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第26話 チェルアルカの名を背負う者

「ラル、国に魔物の大群が侵攻しているんだぞ! こんなところで俺の妹と油を売っているとは何事だ!」

「ち、違う違う! セレーナ嬢と遊んでるわけじゃない……ってぇ!?」

「国の、一大事と聞き、急ぎ謹慎から戻ってみればこのありさまかっ!」


 神殿に張りつめていた重苦しい空気をマルシュお兄様の怒声が切り裂きました。その目に軽蔑の色を濃く浮かべながら、激しく胸ぐらを揺さぶっておられます。殿下の首から頭がもげ落ちてしまいそうです。

 王族を怒鳴り、その声で石壁まで崩せる人間は世界広しといえど我が兄くらいでしょう。鋭い視線が今度はこちらに向けられます。


「貴様もその締まらない顔はなんだ……!」


 他人事みたいに眺めていたわたくしの前に、お兄様が腕を組んで見下ろしてこられます。世界が崩壊することより怒鳴りつけられる方が恐ろしいですわ……!


「ですが、どうにもできませんの」

「なんだその情けない声はっ! 背筋を伸ばさんか!」


 ひっと短い悲鳴が出てしまいました。叱責の言葉が、頭から容赦なく降ってきます。はじめは萎縮していましたが、だんだんと腹が立ってきました。

 お兄様はなにもご存じないくせに。この世界の仕組みも、幾度となく繰り返されてきた悲劇も、わたくしが抱えていた罪の重さも、なにも!


「お兄様にわたくしの気持ちなんてわかりませんわ! 世界はもうすぐ終わって、また繰り返される」


 叫びながらお兄様を見上げ、睨みつけてしまいました。押し込めていた悲しみと怒りを理不尽にぶつけていると、自覚はしても止めることができません。


「それが運命なのよ!」


 声が震えます。視界も滲みます。普段ならお兄様に口答えなど決してしなかったはずです。だって、口うるさいこの人はただ妹を思っているだけだと知っていますから。けれど、今のわたくしにはどうしようもない孤独だけがありました。誰にもわかってもらえないという孤独だけが。

 お兄様は微動だにしません。妹に睨まれても、なじられても、眉ひとつ動かしません。沈黙が叱責よりも辛く感じるなんて思いもしませんでした。唐突に眼鏡のブリッジを中指で押し上げたかと思うと、柱の影がどろりと溶けるように形を変えました。アルの魔力から生み出された魔法生物です。影は生き物のように蠢き、やがて獣の輪郭を帯びていきました。


「妹よ」


 魔物は床石を砕きながらわたくしたちへと跳びかかってきます。後ずさる妹を守るように立ちはだかり、彼は指揮者のように、杖を滑らかな動作で撫で上げます。演奏が始まる前の、張り詰めた空気の震え。一拍だけ静止した、その直後。神殿に暴風が巻き起こりました。魔物を容赦なく切り裂き、黒い肉片は散り、すべてが風に呑まれていきます。




「チェルアルカ(虹)の名を背負う者なら──運命などという都合の良い言葉に逃げるな」




 背中越しに届いたその言葉は揺るぎないものでした。千年の重みも、世界の終わりも、お兄様にとっては「超えるべき壁」に過ぎない。横顔を見つめていると、わたくしを押し潰してくる絶望が薄れていくのを感じました。長い間、息をすることすら苦しかった胸に希望の風が吹き抜けていきます。まるで、お兄様の魔法のように。


「……申し訳、ございません」


 アルと笑い、彼を守るために奔走したあの日々。それらすべてを「なかったこと」にするのではなく「終わらせる」。そして明日を「始める」ために、わたくしは向かわなければなりません。

 アルが待つ、あの残酷で美しい終着点──丘の花畑へと。


「もう、わたくしは迷いません。運命が変えられないのなら、打ち破れば良いのです!」


 湧き上がる決意が言葉となって溢れました。お兄様はふんと息をついておられます。「それでいい」と言ってくださっているのですね。


「お兄様、どうか丘の花畑まで送り届けてくださいませ!」

「断る、貴様は避難しろ。今は魔物が溢れていて危険だ」

「お兄様しか頼れませんの!」


 わたくしはお兄様の袖を掴みました。譲れません、この願いだけは。


「……そこまで言うのなら仕方がない。案内しろ」


 嬉しさが込み上げてわたくしはお兄様に抱きつきました。やはりマルシュお兄様は、世界でいちばん頼りになるお方ですわ!


「マルちゃん、ちょろすぎない?」

「お前も立て、ラル。まったく、王家に伝わる剣を床に放っておくなど嘆かわしい」

「……僕にできることなんて、ある?」

「なにを言ってるんだ? お前にしかできないことの方が多いだろう」


 お兄様は床に転がっていた殿下の剣を拾い上げ、無造作に手渡します。殿下は目を丸くされていましたけれど、やがて肩を揺らして笑いながらそれを受け取っていました。


「そちらのご令嬢も、剣に覚えがあるのなら共に来てもらうぞ」

 

 促されたイアムも鼻をすすりながらレイピアを握り直します。その手は震えていましたが、瞳には強い意志が戻っていました。


 もはやわたくしたちは誰も、うなだれて地面を見たりはいたしません。


「遅れをとる者はこの場に置いていく! 向かうぞ!」

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