Re:2 悠
きっかけなんて案外こんなものだ、世の中にはこういうことが溢れている
笑う彼女に導かれて狭いエレベータに乗る僕、狭い鉄の箱は彼女の甘い香りで満たされていく。
程なくして開いたエレベータから降り、ビルの廊下を進み突き当たりにある木製の扉を彼女が開いた。
いかにもラウンジという薄暗さの店内に、ソファー席のテーブルが二つと、4席ほどあるカウンター席、店内はさほど広くない。
カウンター席に案内された僕は、慣れない様子で隣に立つ彼女にスーツの上着を預けた。
ぎこちない仕草でハンガーへ上着をかける彼女に本当に慣れてないんだなと心の中で笑う。
そうやってカウンターへ向くと、いつの間にか目の前のカウンター内には少し年齢を重ねた男性が立っていた。
こう言ってはなんだが、店内の雰囲気には似つかわしくない紳士だった。
「いらっしゃいませ、初めてのご来店ですね、ありがとうございます」
「ごゆっくりとしていってください」
そう丁寧に話す紳士に僕はカウンター席に腰掛けながら質問する。
「この彼女とお話させていただきたいのですが、よろしいですか?」
今までそう言われたことが無かったのか少しだけ間をあけて紳士がこう告げる。
「彼女はまだ経験も浅いので、楽しいお時間を提供できるかわかりませんが。それでも構いませんか?」
「ええ、彼女が声をかけてくれたので是非そうさせてください」
「かしこまりました、ありがとうございます」
こういった類の店でこの様に告げることは所謂“指名”という行為なのだろう、と拙い知識を頭の中に巡らせた。
それと同じくして支払いのことが頭を過ぎったが、先ほどの牛丼チェーンで支払いの際、財布の中にそれなりの枚数の一万円札があったのを思い出し、カード払いをできるかの確認をするのをやめた。
そうしていると、僕の上着をかけ終えた彼女が紳士に呼ばれ、僕に着くよう指示を受ける。
慣れない仕草でカウンター越しに立つ彼女はどこか子どもっぽく、未成年なのではないかと疑問を抱いた。
この界隈でそんな店は五万とあるだろうし、気にすることでは無いのかもしれない。
それでも仮にそうであればお酒を勧めてはいけない、と心に留めた。
そんな余裕を持ってはいても、僕はいわゆるバーという類の店は嫌いじゃないが、だいたいがゆっくりとお酒を呑みたいだけなので、女性が着くお店であるこの店では正直落ち着いていない。
などと一人考えている間に彼女が目の前のカウンター越しに慣れない手つきで名刺を差し出す。
「はじめまして、悠と言います。初めて自分でお客さん連れてこれたんです!」
「今まではヘルプというか横についているだけだったので、楽しくお話できるかわからないけど、よろしくお願いします。」
そういって悠は笑顔で笑った。
――思えば、この時笑顔を見たときから既に、僕は今日の日を迎える覚悟をしていたのかもしれない。
少し厚めの光沢のある名刺に書かれた【悠】という一文字。
これが源氏名というやつかと名刺を眺めていると悠が話かけてきた。
「結構暑くなってきたのにジャケット着ているんですね。」
「ああ、そうだね。エアコンが苦手で、寒がりだから」
「でもスーツの男性って素敵ですよね、格好良い。」
「ありがとう、お世辞でも嬉しいよ」
「お世辞なんかじゃありませんよ、もう!」
そうやって、少し頬をふくらませる悠を見て、やはり若いと警戒する。
「お酒は何にしましょう?」
「梅酒あるかな、ウイスキーやブランデーは苦手なんだ」
「店長、梅酒ボトルありますか?」
「梅酒。裏の酒屋からすぐに買ってきますよ」
「フットワーク軽いですね、よろしくお願いします」
本当に数分で帰ってきた店長の手に、それなりの量産品梅酒ボトルが握られている。
悠に手渡され、氷の入ったグラスに梅酒が注がれていく。
きっとあのボトルがなくなる時には同じ物が3本は買えるのだろうな、なんて邪推をしながら注がれるのを待った。
「君も何か飲みたいなら飲んで良いよ、店長さんかまいませんよね?」
「ええ、もちろん結構です」
「あ、未成年ならお酒はだめだからね」
そういって自分の中の疑義を口にして予防線を張る。
するとカウンターから拗ねた声で悠は僕に告げる。
「あ、子ども扱いしましたね!立派な二十歳です!もう、失礼なお兄さんですね!」
「ごめん、ごめん。職場の子と違ってメイクも薄いし、雰囲気もまだ制服を着てそうだから、つい聞いてしまったよ」
「あー、ショック…。ドレスも着て結構頑張ってるつもりなのにな」
「でも可愛いよ、そんな君に興味を持って此処にいるぐらいには可愛いと思ってる」
「またそういう台詞を口にして、ほんと軽いですよね、お兄さん」
「いや、本心だって」
「そうやって色んな女の子に言ってるんでしょ、きっとそう!」
なんて他愛も無いありきたりなやり取りをカウンター越しで悠と続けながら、2杯3杯と梅酒を飲んでいた時だった、彼女が僕の左手の薬指に目をやる。
「あ、指輪。何だ、ちゃんとした人居るんじゃないですか」
「そうだね、結婚しているし、パパだよ」
「え、お兄さんじゃなくてお父さんですか!?」
「うん、2人」
「え、お兄さんいくつですか?」
「29歳だけど?」
「25歳ぐらいだと思って話していました、何かすいません。って言うか、ちゃんと家に帰って子どもさんと遊んであげて下さいよー!」
「今は、里帰り中だから独身だよ。じゃなきゃ来てない、だから安心して」
そう言いながら、悠に子どもの話をしながら時間を過ごす。
子どもが可愛いという話をすると少し切なげな顔をした気もするが、基本的には楽しく相手をしてくれた。
そうやって1時間半程経っただろうか、酔いもいい具合に回ってきたところで時計をみると22時前を指していた。
「じゃあ、そろそろお暇します。お勘定を」
「ありがとうございます、ではコレで」
そういって、紳士は15000ほどの金額が書かれた紙切れを差し出す。
2枚の紙幣を出して、釣銭を受取る間に上着を持って横に立つ悠、ペースは遅かったが少し飲んでいたので頬が薄くピンク色に染まっている。
彼女から上着を受取り、羽織った後「ごちそうさま」と告げて出口へと歩く。
「悠ちゃん、お客様のお見送りお願いします」
「はい、いってきます」
木製の扉が開かれて、下りのエレベータを待つ間に悠が話し始める。
「今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ、楽しかったよ」
社交辞令を交わす。
「初めてのお客さんが、お兄さんでよかったです」
「それは、光栄だね。ありがとう」
再び社交辞令を交わしながら、エレベータへ乗り込む。
狭い筐体で来た時よりも距離を近づけて悠が寄り添った気もするが、僕も少し酔っているせいだろうと気にするのをやめた。
すると、悠が僕の手をとり紙片を手のひらに置いた。
「あの、コレ…携帯電話とメルアドです。良かったら」
「ありがとう、今日は無理だろうけど連絡先送るよ」
「約束ですよ?」
少し照れたような様子で呟きながら僕を見上げる悠に見惚れていた。
そんな単純すぎる自分自身に少し可笑しくなるが、この繁華街にはこんなやり取りが毎晩のように溢れているのだと言い聞かせて、淡い感情をかき消した。
もらった紙片をスーツのポケットに入れてしまった後、ふと悠を見下ろすと大きく開いたドレスの胸元から見える決して大きくは無い膨らみに印象的な“ほくろ”を見つけて思わず悠に指をさして告げてしまった。
「胸に目立つ印があるね」
「もう、さよならする前にどこ見てるんですか、お兄さんのエッチ」
「見たんじゃなくて、見えただけだよ。それじゃ今日はありがとう、またね」
「あ、ごまかしたな。罰として今度もウチと遊んでくださいね!」
一人称がコロコロと変わる様に、少しは本当に楽しんでくれたのかもしれないなと思いながら、悠が言う“今度”なんてきっと無いのだろうと決めつけて、22時でも涼しさのかけらの無いミナミの繁華街を後にした。




