紅い花の名前
どうもはじめまして春と桜です。
あたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
黒剣が振り下ろされた瞬間、オレはさらに一歩を踏み込んだ。刃が左目の上を走り、熱い痛みとともに血が弾ける。視界の半分が赤く染まり、頬を伝う血が顎へ落ちていくのを感じながら、オレは足を止めずに黒騎士の懐へ入り込んだ。拳を振り抜けば、黒い胸当てが大きく歪み、黒騎士の巨体がわずかに揺れる。その瞬間、腹の底から笑いが込み上げてきた。
「ガハハハハハッ!! やるじゃねぇかッ!! まだまだいけるぞォ!!」
黒騎士が大剣を返す。オレは身体を捻って刃をかわし、すれ違いざまに拳を叩き込んだ。硬い鎧が砕け、火花が散る。そのまま振り向けば、黒騎士もすでにこちらへ身体を向けている。大剣が迫り、肩口を裂かれる。血が飛び、痛みが身体を駆け抜ける。オレは笑いながら踏み込み、拳を振り上げた。黒騎士の兜へ拳がめり込み、鈍い音とともに頭部が大きく揺れる。互いの身体が離れ、石畳を踏みしめた次の瞬間には、また同時に駆け出していた。
「ガハハッ! そうだ! もっと来いッ!!」
黒剣が唸り、拳が唸る。刃が肩を掠めれば、そのまま懐へ入り込んで拳を叩き込み、大剣が身体を弾けば、踏み止まった勢いを乗せて再び距離を詰める。左目から流れる血が視界を濡らしても、右目に映る黒騎士だけを追っていれば十分だった。何度ぶつかったのかなんざ、もう分からねぇ。拳を振るうたびに黒い鎧が砕け、大剣を受けるたびに身体へ衝撃が走り、砕けた石畳と火花が足元を転がっていく。黒騎士が踏み込めばオレも踏み込み、刃が迫ればさらに前へ出る。傷だらけの身体を引きずるように、それでも口元には笑みが浮かんでいた。
「ガハハハハハッ!! 最高だァッ!!」
最後に黒騎士が大きく踏み込んだ。振り下ろされた黒剣が夜気を裂き、オレは真正面からその懐へ飛び込む。刃が肩を深く裂いた瞬間、拳を握り締め、残った力をすべて乗せて黒騎士の胸へ叩き込んだ。凄まじい衝撃が弾け、漆黒の胸当てが砕け散る。巨体が大きく後ろへ吹き飛び、瓦礫の向こうへ叩き込まれた。大剣が手から離れ、石畳を跳ねながら遠くへ転がっていく。オレは肩で息をしながら拳を下ろし、血で濡れた顔のまま瓦礫の向こうを見つめた。黒騎士は起き上がらねぇ。オレは頬を伝う血を手の甲で拭い、思わずまた笑った。
「……楽しかったぜ」
♢
結界が崩れた。帝都を包み込んでいた巨大な膜は、音もなく幾重にもひび割れ、淡い光の欠片となって夜空へ溶けていく。その中心に立っていたコマは、力を使い果たした身体を支えきれず、その場へ膝をついた。呼吸は浅く、肩は大きく上下している。長時間にわたって帝都を守り続けた魔力はほとんど残っておらず、指先まで力が抜けていた。
結界が消えた夜空には、無数の転移陣が浮かんでいた。青白い光を帯びた巨大な円環が幾重にも重なり、その中心から黒い影が次々と吐き出される。亡者たちは雨粒のように降り注ぎ、屋根を叩き、石畳へ落ち、外壁の向こうへ消えていく。その中でもひときわ大きな影がひとつ、地面を揺らすほどの衝撃とともに外壁の外へ落下した。直後、別の影が街路へ降り立ち、黒い鎧を纏った亡者たちが一斉に武器を構える。あちこちから混乱した声が上がり、炎に照らされた帝都の景色が瞬く間に黒く染まっていった。
コマは荒い息の合間から、懸命に顔を上げた。倒れた仲間を起こす者、迫る亡者へ剣を向ける者、傷を抱えながら前へ出る者。誰もが恐怖を抱えながら、それぞれの場所で戦っている。その光景を見つめているうちに、胸の奥へひとつの想いが浮かんだ。ここで力を振り絞らなければならない。ツバキが守りたいと願った帝都を、仲間たちを、この場所で暮らす者たちを守らなければならない。
すぐ隣に立つスクナと、視線が重なった。
二人は何も言わずに頷いた。
コマはゆっくりと立ち上がった。足元は頼りなく揺れていたが、両手を胸の前へ重ねると、身体の奥に残った魔力へ意識を集中させる。淡い金色の光が指先からこぼれ、ひとつ、またひとつと夜空へ昇っていく。小さな光は高く舞い上がるにつれて数を増やし、やがて帝都の上空を埋め尽くした黒い雨へ重なるように、神々しい光の雨となって降り始めた。
「みんな……もう少しだけ、頑張ってね」
コマの声はかすれていた。それでも光は弱まらない。金色の粒が戦場へ降り注ぐたび、傷ついた者たちの身体を柔らかな輝きが包み込んでいく。裂けた傷が少しずつ塞がり、重く沈んでいた身体へ再び力が戻っていく。立ち上がった戦士たちが剣を握り直し、降り注ぐ二色の光の下で再び敵へ向かっていく。その様子を見つめるスクナの瞳に、静かな決意が宿った。
スクナは腰の黒刀へ手を伸ばした。
鞘から抜き放たれた刀身が、夜の炎を映して黒く輝く。次の瞬間、刀から溢れ出した黒い光がスクナの肩口へ絡みつき、失われていた片腕へ流れ込んでいった。煙のような光が何度も形を変えながら腕を象り、やがて黒い腕となって指先まで繋がる。スクナがゆっくりと手を握ると、黒刀の柄がその掌へ収まった。
その姿を見たコマが、わずかに目を見開く。
「スクナ……」
「任せろ」
短い言葉とともに、スクナが前へ出た。
転移陣から落ちてきた亡者が、すぐ目の前へ着地する。黒刀が閃いた。斬り上げられた刃が甲冑を裂き、黒い影が崩れ落ちる。間を置かず左右から別の亡者が迫ると、スクナは身体を沈めて二本の剣をかわし、そのまま一人の懐へ滑り込んだ。黒刀が横一文字に走り、鎧ごと胴を薙ぎ払う。もう一体が背後から迫る。振り返った瞬間には、黒い刃がすでにその首元へ届いていた。
スクナの黒刀が夜を裂くたび、亡者の身体が石畳へ崩れ落ちていく。斬り裂かれた鎧の隙間から黒い光が滲み、胸を貫いた傷も、砕けた腕も、時間を巻き戻すように元の形へ戻っていった。倒れていた身体がゆっくりと起き上がる。そこに宿る目には意思も感情もなく、ただ虚ろな闇だけが沈んでいた。
「……どうして、眠れないの?」
コマは小さな声で呟いた。亡者は答えず、修復された腕で剣を握り直す。終わることさえ許されず、何度でも戦場へ戻される姿に、コマの胸が痛んだ。
「かわいそうなの……もう、頑張らなくていいの」
振り下ろされた剣を身を低くしてかわし、コマは懐へ滑り込んだ。両手の小刀が月明かりを弾き、黒い鎧を斬り裂く。すると傷口から淡い緑の芽がこぼれ、細い茎が伸び始めた。
葉が開き、蕾が膨らむ。幾重もの花弁が夜の中でほどけた瞬間深い紅が現れて、コマは目を丸くした。
冬の故郷で咲いていた、大好きな花。その名前は、コマが大切に想う人と同じだった。
「……きれいなの」
血を吸い上げるように花の紅が濃くなっていく。炎の橙と月の青白い光を受けた一輪は、黒い戦場の中で鮮やかに浮かび上がった。やがて亡者の身体が崩れ、紅だけが静かに残る。
「今度は、ゆっくり眠ってね」
コマは花へそっと触れた。夜空には新たな転移陣が開いている。コマは立ち上がり、小刀を握り直した。
「もう、起きなくていいようにするの」
その刹那、コマの瞳から悲しみが消えた。
小さな身体に合わせて作られた二本の小刀には、コマ自身の抜けた乳歯と、おじいちゃんの花が使われている。妖たちが仕立ててくれた特別な刃を手に、おじいちゃんと重ねた秘密の特訓の日々が、身体の奥から蘇る。
「コマだって、戦えるの!」
コマは駆けた。
右の刃が黒い鎧を裂き、続く左の刃が別の亡者を捉える。小さな身体が敵の間を軽やかに抜けるたび、銀色の軌跡が夜を走った。
傷口から伸びた茎が血を吸い、葉を広げるその先で、椿が咲いた。
新連載!【メデューサの子孫】を始めました!
よければそちらもご覧ください!
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