九州の言葉と太陽
「心晴!そろそろ起き!」
お母さんの元気な声が、まだ夢の続きを漂っていた意識を強制的に引き戻した。日野心晴は、ゆっくりと、けれどぱちっと小気味よい音を立てるように目を開けた。
視界に飛び込んできたのは、見慣れた、けれど何度見ても胸が躍るお気に入りの景色だ。
天井から吊るされたふわふわの天蓋、そして繊細な装飾が施された白っぽいフレームのベッド。
大の洋風インテリア好きの両親と、自分の「可愛い」を詰め込んだこの部屋は、まるで古い物語に出てくるお城の一室のようだった。
「お母さん、おはよ……」
「おはよ。心晴、今日はお仕事あるっちゃろ? 寝坊せんごとせんとね」
「わかってるって。準備するけん」
母の口から漏れる九州の方言は、ミルクたっぷりのココアのように温かみがあって、心を解きほぐしてくれる。名残惜しく布団から出ると、裸足で冷たいフローリングを歩き、キッチンへと向かった。
キッチンでは、甘い香りが立ち込めていた。お母さんが手際よくパンケーキを焼いている。
「お父さんは?」
「あぁ、あのアニメ映画の新作ば観に行くって、朝早くから張り切って出かけて行ったよ」
「相変わらずだね。あ、悠陽と麻陽は?」
「リビングで勉強しよるよ。晴夜が見てくれよるけん助かるわ」
当たり前のように家族がいて、笑い声があって、それぞれの日常がある。リビングを覗くと、末っ子の双子、麻陽と悠陽が机に向かい、中学生の弟・晴夜が少し面倒くさそうに、けれど丁寧に勉強を教えていた。
そんな光景を眺めながら、心晴はテレビの占いに目をやる。
『今日の一位は天秤座のあなた! ラッキーカラーは灰色、身近な人への感謝を大切に!』
(身近な人……ね)
心晴の胸の奥に、小さなさざ波が立った。
私の職業は浄化師。その界隈で、私のような家庭環境は極めて稀だ。浄化師の多くは、魔物との戦いや不慮の事故で、親や兄弟を亡くした過去を持っている。孤独と欠落が、浄化の力の源になることもある。
だからこそ、こうして温かい家族に囲まれ、何不自由なく愛されている自分は、この世界ではひどく異様で、浮いた存在なのだと自覚していた。
洗面台の鏡に向き合い、自らの姿を映す。
真っ白な髪の毛。それはお母さんも、おばあちゃんも、さらにその上のおばあちゃんも、生まれた時からそうだったという。瞳の色も色素が薄く、どこか透き通った明るい色をしている。
「変な髪」なんて呼ばれることもあるけれど、最近になってようやく知った。この容姿は、いのりの子孫の特徴。
「おねーちゃんっ!」
ヘアアイロンで髪を巻いていると、背中に柔らかい衝撃が走った。双子の妹、麻陽がぎゅっと抱きついてきたのだ。
「麻陽、悠陽、おはよう。もう、危ないよ」
「おねーちゃん、今日もお仕事いきよるん?」
悠陽もとことこと寄ってきて、心晴のスカートの裾を掴む。
「何時帰ってくる? 今日は一緒にトランプしたい!」
「んー、六時くらいかな。定時で上がれるように頑張るね」
麻陽の白いふわふわの髪の毛と、悠陽の黒い艶々の髪の毛。対照的な二人の頭を、心晴は愛おしそうに撫でた。
「ねーちゃん、はよいかんと遅刻するっちゃろ。ほら、二人とも離れなさい」
弟の晴夜が呆れたような顔でやってきて、二人をひょいと抱きかかえる。
「晴夜、お願いね。二人とも、良い子にしよってね! 行ってきまーす!」
カバンを掴み、バタバタと家を飛び出す。
玄関のドアを開けた瞬間、朝の少し冷えた空気が頬を撫でた。いつもの通勤路、いつもの街並み。変わらない日常の風景に、心晴はふと目を細める。
(いつも通り……。でも、いつまでこんな風に過ごせるんだろう)
ふとした瞬間に、そんな不安が首をもたげる。
「終わり」を意識した瞬間から、もう何かが崩れ始めているのではないか。よく当たる占いも、他人と違う髪の色も、すべてが「この幸せは長くは続かない」という予兆のように思えてしまう。
けれど、それを振り払うように一歩を強く踏み出した。
(いかんいかん。今日もいつも通りに終わらせる。それが私の仕事なんだから)
ビルが見えてくると意識を切り替えた。
九州の温かい言葉を胸の奥に仕舞い込み、仕事用の「標準語モード」へとギアを入れる。
「おはよう。煙くん。早いね」
声をかけた相手は、世良煙。同い年で、同じ浄化師のクインテット。
「……おはよう」
煙は、眠たげな目をこすりながらぼんやりと応えた。
肩につくくらいの黒髪は、寝癖なのかあちこちに跳ねている。やる気があるのかないのか分からないその雰囲気も、私にとっては「いつも通り」の風景の一部だった。
「今日も灰色の予報だね。ラッキーカラー、ちょうどいいじゃない」
煙のグレーのパーカーを指差して笑うと、彼は「何のこと?」と不思議そうな顔をした。
「……別に。行こうか」
「うん」
二人は並んで歩き出す。
どこまでも続く穏やかな日常と、その裏側にある、いつ終わるかも知れない浄化の戦い。
白と黒、光と影が混ざり合う、長い一日がまた始まろうとしていた。
おまけ
日野家の家族構成
父・日野晴灯
母・日野心陽
長女・日野心晴
長男・日野晴夜
次女・日野麻陽
三女・日野悠陽




