第15話 片鱗
眼前に、氷の槍が迫る。もはや予備動作など見えもしなかった。だが、握られた刀はそれを軽く逸らす。考えて戦うのではもう間に合わない。戦闘経験の浅い俺がするべきは、反射だ。戦法も戦術も、今の俺にはどうでもいい。思考ではなく、あの血反吐を吐いて得た肉体の経験を、いまこそ活かすべきだ。幸い、ソフィアの動作はガイアに比べれば遥かに遅い。目は慣れている―――それでも、一瞬、一つの疑問が頭をよぎった。
「なぁ、一つだけ、聞いてもいいか」
「ん…?」
「あんた、なんで戦っているんだ?」
何も考えていない、ただの疑問だった。形成されかけていた氷が、瞬時に霧散する。自然と口から漏れたそれに、答えを出せないようだった。
「…そういうのは、戦いの最中に聞くものではない」
「ずっと、気になっていたんだ。なんで統魔界を相手に宣戦布告をしたのかってな」
「…宣戦…布告だと?」
こちらの言葉に、戸惑っているように見える。まさか、しらばっくれるつもりじゃないだろうな。
「…またブラフか?」
「冗談だろ…?」
いや、違う。こいつ、本気で自覚がないんだ。あるいは、あれ自体が工作だったのか?いや、いいや、考えるのは後だ。この状況、問答で終わらせるつもりはない。これだけの傷を与えておきながら、ガイアにも、関係者みんなに迷惑をかけておきながら、勘違いだったで済ませてなるものか…!
俺は無意識に、刀へと魔素を流していた。刀身は僅かに紫色の光が滲み始め、切先に触れた雪は分かれて落ちていく。魔眼による全身への強化も際限なく伸び続け、全身に激痛が走っている。だが、それを自覚できないほどに、感情が昂っていた。
再び、杖がこちらに向けられる。なんとなく、杖が震えているような気がした。氷が形成されていくが、その速度は先程までに比べれば遥かに遅く、形状も歪んでいる。射出される直前、前方へと飛び出した俺は、氷ごと杖を突き上げ、弾き飛ばした。
「クッ…!?」
力が入り切っていなかったのか、枝のような杖は手を離れ、宙を舞う。その流れのまま、刀は袈裟切りの軌道を描く―――
「ッ!?離れろ!!」
刀身が肩口を切り始めた直後、乱雑に組まれた氷の針山が、壁となって俺を弾いた。だが、今度は防御できた。魔素の操作が洗練されていくのを感じる。感情の昂りに反比例するように、意識が研ぎ澄まされていく。氷の壁が、崩れていった―――
「弱者に与えられた傷の味はどうだ!?」
「黙れ、貴様如きがッ!この、私に!」
「他人を見下していい奴なんか、どこにもいねぇんだよぉ!」
「黙れぇぇええ!」
「ソフィアァアア!!」
感情に任せて、再び突撃する。縮地のような一歩、今度は一文字斬りの構えだった。あからさまな動作に、ソフィアは疑いなく右半身に氷を構え、あざ笑うような笑みを浮かべる。だが、俺の狙いは別にあった。感情のまま振るわれた刀は、狙い通り、氷に弾かれた。強く握られていなかったそれはほんのりと浮いて、すぐに落ちていく。
「なっ!?(これも、ブラフ…!?)」
ソフィアが反応するより早く、俺は既に右正拳突きの構えになっていた。崩れた型から繰り出された一撃―――
「ォラァッ!!!」
「ゴハッ!?」
魔眼頼りの荒れた拳は、メキメキと音を立てながらソフィアの腹部に深々と突き刺さり、吹き飛ばした。軽く十メートルは飛ばしただろうか。感情が乗っていたせいか、訓練の時より遥かに威力が上がっていた。どさりと背から落ちたソフィアは、荒れた呼吸をしながら動かなくなった。
「ふぅ…いっつ…」
自分の攻撃に、右手は耐えられなかったようだ。骨まではいっていないみたいだが、プルプルと動いてまともに動かせない。しばらく刀は握れないだろう。落とした刀を左手で収めようとするが、ぎこちない動きになってしまう。なんとかしまった頃には、ソフィアが上体を起こしていた。こちらを見る瞳には、怒りとも憎しみともとれる色が見える。
まだやる気かと身構えると、突然、ソフィアの後方から大声が聞こえてきた。
『塔夜!塔夜、聞こえるか!』
「ガイア!?(そうか、通信機!確かコートにしまったままのはず!)」
『首輪だ!金色の!ソフィアが身に付けているはずだ!』
「(首輪?なぜ今そんなことを)」
不思議に思いつつよく見てみると、確かに外套の隙間から金色の装飾品がちらりと見えた。それと同時に、ソフィアの顔が歪んだような気がした。
『そいつが原因だ!取り外せ!』
「なっ…!?」
何が何だかよく分からないが、とりあえずあれを何とかすればいいらしい。だが、利き手が潰れている状態でできるだろうか―――
「いや、逃げないと決めただろ…俺!」
左手だけを刀に添え、どうするべきか思考する。もともと両手で振るうものを、片手で―――いや、駄目だ。ならば引きちぎるか?左手で?無理だ。先にソフィアの首にダメージが入るだろう。いくらクズでも、致死になりうる攻撃は駄目だ。
「クソッ…!(どうすれば…!?)」
その時、ガイアの言葉が頭をよぎる。
『それ以外の使い道だと…身体能力の補助、ダメージの軽減―――』
「治癒力の…促進…」
未だ感覚が戻らない右手を見つめる。いけるのか…?いや違う、一種のゾーンにも似た今の感覚なら…!
「クッ!!」
やったこともないこと。いや、そもそも俺は来たこともない、何も知らない世界にいるんだ。やり方など知らない。だが、意識が、イメージがそうさせるというなら、試す価値はある。
歯軋りで歯が砕けそうになるほど全身に力を込め、右手に集中する。瞬間、右手が強烈な痛みと共に、バキバキと音を立て始めた。
「あ”…あ”あ”あ”あ”あ”!!」
メキャメキャと、肉が捩れる音が鳴り続ける。周囲の空間に残されていた魔素が、全て流れていった。およそ十数秒。体感では、永遠にも思える時間が過ぎた時、機能不全に陥っていた右手は、ある程度の機能を取り戻していた。
「ハァ…ハァ…で、できた…ハハ…」
喜びよりも、苦痛と疲労が先行して、このまま横になりたいとさえ思えてくる。だが、まだだ。ソフィアのあの目。まだ、諦めていない。深呼吸をし、再び抜刀する。刀を握る右手が、まだ痛む。傷は治っても、痛覚が消えるわけではないようだ。確かにこれは戦闘中にするものではない。
ソフィアが立ち上がるのを待つ。先手を取ればいい訳じゃないことは、先程の腹への一撃で知っている。ソフィアが攻撃をしたその瞬間、それへの反射こそが、おそらく唯一の勝機―――いつの間に拾ったのか、杖がこちらに向けられる。
「情けのつもりか?」
「まさかだろ。この方が、勝てると思ったからさ」
「舐めているのは、どちらの方だ…!!」
「舐めてなんかいない。油断も、傲りも、あんた相手には必要ない」
「こいつ…!!」
ソフィアの表情が歪むとともに、氷の槍が無数に形成される。それと同時に、俺の背後にも、上方からも、パキパキとひび割れるような音が聞こえてくる。次の一手で確実に決めるつもりなのだろう。街ごと攻撃するつもりがないのは、魔王としての、せめてもの責務のつもりか。相手の一手を待つ数秒が、途方もない時間に思えてくる。
「このっ…ふざけるなぁ!!」
絶叫した瞬間、前方と後方から同時に槍が迫ってくる。
「(全部が直接向かってきてるわけじゃない…回避を想定した攻撃か!!)」
極力回避に徹しつつ、いくつかの槍は刀で撃ち落とす。感覚で動く体が可能にした超反応だった。
「ッ…!!(この男…時間が経つにつれて感覚が鋭くなっているのか…!?やはり地面ごと凍らせるしか…だが、もう魔素が…)」
全てが一斉に襲ってきたならば、勝敗は分からなかっただろう。しかし、錯乱した思考と不安定な精神が招いた一瞬の隙…塔夜はそれを見逃さなかった。ほんの一瞬、ソフィアへの一直線上に、隙間ができた。氷の生成が間に合わなかったのか、あるいは油断か。身体はすでに前方へと飛び出していた。
「しまっ…!?」
「シッ!!」
飛び込む際の低い姿勢、そこから繰り出された神速の斬り上げに、ソフィアは反応が遅れた。のけぞる体を掠める刀身。その切先は、ソフィアの首元に迫っていた。首に直接張り付くように付けられた、黄金の首輪。ここからならそれがよく見える。厚さにして一センチもないだろう。その僅かな箇所に狙いを定め、返された刀身が引き抜かれる―――空を斬るように描かれた軌道は、首輪の側面だけを絶妙な加減で切り裂いた。瞬間、パリンッと、ガラスのような音と共に、首輪が弾けて砕けた。
「なっ…うっ…」
首輪が外れると同時に、ソフィアの身体から力が抜ける。中身が抜けた人形のように、力なく倒れていく。俺自身も、全ての力を使い果たし、姿勢も変えられないまま崩れ落ちる。
「ううっ…(魔眼も…切れたか。魔素が、もうないんだ。あぁ…でも…よかった…)」
極度の疲労に極寒の環境も合わさって、急な眠気に襲われる。自分の身体はもう、ピクリとも動かなかった―――




