第1話 わたくしの聖女様がいません
永遠に続くと信じていた幸せに、なにひとつ疑わず浸っていました。それがもたらす悲しみに気づけなかったから、愚かなわたくしは大切な人を守れなかったのでしょう。
崩壊が止まらない世界で聖女様は誇り高く立っていました。その背に剣を突きつけられていても。
「セレーナ」
小鳥のような美しい声で名前を呼ばれます。お返事をしたいのに、喉からは空気が抜けるだけで声になりません。
「大丈夫。私たちずっと、ずうっと一緒よ」
むせかえるほど咲き乱れる花。その花弁が慈愛に満ちた笑顔を覆い隠していきます。
(まって、置いていかないで!)
手を伸ばしても届くはずはなく、聖女様は顔まで隠れる黒い装束に身を包んだ男の剣に貫かれてしまいました。
世界の、わたくしの希望が、血に染まった花の上に倒れ込んでいってしまう。
「アルカテニ様!」
目を開けると、視界に飛び込んできたのは見覚えのある天蓋──豪華な装飾の天井でした。
ここは、わたくしの部屋?
夢かどうかを確かめようと鏡を覗き込み、頬を思い切りつねってみましたが……涙が浮かぶくらいには痛いですわね。しかも、指先に触れる肌のつやが違います。
「若返っていますの……?」
そこに映っていたのは、目つきがやたらと鋭い公爵令嬢セレーナ・チェルアルカがいました。どうやら女神様は「やり直し」の機会を与えてくださったようです!
今度こそアルカテニ様をあの悲劇からお守りしなければ。決意を固める背後で、聞き慣れた重苦しい足音が近づいてきました。
「いつまで鏡に見入っている。聖女様への拝謁に遅れるつもりか」
魔法省のエリートであるマルシュお兄様が、扉にもたれかかっておられました。この光景は三年前、わたくしが聖女様の付き人として御召しがかかったあの日。
やはり、過去に戻っているのですわ!
前世では威圧感のありすぎた兄──いまも手に力が入るほど緊張していましたけれど──に、懐かしさがこみ上げます。
しばらくじっと見つめていると、お兄様はふいっと視線を逸らしてフンと鼻を鳴らしました。耳の先が少し赤いのは、出来の悪い妹に腹を立てていらっしゃるからでしょう。きっと。
「安心してくださいませ、マルシュお兄様。わたくし、チェルアルカ家の人間として聖女様を必ずお守りしてみせますわ!」
今度こそ、という言葉を飲み込んで力強く宣言すると、お兄様はなぜか深く感銘を受けた顔をしていました。貴様の覚悟を読み違えていたようだ、と呟いています。
はやくアルカテニ様にもう一度お会いしたい。扇を優雅に広げ、足早に馬車へと乗り込みました。
我が国フロルアレオは今日も色とりどりの花が咲いています。街並みはまさに平和そのものですが、この穏やかな日常の裏で、聖女様を狙う影が潜んでいるのです。
聖女様が祈りを捧げる神殿に到着し、案内役の神官様に膝を屈めてご挨拶いたしました。
「ごきげんよう、神官様。約束の刻限より前に着いてしまい申し訳ございません」
「いえいえ。聖女様は祈りの最中ですので、こちらでお待ちを……」
神官様はわたくしの顔を見て、怯えたように一歩下がってしまわれました。自分の目つきに感謝しつつ、神殿の奥へと歩き出します。後ろでお兄様が「セレーナ、待ちなさい!」と叫んでいますが、立ち止まりなどしません。
「国に結界を張る祈りの最中こそ、最も不届き者に狙われやすいときなのです!」
それらしい出まかせを口にしながら、前世の記憶を頼りに複雑な神殿の回廊を駆け抜けます。聖女様がお一人で過ごされる部屋は、神殿の地下深くにあったはず。きっとアルカテニ様はそちらにいらっしゃる。
聖女様のお部屋。その扉の前に辿り着いたとき、傍らに飾られていた大きな飾り台の存在に気づいていませんでした。それが急に、わたくしの視界へ入ってきたのです。
「こんなところに花瓶……きゃっ!」
避けようとした足がドレスの裾に絡まり、見事に転倒。巻き込まれた花瓶が派手に倒れ、陶器の割れる凄まじい音が静寂を切り裂きました。
「だれです!?」
──この声は聖女様ですわ!
心の底からあふれる再会のよろこびと痛みに涙をこらえながら、聖女様の部屋の扉に手をかけます。そこでふと思い出しました。そういえば前世で、お部屋の中に入ったことはなかったと。
「セレーナ・チェルアルカにございます! 王命により参上いたしました!」
勢いよく扉を蹴破らんばかりに開け放ちます。そこに愛する慈愛の微笑みを浮かべた聖女、アルカテニ様が──いらっしゃいませんでした。
「えっと……アルカテニ様、で間違いありませんわよね?」
お顔もお姿も確かにアルカテニ様であるにはあるのです。けれど、目の前にいたのは一人の「少年」でした。お着替えの途中だったのでしょう。上半身を露わにした聖女様には、しなやかで逞しい筋肉が宿っておりました。




