透明な彗星
『大人気モデル梅宮紗里!その美貌とスタイルの秘訣は!?』
『進精鋭のブランドkikoで全身揃えた夏コーデ』
コンビニの雑誌コーナー、ファッション誌の一面を飾るのは梅宮先輩だ。さらに美しくなった先輩はゆるゆかな笑みで微笑んでいる。
「懐かしい……」
梅宮先輩と花手毬先輩は卒業、椿や葵子やまどかは高校三年生。
あれ以来皆には会えていない。今しかあえない。会いたい。
居ても立っても居られなくなってかけないように見ないようにしていた番号にメッセージを送る。
『最近何もないんだ。予定があえば皆にあいたい』
メッセージを送信した瞬間、スマートフォンの画面がひどく冷たく感じられた。
一年前、あの青藍学園での過酷な任務を終えてから、私たちはそれぞれの道を歩み始めた。
潜入捜査という特殊な環境で結ばれた絆は、日常に戻ればあまりに脆いものだと自分に言い聞かせてきた。普通の世界で生きるみんなはもう手の届かない世界の住人のように見えた。
画面を見つめたまま、心臓の鼓動が耳元まで響く。
返信が来なかったらどうしよう。あるいは、「誰?」なんて一言が返ってきたら。
そんな不安を振り払うように、私は雑誌の表紙をもう一度なぞった。
その時、手の中で端末が短く震えた。
通知バーに表示されたのは、グループトークへの招待。
送り主は、梅宮先輩――。
『ちょうど今、私も同じこと考えてた!』
そのメッセージに続くように、次々と通知が跳ねる。
『賛成。私もみんなの顔が見たいと思ってたところ!』
(花手毬先輩だ)
『えーっ!もしかして集まっちゃう感じ?私、課題放り投げてでも行く!』
(まどか……変わってないな)
『……了解!場所はどこにする?』
(椿らしい、簡潔な言葉)
『ふふ、楽しみね。私も準備万端よ』
止まっていた時間が、一気に動き出したような感覚。
雑誌の中の「完璧なモデル」ではない、私の知っている「先輩」や「仲間たち」の声がそこにはあった。
私は震える指で、再会の場所を打ち込み始める。
一年という月日は、私たちが大人になるには十分な時間だったけれど、あの場所で共有した熱量までは奪い去れなかったのだ。
***
待ち合わせ場所に指定されたのは、青藍学園の近くにある、皆で行ったことのあるショッピングモールだった。
最初に現れたのは、椿とまどか、それに葵子の三人だった。
「あーっ!いたいた!全然変わってないじゃん!」
まどかが周囲の目を気にせず駆け寄ってきて、私の肩を叩く。高校三年生になった彼女たちは、どこか大人びた雰囲気を纏いつつも、口を開けばあの頃の賑やかさそのままだ。椿は少し照れくさそうに「久しぶり」と短く頷き、葵子は相変わらず穏やかな笑みを浮かべて私の顔を覗き込んだ。
「みんな、揃ってるわね」
凛とした声に振り返ると、そこには雑誌から抜け出してきたような梅宮先輩と、その傍らで優雅に微笑む花手毬先輩が立っていた。
梅宮先輩は、例の『kiko』の夏コーデを完璧に着こなしている。けれど、私と目が合った瞬間に見せたのは、表紙の完璧な笑みではなく、いたずらっぽく目を細める、あの頃の「先輩」の顔だった。
「……よかった。メッセージ、送ってくれて」
カフェの貸し切りのテラス席に座り、色とりどりの冷たい飲み物が運ばれてくると、一年の空白は一瞬で埋まった。
話題は尽きない。梅宮先輩のモデルとしての苦労話、花手毬先輩の進学先でのエピソード、そして受験を控えた三人の近況。
「でも、不思議ね。こうして笑っていると、あの時のことが嘘みたい」
花手毬先輩がふと零した言葉に、一瞬だけ場が静かになる。
私の指先には、あの任務で刻まれた見えない傷跡や、培った感覚が今も残っている。どれだけ華やかな日常に身を置いても、私たちは「普通」の女の子には戻りきれない部分を共有していた。
「だからこそ、こうして集まれる時間が大切なのよ」
梅宮先輩がグラスを掲げる。
「今日は仕事も、立場も抜き。ただの仲間として、楽しみましょう」
カラン、と氷が鳴る音が重なる。
午後の柔らかな光の中で、私たちは再会の喜びを噛み締めていた。
ほのあまいパンケーキは凄く凄く懐かしかった。まどかの騒がしさも葵子の上品さも椿のやんちゃさも。みんなあの頃のままだ。
「あーあ、このパンケーキ、一生食べてられる気がする」
まどかの声が、西日に照らされたテラスに溶けていく。
ふと訪れた穏やかな沈黙の中で、私たちはオレンジ色に染まり始めた街並みを見下ろした。
あの過酷な日々は、普通の世界から見れば存在しないも同然の、透明な彗星のようなものかもしれない。けれど、透明だからなくならない。誰に見えなくても、私たちの真ん中を今も確かに突き抜けて、消えない光を放ち続けている。
「……ねえ。時々、怖くなるの」
梅宮先輩が、自嘲気味に微笑んだ。
「モデルとして、誰かと比べられる毎日。○×△どれかなんて、そんなことばかり気にして。……でも、今日みんなの顔を見たら、そんなのどうでもよくなっちゃった」
その言葉に、私は胸が熱くなるのを感じた。
誰かと比べて自分を測る必要なんてない。あの極限の状態を共に生き抜いた私たちが、今こうして笑ってパンケーキを食べている。それだけで、生きるのは最高だと、考える暇もないほど本能が叫んでいる。
花手毬先輩が、グラスの縁を指でなぞりながら静かに言った。
「任務が終わって、一度はお別れしたけれど……。今ならわかるわ。お別れしたことは、出会ったことと繋がってる。離れていた一年も、今日ここで再会するための大切なプロセスだったのね」
その言葉は、私の心の奥に澱んでいた寂しさを、鮮やかな光へと変えてくれた。
さよならを言ったあの日があったからこそ、今のこの愛おしい時間が、奇跡のように輝いているのだ。
「……また、会えるよね」
私の祈りのような言葉に、椿が私の頭を乱暴に、けれど優しく小突いた。
「当たり前でしょっ!どこにいたって、私たちは繋がってるんだから」
解散の時、夕闇が迫る街へ踏み出すみんなの背中を見送った。
それぞれの場所へ、それぞれの日常へと戻っていく彼女たちの足取りは、かつてよりもずっと力強い。
私は一人、反対方向の駅へと歩き出す。
胸の中には、あの透明な彗星が今も尾を引いて走っている。
「……よし」
私は一歩、踏み出した。
この先にどんな夜が待っていても、私たちはもう、暗闇の歩き方を知っている。
大丈夫。私ならやれる。
全部終わった日常には君がいるから。




