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第16話 お菓子は愛情

 これぞ完璧な布陣ですわ。わたくしは目の前に並んだ調理器具を眺め、深く頷きました。そう、ここはチェルアルカ公爵邸のキッチンです。


「今日はお越しいただきありがとう、イアム。存分に粉と戯れましょうね」


 お母様が用意してくださった真紅のエプロンの紐をぎゅっと締め直しました。

 そんなわたくしとは対照的にイアムはなぜかしかめっ面です。


「なんでいきなりお菓子作り?」

「決まっておりますわ。同じ釜の飯ならぬ同じボウルの生地を捏ねれば心が通じ合うものでしょう」

「なにそれ……まあ、いいけどさ」


 彼女は力ない返事で、わたくしの後ろを見ていました。椅子に座って鉄壁の笑顔を飾ったアルが見守ってくれています。


「クッキー楽しみにしていますね、セレーナ」

「お任せくださいませ! イアムと至高の逸品を作ってみせますわ」


 アルが恋のキューピッド大作戦に協力してくれると言ってくれたものの、まさか厨房にまで来てくれるとは思いませんでした。

 とっても心強いですわ!


「お菓子作りで汚れちゃうだろうから、聖女サマにはお部屋に戻ってもらったら?」

「でも……」


 微笑んで手を振っていた彼は優美な身のこなしでイアムの背後へ忍び寄りました。


「お手伝いはできませんけれど、応援はしていますよ」

「聖女サマの応援など、あたしには必要ないかと」

「そんな寂しいこと言わないでください。ふふ……」


 イアムは震える手で小麦粉の袋をギュッと握りしめています。アルもいつもよりにこやかに笑っていますわね。お二人だけでおしゃべりを楽しんでいらっしゃるなんて、ずるい。

 胸の辺りを掴まれたような締め付けを誤魔化すように、わたくしは音高く手を鳴らしました。


「さあ! お話はそこまでですわ!」


 手元のボウルを勢いよくテーブルに叩きつけます。鈍い音が響き、ようやくお二人の視線がわたくしに向きました。


「イアム、まずは卵を割りましょう。さしあたり十個ほど」

「何枚クッキー焼くつもりよ」

「卵の重さが愛の重さです。さあ、クッキング開始ですわよ!」


 わたくしの熱意に押されたのか、イアムはしぶしぶと調理台へ向かいます。粛々と卵を割り始める彼女の横で、わたくしは景気よく小麦粉の袋を逆さにしました。

 舞い上がった粉が、わたくしの黒髪と近くにいたアルの美しい睫毛を白く染めていきます。こほ、と貼り付けた笑顔のままアルは小さくむせていました。


「お美しいことで聖女サマ。そんなところにいるからですよ」

「…………」

「イアム、これは演出ですわ。お菓子作りの現場は常に戦場なのです」


 わたくしが木べらを剣のごとく構える隣で、イアムが半笑いでアルを見ていました。

 自分の元へボウルを引き寄せていましたが、彼女の手つきはまるで危険物を扱うかのように慎重なものです。


「魔導具あれば簡単なんだけどなぁ……分量、明らかに袋半分くらい多くない?」

「料理は勢い、お菓子は愛情ですわ! イアムは殿下のことだけを考えてくださいませ」

「なんでここで王子が出てくんのよ」


 ちょうどお菓子作りが終わるであろう夕刻に、殿下を我が家へご招待している完璧な計画ですのよ。自分の仕事のでき具合に惚れ惚れしてしまいますわ。

 わたくしはイアムが割ってくれた卵を猛烈な勢いでかき混ぜはじめます。その間にバターを取りに行ってくれた彼女が、いつものわたくしのように盛大な転倒をしていました。

 イアムの足元に揺らめいた薄い魔力。あれは、アルの魔力では……?

 彼は座り込む彼女の横に立っていました。


「まあ、大丈夫ですか? イアム様」

「え、ええ、まあ」


 手を差し伸べて、イアムを起こしています。こちらからは彼の表情がよく見えません。


「そんなところにいらっしゃるからですよ」

「……!? いい度胸じゃない……!」


 戻ってきたイアムは手に持っていたバターが入ったボウルをドスン、と調理台に置きます。その赤い瞳には怒りが燃え盛っていました。

 混ぜるというより完膚なきまでにバターを叩き潰している彼女に、わたくしはおそるおそる聞きます。


「イアム、もしかして楽しくないですか……?」

「別に。あんたとお菓子作るのは、嫌じゃないわよ」

「ほ、本当!?」


 この目つきのせいかおかげか、わたくしには同じ年頃の友人はいませんでした。

 お友達と何をするものなのか分からなかったけれど、イアムが嫌じゃないと言ってくれて……とても嬉しい!


「わたくしも、お友達とお料理って初めてですの! とっても楽しいですわ!」


 照れていらっしゃるのでしょうか。イアムは目を逸らしながら、「あたしも楽しい」と言ってくれました。


「聖女サマは、あんたと一緒に料理なんてできないもんねぇ。あたしと一緒にたーっくさん楽しい思い出、作りましょ? 聖女サマなんかじゃなくて、あ た し と」


 そして勝ち誇ったようにほくそ笑んでいるイアム。どうしてなのかしら。アルもアルで歯噛みして目を見開いています。

 聖女! あなたは聖女なのよ!?


「ずいぶんと……お口が達者なのね? イアム様」


 ここから、お菓子作りという名の戦いの火蓋が切って落とされたのです。

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