第18話 兄妹水入らず
「……国家、反逆?」
聞き慣れない物騒な言葉に首をひねります。つい先ほどまで部屋で三人、仲睦まじくお菓子を作りながら談笑する声が響いておりましたのに。
イアムと仲良くなるための、そして同時に彼女の恋を応援するためのクッキーがぽつんとお皿に残されています。
「そうだよ。ここでは詳しく話せないけれどね」
「お兄様が……そんな、まさか。あり得ませんわ!」
あのお兄様が、大罪に手を染める? そんなはずがございません。生真面目が服を着て歩いている──それがセレーナ・チェルアルカの兄、マルシュ・チェルアルカです。
「マルちゃんは王城にいる。セレーナ嬢、君も登城してもらうよ」
クッキーを食べて気を失っていたはずのアルが、いつの間にか意識を取り戻していました。彼はわたくしをこの場から連れ出そうと腕を伸ばしましたが、殿下の声がそれを遮ります。
「聖女様、悪いけれどセレーナ嬢は借りていくよ」
「セレーナは私の筆頭側衛官です」
「残念だが王命だ。僕も父には逆らえないからねぇ」
殿下の言葉には絶対的な響きがございました。アルの美しい顔に苛立ちの影が差します。
彼が歩み寄ってきたかと思うと、「これを」とネックレスがかけられました。それは部屋に置いてきたはずの、クロッカスが刻まれた銀の腕輪。いつの間に持ってこられたのでしょうか。
「これが貴女を守ってくれます。絶対に外さないで……」
チェーンの代わりである麻紐が首に食い込んでいる気がしました。祈るような言葉を背に、同じく目を覚ましたイアムと共に王家の紋章が刻まれた馬車へと押し込まれます。向かう先は、厳めしくそびえ立つフロルアレオ城。
案内された殿下の執務室で、お兄様は椅子に深く腰掛けておりました。その瞳は虚空を見つめ、焦点はどこにも結ばれておりません。
「セレーナ……私は終わりだ。もう、いいんだ」
「何がいいのですか! チェルアルカ家はじまって以来の一大事ですわよ!」
妹に叱咤されているにも関わらず、お兄様は弱々しく頷くだけでした。おぼつかない足取りもまるで幽霊ですわ。
肩の線はがっくりと垂れ下がり、頬はこけている。どう見ても、国家を転覆させられる覇気など微塵もございません。深すぎる絶望の沼に沈んだ一人の男がいるだけですわ。
「殿下、恐れながらもう一度申し上げます! 兄が逆賊など、天地が引っくり返ってもあり得ません!」
「うん、わかってるよ」
え、と自分でも間抜けな声をあげてしまいました。わかっている、とはどういうことですの?
「……まぁ、公式には謹慎処分だよ。主犯と懇意にしていたせいで、名前が挙がっちゃったってわけ」
お悪戯もしてるし、と殿下は苦笑いを浮かべていました。手には以前お兄様がわたくしに渡したメモがあります。職権濫用が明るみに出ておりますわ。
極刑すらあり得る沙汰を、まるでピクニックの予定を告げるかのような殿下の様子に、思考が追いつきません。
「僕の別荘で、しばらくほとぼりを冷ましてきてほしいんだ。兄妹水入らずでね」
お兄様の口からは「違う、違うんだ……」と、うわごとばかり言っています。鋼の剣のごとく真っ直ぐであったその背中が、いまは綺麗に丸まっております。見えない塊に潰されているみたいですわ。
出立は即刻とのことでしたので身の回りのものをかき集め、身支度もそこそこに王宮を後にすることになりました。
お兄様と共に馬車へ乗り込もうとした時、殿下が小さな玻璃の瓶を差し出してきます。
「セレーナ嬢、蛇に気をつけなさい」
「蛇? 別荘では蛇が出るのですか?」
「ああ。金と紫の目を持つ、真っ白な蛇を見かけたら……これを投げるといい」
そんな奇妙な蛇がいるのでしょうか。白蛇でオッドアイだなんて、むしろ吉兆かと思えますけれど。
殿下に見送られ、わたくしたちは王都を離れました。嵐の前触れを思わせる不穏さを胸に抱えながら。車窓から遠ざかるフロルアレオの城はどんよりとした暗雲に覆われています。
湖畔に佇む王子の別荘には二日ほどで到着しました。皮肉なほどに輝きを放つ建物とはうってかわって、館の中の空気は重く澱んでいます。湖が近いだけあって湿度が高いですわ、なんて冗談を言っている場合ではありません。
原因は、テラスの椅子で丸まっているお兄様です。
「……セレーナ。俺はあの湖の底で物言わぬ石になりたい」
「そんな弱音を吐かないでください、お兄様らしくありませんわ」
わたくしは豪華なティーセットを広げ、明るく声をかけました。スコーンを差し出してみましたが、お兄様は力なく首を振るばかり。その虚ろな瞳には窓外の穏やかな湖畔の景色など一切映っていませんでした。
「どうしてそこまで落ち込んでいらっしゃるの?」
「彼女は聖女暗殺を企てる人じゃないんだ」
先日の誘拐事件──「聖女を消せ」という忌まわしい言葉が脳裏をよぎりました。首謀者はお兄様と同じ魔法省で働いていたご令嬢だったとか。
……あら?
もしかして。わたくしの推理が正しければ。
「お兄様、まさかその方のことがお好きでしたの?」
お返事がありません。
「え、ええ!? 初耳ですわ! 婚約の申し込みは? 贈り物などはなさっていたのですか?」
「……してない」
真面目を通り越したお兄様による、あまりに不器用な片思いだったということですの!?
不憫すぎてかける言葉も見つかりませんわ。
「そういう貴様はどうなのだ、セレーナ」
「わたくしに婚約者がいないのは、ご存知のはずでしょう」
「違う、アルカテニ様だ。聖女様は本当に……聖女様なのだろうか?」
まずい、と服の下に隠したネックレスが見えていないか手のひらで確認します。全身から汗が噴き出しそうですわ。
洞察力だけは異様に高いお兄様のことです。アルが女性でないことを、気づかれているのでしょうか。
「お兄様でも、さすがに不敬が過ぎますわ」
「俺だって信じたくはない。ただ、貴様にメモを渡してから独自に裏を調べてみたんだが、見つからないんだ」
「何がございませんの?」
お兄様が眼鏡の端を指で持ち上げました。レンズの向こう側にはいつもの鋭い彼の目が光っています。
「アルカテニ様の──出生届だ」




