第2話 落ちた先で
気が付いた瞬間、全身に痛みが走った。どっか高い場所から叩きつけられたような、そんな痛みだった。
「いってぇ…ん?」
痛みに悶える暇もなく、すぐに違和感に気付く。動かした腕や右頬がさらさらとした感触に襲われたのだ。指先に触れていたのは草だった。先ほどの公園は砂利がほとんどで、草地などほとんどなかったはずだ。
重たい瞼を開けると、さらに異質な光景が広がっていた。紫がかった木々、異様なほど黒い草。そして何より、さきほどまで朝だったはずだが、あたりは夜になっていた。
なんとか体を起こすと、土と湿った葉の匂いが鼻をつく。ここがどこなのかは分からないが、知らない場所にいることだけは確かだった。
「裂け目…あれのせいか…?」
立ち上がって、改めて周囲を見回してみる。見渡す限りの森、植物自体が暗い色のせいか、少し先に行くだけで何も見えなくなりそうだった。
少し移動してみようかと思ったその時、足元に違和感を感じて見てみると、先程まで背負っていたリュックがあった。昼食も入っているため、とりあえず持っておこうと掴んだ瞬間、その隣に何かが転がった。ガラスでできた小さな瓶のようだった。
手に取ってよく見てみようと思った矢先、今度は茂みが騒がしく動いた音が聞こえた。咄嗟に瓶をポケットにしまい、近くの木の裏に身を隠すと、少し先の茂みから何かが顔を覗かせた。
実際に見たことはないが、狼って奴だろう。しかし、なんだか目が赤く光っている上に、体長が自分と同じくらいはありそうで、どうも勝てる気がしない。
茂みからさらにぞろぞろと出てきて、3匹ほどで群れているようだ。あまり考えたくはないが、俺を狙ってきたんじゃないだろうか。呼吸も荒く、かなり興奮しているのがここからでもよく分かる。
犬は鼻が利くというし、ここで隠れていてもすぐ見つかってしまう。
どこか逃げ場はと思ってよく目を凝らすと、背後のずっと先に、確かに何かが光ったような気がした。
何もしないまま襲われるよりは、まだ全力で逃げたほうがいいか。迷っていると、もう一つ、今度は何かが走ってくる音が聞こえた。音のほうを見やると、目が慣れてきたおかげか、土がむき出しになった壁のようなものが見えた。どうやら盛り上がってできた小さな丘があるようで、崖のようになっている場所に人影が見える。
人影が腕を振るうと、狼たちに向かって小さな物体がいくつか飛んでいく。パリンッとガラスが割れた音がすると、突然、爆発が発生した。
「うおっ…!?」
そこまで大きな爆発ではなかったようで、少しだけ強い風が吹いてきた。反射的に頭部を守っていると、山のほうから随分と訛った声が聞こえてくる。
「お前らの相手は俺や!」
人影が勢いよく後方へ走っていくと、それを追うように3匹の狼が疾走していく。
小さいとはいってもその丘は軽く10メートルはあろうかというのに、狼たちは一足飛びで超えていく。
「助けてくれたのか?…いや、偶然か」
先に逃げる判断をしていたら一瞬で追いつかれて死んでいたかもしれないという恐怖を感じながら、先ほどみた光の方向に全力で走った。
随分走ったと思う。リュックも軽くはないし、地面はところどころぬかるんでいて足が何度も取られそうになった。しかし、その甲斐あってか明らかな人工物の近くまで来ることができた。石でできた城壁のようだ。先程見えた光は、城壁につけられた松明の明かりだろう。しかし、炎の色が紫がかっていて、やはり何か異常な場所だ。少なくとも人が近くにいる場所で目が覚めたのは幸運だった…と思いたい。
とはいえ、現代にこんなあからさまな城壁なんてあっただろうか?どこぞの街にはまだ砦が残ってるとかテレビで言ってはいたような気がするが。
「…考えていても仕方ないか」
とりあえず城壁に沿って歩いてみることにした。ここが街なら、どこかに門があるだろう。部外者である俺が簡単に入れるとは思えないが、なんとかするしかない。
城壁に沿って歩くこと数分、妙に出っ張ってる壁があった。きっとあれが門だ。足が早まるのを感じつつ近づいてみると、それはまた随分と立派な城門だった。
「大きいな…」
一瞬マンションに見えそうなサイズで軽く目をこすってしまった。改めて見ても相当な大きさだ。冷静になって門番を探してみると、長い槍を携えた兵士がいた。まぁ間違いなくあれだろうなと話しかけてみる。
「すみませーん!」
声に反応して門番がむっとこちらを睨んでくる。まぁ明らか不審者だししょうがないか。と思いつつ意を決して聞いてみる。
「すみません、ここは…どこですか?」
「は?」
自分でも思った。いくら迷子でもこれはない。
「あ、いや、そうじゃなくてですね…迷子といいますか、自分がどこにいるのかわからないといいますか…」
「ほう…記憶喪失とでも言いたげだな?」
「そう!そうなんですよ、自分の名前以外さっぱりで…」
苦しすぎる。言い訳をするにももっと考えてから話しかければよかったと心底後悔した。案の定、門番が携えていた槍をこちらに向けられる。
「ふざけているのか?騙すにしてももう少しマシな嘘をつくんだな。」
「いっいや…ここがどこかわからないのは本当というか…えっと…」
このままでは街に入るどころか牢屋にでも入れられそうだ。頭をフル回転させてなんとかうまく言いくるめられないかと思考していると、今度は門番のほうから質問された。
「…貴様、その鞄に入っているのはなんだ?」
「鞄?ああ、これですか」
背負っていたリュックを下ろしながらふと考える。どう見てもここは日本ではない。しかし、なぜ日本話が通じているのだろうと。先程助けてくれた者も日本語を喋っていた。一体ここはどこなのだろうか?
様々な思考を巡らせつつファスナーを開けようとしたその時、上空から大きな風の音が聞こえてきた。何かとてつもなく大きなものが羽ばたいている音のようだった。
突然だったものだから驚いて、反射的に体が跳ねた。見上げてみると、星々が輝いている中で、黒くなっている部分があった。
「ドラゴン…?」
影しか見えなかったが、本能的にそう感じた。徐々に影が大きくなっているように見え、どうやら高度を下げているようだ。
「おい、貴様。少し下がれ」
「え?あ、あぁ、はい」
門番に言われるまま、城門側に下がる。
しばらくして、それは地上に降り立った。前足自体が羽になっていて、分類的にはワイバーンというものだろう。これもまたかなりの大きさで、いつかに見たプライベートジェット機ってこんなサイズ感だったなと感じた。羽もまた随分立派で、着地時には粉塵だらけでしばらく何も見えなかった。
「ケホッ…ケホッ…こればっかりはいつまでもなれないなぁ…」
粉塵が晴れてくると、穏やかな声音の男声が聞こえてきた。手で払いながら歩いてくる人影は、自分とそう背丈が変わらないように見える。
「やぁ、こんばんは。お久しぶりです、ルークさん」
「リュカオン様、発着場ならもっと前にあるでしょう。なんで毎回門の前まで来られるのです」
「だって、あそこから遠いでしょ?ここ。わざわざ馬車走らせるくらいなら直に来たほうが早いですよ」
「ハァ…まぁ、気持ちもわからないわけではないですが…」
どうやら門番はルークという名らしい。覚えていても仕方がないが。それよりも、リュカオンと呼ばれていた者のほうが気になる。背丈はやはり自分よりも少し大きいくらいで、見た目も一見すれば穏やかで優しそうだが、謂れのない覇気を感じる。ほんの少しだけだが息が詰まりそうだ。緑色の軽鎧に、背よりも少し大きめの骨のような槍。様付けで呼ばれるくらいなのだから社会階級的にも上位の人なのだろう。ワイバーンも気にはなるが、今は街に入って安全を確保することを優先しなければ。
そう思っていると、ふとリュカオンが不思議そうにこちらを見た。
「この子は?」
「あぁ、それが記憶喪失とか言いはじめましてね。どう見てもここら辺の奴じゃないですし、どうしようかと」
「ふむ…」
そういうとこちらを覗き込んできた。なんだかいろんな箇所を見られているような気がする。
「なるほど…君、会話できるんだ?」
「え?えぇ、まぁ」
「そうか…ルークさん、この子少し借りてもいいかな?」
「はい?素性もわからんのですよ?」
「いやぁ、予想が正しければこの子多分…いや、あの人に聞こうか」
「あの人?まさか直接会わせる気で?」
門番がなんだか嫌そうな顔をした。兜してるから表情分からないけど。
「ちょっと付き合ってくれるかい?」
「は、はい!」
よくわからないがとりあえず街には入れるようだ。運が付いてると思いたいが、ともあれ、あの危険な森とは一旦おさらばだ。
門を通ろうとすると、リュカオンがふと振り返ってワイバーンに向かって呼びかける。
「イレミア!また一緒に行くとき声かけるから!それまで発着場で待ってること!いいね!」
応えるように一声発すると、イレミアと呼ばれた竜はどこかへ飛び去って行った。
「じゃあ、行こうか」
色々あったが何とか身の安全は確保できそうだと、ひとまず安堵した。




