第15話 恋のキューピッド大作戦
「おお……聖女様、なんと神々しいお姿だ」
領民たちの感嘆がフロルアレオの北の城門に満ちていました。彼らが目にしているのは濁りのない白の法衣を風になびかせ、静謐な祈りを捧げるアルです。
溢れる魔力は朝露が陽光を弾くような澄んだ輝きを放ち、古びた結界の石碑へと吸い込まれていきます。わたくしは側衛官として、その一歩後ろに控えていました。
(か、肩が触れ合うほどの距離ですわ……!)
儀式は順調。帰って報告書を書けば今日のお勤めは終了です。はやく終わってくださらないかしら──聖女様のお仕事に対して無礼と分かってはいても、わたくしの意識はすでに別の方向へと向いていました。
片手に忍ばせたオペラグラスと共に。
(城のテラスで身分違いの男女が二人きりなんて……!)
少し離れた城壁の影に、第一王子ラルモヴァーロ殿下とイアムの姿がありました。
お声まで聞こえませんが、顔を寄せ合うお二人は周囲を拒絶するような濃密な時間を共有しています。
(なんてこと! 殿下があんなに身を乗り出して……!)
緊張からかイアムが頬を薄く染めているのが見えました。その頬を殿下の指が触れそうで触れない距離でさまよっています。
わたくしは、オペラグラスを思わず強く握り直しました。その時です。
「近くに人がいないからって油断しすぎ」
「ひゃあ!」
鼓膜を直接撫でる距離でアルが囁いてきました。びくりと肩が跳ねます。
落としそうになったオペラグラスは、いつの間にか彼の手の中におさまっていました。
「ゆ、油断などしておりませんわ」
「嘘つけ。俺が結界を張り直してる間、ずーっと城の方を見てただろ」
「そんなことは」
「俺以外、見なくていいでしょ」
彼はわたくしが目を離せなかった方を向いて、オペラグラスを覗き込みました。
おそらく殿下とイアムが視界に入ったのでしょう。眉間にこれでもかというほどのしわが寄っています。
わたくしは隣に立つアルの法衣をぎゅっと掴んでつま先で立ちました。そして彼の手元にあるオペラグラスに顔を寄せます。
「あの初々しい距離感……きっとお互いに想いを告げられずにいらっしゃるのですわ! わたくしにはわかります。あれは間違いなく、恋の熱に浮かされた乙女と王子です!」
「妄想しすぎじゃない? お芝居じゃないんだから」
「なんてことおっしゃいますの!?」
以前イアムを窮地から救い出したのは他でもない、殿下でした。わたくしの中でバラ色の物語が猛烈な勢いで編み上げられていきます。
もどかしい。あまりにも、もどかしいですわ。イアムと仲良くなりたい。そして、彼女の背中を全力で押してあげたい……!
沸き上がる使命感に視界がぱっと開けましたりそうだ。お二人の距離を縮めるもの。甘く、優しく、心を解きほぐす魔法の鍵。
それをわたくしは知っています!
「決めましたわ。わたくし、イアムとクッキーを焼きます!」
「……は?」
名案すぎて言葉も出ないようですわね、アル。わたくしは力強く頷き、完璧すぎる計画を語りました。
「殿下の好みをリサーチして、わたくしとイアムで最高の一品を仕上げるのです。名付けて恋のキューピッド大作戦、ですわ!」
「頭に花の蜜でも詰まってんの?」
「アル、もちろん協力してくださいますわね?」
アルは即答しませんでした。ひどく悩んでいる様子……けれど、答えはイエスに決まっています。なぜならアルは生粋の甘党なのですから。
案の定、彼は小さく唸ってから条件を出してきました。
「セレーナが俺の分のクッキーも焼いてくれるなら、いいよ」
「もちろんですわ! 最高に甘い一品をお約束します!」
そうと決まれば、急いで王城へ向かわねばなりません。わたくしはイアムの住まいを知らないのです。今ここで約束を取り付けなければ、作戦は始まりません。
「わたくし、お二人の恋を全力で応援いたしますわ!」
わたくしはアルの手を掴むと、獲物を追う猟犬のような勢いでテラスへと駆け出しました。
城門からテラスへと続く庭園を進んでいますと、殿下とイアムが移動しようとしているではありませんか!
わたくしは止めようとするアルを跳ね除け、迷わず生垣の迷宮へと身を投じました。ガサガサと音を立てる葉の群れ。衣服が枝に引っかかるのも構わず、わたくしは地を這う姿勢で前進します。
「あの二人の恋路とかどうでもいいんだけど……」
「まっ、お子ちゃまですのね? 聖女様は」
背後から低く押し殺した声が響きました。振り返って見ると、アルの聖なる法衣が湿った土と緑の洗礼を受けています。無理やり茂みに引きずり込んだからでしょうか。
けれど、お二人に追いついたわたくしに彼の身なりを案じる余裕などありませんでした。
「今、殿下がイアムの髪に触れましたわ!」
「ゴミとっただけでしょ」
「いいえ、あれは恋の道に迷い涙を流す乙女を慰めようとしているのです! ほら、見てくださいまし!」
わたくしが茂みから顔を出すと同時に、殿下がこちらを見ておりました。わたくしの姿に辟易としていらっしゃるのは気のせいでしょうか。
急いで茂みに身を戻しても時すでに遅し。
「なーにしてんの、セレーナ嬢……と聖女様?」
「ご、ごきげんよう殿下。公務を終えまして、聖女様とお散歩を楽しんでおりましたの」
へぇ〜と一つも信じていないご様子で、殿下はわたくしたちに近づいてきました。
わたくしの背後にいるアル──泥に汚れた聖女様を見ながら、くくくと笑いをこらえていらっしゃいます。
「盗み聞きをしようなんて、あんまりいい趣味じゃないと思うけど?」
「違います! わたくしはイアムを屋敷に招待したいのです」
「あたし!?」
唐突に名前を呼ばれたイアムは驚いて声を上げました。お会いするのは誘拐事件以来でしたが、元気そうで何よりです。
「わたくし、貴女ともっと仲良くなりたいのですわ」
「仲良くって言われても……」
「ちなみに殿下、お好きなクッキーお味は?」
「食べられたらなんでも大丈夫だよ」
イアムは突然の誘いで困惑しているでしょうけど、わたくしの作戦を成功させるためには遠慮していられません。
彼女は殿下に目で許可を求めているようでした。殿下は軽く肩をすくめながら、ウインクを返します。
「……しょうがないわね」
「嬉しい! では、明日神殿にいらっしゃってくださいな。それから一緒にわたくしの屋敷へ向かいましょう」
喜びで思わずイアムの手を握りました。彼女の頬がほんのり朱に染まりましたが、直後にすっと青ざめてしまいます。
アルがわたくしとイアムの手を丁寧に引き剥がし、イアムに声をかけたのです。
「私も貴女と仲良くなりたいわ、イアム様」
なんだかイアムの表情が引き攣っているようです。やはり聖女様の前では緊張してしまうのでしょう。
イアムの真心込めた手作りクッキーで殿下の心を掴む恋のキューピッド大作戦、必ず成功させますわ。
「明日は甘い一日になりそうですわね!」




