握り返します。次の瞬間、激しい魔力の火花が二人のあいだで散りました。
「貴方ごときの力など、このセレーナには不要でしてよ!」
ツィニカの目が驚きで見開かれます。わたくしは彼の内側に眠る光を、強引に引き抜きました。それは千年前、フロルアレオを、アルを守るためにわたくしが振るった輝きそのもの。
「チョチョチョ、何してんのォ!? あがっ、離せェッ!!」
「オレの力を盗るんじゃないヨォ!!」
「盗むですって? 失礼ね、返していただくだけですわよ!」
ツィニカがわたくしから溢れ出した黄金の光に焼かれて弾け散っていきます。蛇が醜くのたうち回り、わたくしの手を振り払おうとしていました。奪い返した力が全身の血管を巡り、魂が熱く脈打ちます。
──体が崩れ落ちそう!
「逃がさないわ、化け物っ!」
剣の閃光が視界を横切りました。イアムが剣を構え、弱ったツィニカの逃げ道を断ち切ります。聖剣は苦し紛れに影を広げた彼の心臓部を真っすぐに貫きました。
「何コイツらァ!? 萎えるんですケド!」
ツィニカは負け惜しみを吐き捨て、黒い霧となりました。初めからそこに誰もいなかったかのように、あたりが静まり返ります。
「う、っ……ありが、と、イアム」
「あんた、無茶しすぎよ! 魔力を奪い返すなんて!」
ごめんなさい、と言いたいのに体の内側を引き裂く痛みに声が出ません。千年前と変わらず、今のわたくしにも聖女の力を受け止めるだけの器がないようでした。
「セレーナ、この剣を握って」
「剣、を?」
「いいから、はやく」
促されるままイアムのレイピアを握ると、全身の魔力が糸を手繰るようにするすると剣へと流れ込んでいきました。内臓を直に炙られるようだった痛みが嘘のように引いていきます。
イアムの聖剣に魔力が吸収されている?
「イアム、こちらの聖剣は……」
「聖剣? 違うわ、これは魔導具っていうの」
聞き慣れない言葉に首をかしげました。イアムはレイピアの柄にはめ込まれた赤い宝石を指差します。
「あたしたちの時代……セレーナでいう未来で、魔法は魔力がこめられた宝石を介さないと使えないの」
「杖みたいなものですか?」
わたくしはお兄様が持っていらっしゃる、ただの木切れにしか見えない古びた世界樹の杖を思い浮かべました。しかしイアムはまるであり得ない迷信を否定するように強く首を横に振ります。
「全然違う。あんたたちの時代みたいに、ただの木の棒とか、手のひらからバンバン直接魔力を打ち出せる人間なんて、今の世界にはもう一人もいないのよ」
──魔法が衰退した世界。
イアムから直接聞かされる未来の姿は、まるで奇妙なおとぎ話のようでした。
「この魔石にはあたしの魔力が込められてるから、セレーナの魔力と混ざり合えたんだと思う」
よかった、とイアムは小さく息をつきます。その横顔には隠しきれない安堵がにじんでいました。
「では、この剣にはいま聖女二人分の魔力が……ふふ、これはいわゆる無敵という状態ではありませんこと?」
「そんな大層なものじゃないでしょ。うわ、なんかいつもより重い気がするし」
緊張がほぐれていくように、二人で笑い合いました。やがて笑い声が静まると、わたくしはイアムの手をとります。
「イアム、最後まで一緒に来てくれますか」
「嫌って言ってもついていくわよ」




