第2話 秘密の共犯者
時が止まる、とはこういう状況を指すのでしょう。聖女様の足元には、純白のローブが虚しく横たわっていました。
目の前に立つ人物は間違いなくわたくしの愛するアルカテニ様です。けれど何度見ても──じろじろと見てはいけないのに、信じられない光景でした。
みずみずしい肌に浮かぶ男性特有の引き締まった筋肉。広い肩幅と平らな胸板は、どう見ても女性のものではありません。わたくしは石像のように固まったまま、どうにか声を絞り出しました。
「……あ、あの。お着替え中に、ええと、大変失礼いたしました」
脳内では「慈愛の聖女様」と「目の前の男性」、この二つの概念が激しく衝突し、火花を散らしています。
これはきっと、なにか高度な光の魔法による幻覚に違いありません。そう自分に言い聞かせ、もう一度だけ聖女様を凝視しました。断じて、決して、下心などございません!
しかしやはり、どこからどう見ても目の前にいるのは男性でした。
「おまえ、見ちゃったね?」
暫定アルカテニ様の口から、慈愛の欠片もない低い声が響きました。ふわりと柔らかな表情は消え、きゅっと吊り上がった口角が不敵な笑みを描いています。
彼はゆっくりとした動作で、足元にあった聖女のローブを拾い、羽織られました。獲物を追い詰めた獣のような視線がわたくしを射抜きます。
「アルカテニ様は、その、男性でしたの……?」
平静を装おうと絞り出した声は、情けないほどに裏返っていました。
前世で自らを犠牲に世界を、わたくしを守ってくれた気高き聖女様。甘いものが大好きで、クッキーをつまみ食いする可愛い聖女様。幼さを残しながらも優しい笑顔で、ずっと一緒だと約束してくださった聖女様。
それらの神々しい思い出が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていきます。
(本当にこの方は、わたくしの知っている聖女様ですの?)
アルカテニ様は一歩、また一歩と、逃げ腰のわたくしに歩み寄ってきました。
「そうだよ。この国を救う聖女の正体は──男。驚いた?」
彼はわたくしの目の前で立ち止まると、壁に片手をついて逃げ場を塞ぎます。鼻先が触れそうなほどの距離に、男らしい体温と花の香りが混じり合いました。
早鐘を打つ心臓の音があまりにもうるさくて、どうにかなってしまいそう!
「あーあ、秘密を知られちゃったからには生かしておけないなぁ」
熱を帯びた指先が、視線が、わたくしの頬をなぞり──。
「ねえ、セレーナ?」
名前を呼ばれた瞬間、最後に見た花畑が脳裏に蘇りました。そして確信したのです。目の前にいる彼は間違いなく、わたくしの守りたかった聖女様であることを。
ならば、わたくしはアルカテニ様へお伝えしなければなりません。
「わたくし、前世の記憶がありますの!」
目を丸くして驚く彼に、畳み掛けるように続けました。
「聖女様は世界と私を守るために、未来でそのお命を落としてしまうのです」
聖女様の秘密を知ってしまった以上、わたくしも前世を明かせば、公平というものでしょう。
廊下の向こうからは、マルシュお兄様の怒鳴り声も近づいてきます。このままでは、聖女様のお側にいることすらできなくなってしまう!
焦るわたくしの耳元でアルカテニ様がくすくすと笑っています。その笑い声は物語に出てくる悪魔のように愉悦に満ちていて、けれどどこか甘い。
「へえ、それで?」
「わたくしをお側に置いていただければ、貴方のことをお守りできます!」
「……いいね、気に入った。お互い秘密を知った俺たちは共犯者、ってことだよね」
聖女様の悲劇を回避するための奮闘は、どうやら思わぬ方向へ転がりそうでした。彼の手が、わたくしの髪に触れます。
今度こそ彼女、いや、彼を守り抜くと誓ったはずなのに──なぜ、わたくしが追い詰められていますの?
「お顔が、ち、近すぎますわ」
「照れてる顔も相変わらず可愛い、セレーナ」
笑う彼の背後で、部屋の扉が再び開きました。心配と怒りで顔を真っ赤にしたお兄様が、仁王立ちでそこにおられたのは言うまでもありません。
「俺だけのチェルアルカ。ずっと、ずうっと一緒だからね」
聖女様の嘘からはじまる、わたくしの二度目の人生が高らかに幕を開けたのでした。




