音の消えた神社
どうもはじめまして春と桜です。
初めての作品なのであたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
音が、消えていた。
春の終わり。山奥にひっそり取り残された古い神社。褪せた朱色の鳥居はところどころ塗装が剥げ、石段には長い年月を積み重ねた苔が薄く張りついている。風は吹いていた。木々も揺れている。けれど、本来そこにあるはずの音だけが、綺麗に抜け落ちていた。
鈴は鳴らない。葉擦れもしない。砂利を踏む音すら響かない。
世界そのものが、息を潜めているみたいだった。
「……なんやろねぇ。今日は、やけに静かやわ」
一宮椿は、境内をゆっくり見回した。
黒と紅白で左右が分かれた着物。片側には大きな椿の花が咲き、もう片側は夜みたいに深い黒。人目を引く華やかさがあるのに、不思議と下品さはない。静かな所作と真っ直ぐな背筋が、それを自然に馴染ませていた。
どこからどう見ても、京のええとこの娘。
けれど、その目だけは妙に冷静だった。
ここは、椿が昔から時折足を運ぶ場所だった。人ではないものの気配が、静かに集まる場所。幼い頃から、椿にはそういうものが見えていた。
だからだろうか。
椿は昔から、生と死の境界を人より近く感じていた。恐ろしくないわけではない。ただ、遠いものではなかった。
けれど今日は違う。
普段なら視線の端を掠めるものたちの気配が、ひとつもない。
「……変やねぇ」
石段をゆっくり登る。まるで、何か大きなものから一斉に身を隠したみたいに、境内には空白だけが広がっていた。
そして。
境内へ足を踏み入れた瞬間、ぞわり、と空気が揺れる。
「……境目?」
ぽつりと呟いた、その直後だった。
足元の感覚が消えた。
地面が抜ける。身体が浮く。視界がぐるりと反転し、鳥居も空も遠ざかっていく。
「っ……!」
落ちる。
そう理解した瞬間、世界が暗転した。
⸻
気づけば、空の色が違っていた。
群青でもない。夕焼けでもない。どこまでも深く、冷たい青。
湿った土の匂い。濃すぎる森の気配。空気そのものが、日本とはまるで違っていた。
椿は静かに瞬きをする。
「……ほんまに、えらい所まで来てしもたみたいやねぇ」
取り乱した様子はない。むしろ、その声音は妙なほど落ち着いていた。
その時、頭の奥へ直接声が流れ込んでくる。
―― お前を神隠しした
感情のない男の声に椿はゆっくり顔を上げた。
「……誰やの?」
返事はないが声だけが淡々と続いた。
―― 今より先、お前は元の世へ戻れぬ
――元より歪んでいる世界をお前がどう混ぜるのかを見ている
――ここで何を壊すか、見せてみろ
そこで気配は途切れ、森へ静寂が戻った。
椿はしばらく黙り込み、それから小さく笑う。
「……壊す、ねぇ」
その笑みは柔らかい。はんなりしているのに、妙に冷たい。
「知らんうちに放り込んどいて、好き勝手言わはるんやから。だいぶん困った神さんやこと」
誰もいない森へ向かって肩を竦める。
「せやけど、せっかくやし。うちも遠慮のう生きさせてもらいます」
一歩踏み出しかけ、ふと足元を見る。
そこにあったのは、古びた狛犬の石像だった。苔むし、半分崩れかけている。けれど、その顔には妙な既視感があった。
「……あんたも巻き込まれたん?」
しゃがみ込み、そっと頭を撫でたその瞬間、石へひびが入った。
白銀の光が滲み、石が崩れるみたいにほどけていく。
「……え?」
現れたのは、小さな白い獣だった。
雪みたいな毛並み。三角の耳。ふわふわの尻尾。ぺたりと座り込んだまま、ぱちぱちと瞬きをしている。
「わふっ!」
元気よく鳴いた白い獣は、そのまま椿の袖へ顔をぐりぐり押し付けてきた。
「くぅん、わふっ」
「……ふふ」
思わず笑みが漏れる。
「えらい懐っこい子やねぇ」
撫でると、白い獣は嬉しそうに尻尾をぶんぶん振った。
「わふぅ〜!」
「甘えたさんやこと」
そっと抱き上げる。柔らかな毛並みの奥から、確かな体温が伝わってきた。
ちゃんと、生きている。
その時だった。
白い獣の耳がぴくりと動く。
「……ぐるる」
低く唸り、森の奥を睨む。
甘えていた空気が消えていた。
何かが来る。
椿は静かに白い獣を下ろし、近くへ落ちていた枝を拾った。軽く振り、重さを確かめる。それから、自分の着物へ視線を落とした。
「……流石に、このままは動きづらいねぇ」
小さく息を吐き、帯へ指を掛けると布が緩む。
長い袖を片方だけ肩から抜き、腕へ巻き付けるように紐で留める。深く重なっていた裾を持ち上げ、脚が動く位置まで折り込んだ。白い脚へ細紐を巻き付け、そのまま着物を固定する。
しゃり、と布が鳴った。
さっきまで京のええとこの娘だった空気が、少しだけ変わる。
「ほんまは、こないな着方したないんやけど」
苦笑しながら、最後に帯を強く締め直した。
黒と紅白の着物が風を受けて揺れる。華やかなのに、今は妙に鋭かった。
白い獣が不安そうに見上げてくる。
「わふ……」
「大丈夫やよ」
椿は白い頭をひと撫でする。
「死ぬ気はあらへんし」
次の瞬間、森の奥から、人型の異形が飛び出した。
濁った目。裂けた口。獣とも人ともつかない化け物が、涎を撒き散らしながら一直線に襲いかかってくる。
「ギャァァァアアアッ!!」
だが、その前へ白い影が飛び出した。
「ガゥッ!!」
白い獣が椿の前へ立ち、小さな身体で牙を剥く。
「わうっ!!」
異形の爪が振り下ろされたその瞬間、椿が半歩前へ出た。
枝が閃きぐしゃり、と鈍い感触が手へ伝わった。
「ギャアアァァッ!?!?」
鋭い先端が異形の目へ深々と突き刺さる。
絶叫しながら暴れ回る異形の懐へ、椿は迷いなく潜り込んだ。
身体を流し、腕を逸らす。
静かな動きだった。
けれど、容赦がない。
「急に飛び出してきはって……びっくりするやないの」
次の瞬間、椿の腕が異形の喉へ絡みつく。
「ガッ……!? グ、ギ……ッ!!」
異形が暴れる。
白い獣は椿の前へ回り込み、毛を逆立てながら唸った。
「グルルルル……!」
まるで近づくな、と言っているみたいだった。
「暴れると、余計しんどいよ」
嫌な音が響いた。
異形の身体がびくりと震え、そのまま力を失う。
どさり、と重い音を立てて崩れ落ちた。
森へ静寂が戻り椿はゆっくり腕を離し、小さく息を吐いた。
「……まぁ、人やなかっただけ気は楽やけど」
白い獣が勢いよく駆け寄る。
「わふぅっ!」
着物へ飛びつき、心配そうに顔を見上げてきた。
「ん? 大丈夫やよ」
しゃがみ込むと、白い獣は安心したみたいに尻尾を振る。
「わふっ、わふっ!」
「ふふ、守ってくれようとしてたん?」
「わふ!!」
誇らしげに胸を張る姿に、椿はとうとう吹き出した。
「まだこないに小さいのに、勇ましい子やねぇ」
白い頭を撫でる。
白い獣は嬉しそうに目を細め、それから椿の足元へぴたりと寄り添った。
椿はその姿を見つめ、ふっと目を細める。
「……ええ子や」
それから、ゆっくり視線を上げた。
この時の椿は、まだ知らなかった。
小さな白い狛犬と共に、この世界へ牙を剥くことになるなんて。
本日初めて活動報告を更新しました!良ければそちらもご覧ください!
書き溜めはありますが、暫くは様子を見ながら1日1話から2話を目安に投稿しようと思っています!
毎日20時更新予定です!
ブックマーク 評価が作者の力になります!
応援よろしくお願いします!




