初デート
決戦の日がやってきた。
本日は天下分け目の戦いであるところの、三ノ宮姫乃と美男綺麗のいわゆる初デートの日だった。
三ノ宮が年頃の男子と二人きりで休日に出かけることなど、実の弟を除けばまるで経験がない。行き先が動物園というのも悪くないし、昨夜も遠足の前日くらいには浮き足立っていた。
しかし三ノ宮は──寝坊した。
「絶望したー!!」
こんな日に限って目覚まし時計が鳴らないなんてことがあるのか。病む時も健やかなる時も、永い年月を仕えてくれた家来(目覚まし時計)だったが、ここにきて謀反を働くとは。
時刻は既に、約束の時間から二時間を過ぎている。終わった。
三ノ宮が自宅から出発する時間ちょうどに設定したはずのスマホのアラーム機能も、なぜか鳴らなかった。彼女がスマホを確認しようとするも、画面は真っ暗なままで一向に点かない。電池切れだった。
前日の夜には確かに、充電100%にしてから就寝したはずなのだが⋯⋯。
休みの日だからと言って、十二時までぐっすり寝ていた自分もどうかと思う。三ノ宮は生まれて初めて、人様を二時間も待ちぼうけにさせてしまったという罪悪感のせいなのか、心なしか身体もだるくて少し重たい。
おかしい。これまでの休日、どんなに遅くとも十時前には目を覚ましていたはずだ。明け方まで漫画を読み耽っていたわけでもないのに、どうしてこんなことに──。
こんなに待たせてしまったのだ。美男ももう呆れて帰っている頃だろうし、もう少しゆっくりしてから考えよう。
三ノ宮はそんな遅刻が確定した人間だけが持つことができる謎の余裕で、ひとまずお腹も空いたしブランチにしようと──自室からリビングへと移動した。
「おはよう、三ノ宮」
「おはよぉー」
食卓に着くと、ラップをかけた状態でフレンチトーストが用意されていた。
さて今日は上にかけるのは蜂蜜、チョコレートシロップ、メープルシロップのどれにしようかと三ノ宮はうんうんと悩む。
あるいは、何もかけずに素材の味を楽しむか。
「半分ずつかけたらいいんじゃないか?」
なるほどその手があったかと、まずは半分だけメープルシロップをかけることにして──
「びっ!? びびっ、び⋯⋯⋯⋯!!」
三ノ宮はまるで幽霊でも見たような驚きようで、その場から飛び上がった。食卓の向かい側に座っていた人物は何を隠そう、美男綺麗だったからだ。
「⋯⋯はふぅ。ど、どうしてここにいるの!?」
「どうしてもなにも、三ノ宮のお母さんからオレの母親に連絡があったんだ」
なんだその話、と三ノ宮はさらに頭に疑問符を浮かべた。
今日、美男と出かけるだなんて話は自身の母親に対して一言足りとも言っていない。彼氏の存在も、機密事項として秘匿していたはずだ。
明日はクラスの友達と動物園に行ってくる、程度の情報しか開示していないというのに──。
しかしここで三ノ宮は、あるひとつの可能性に辿り着く。ママ友ネットワーク(5G対応)の存在である。それはつまり三ノ宮と美男、それぞれの母親だけが情報の出処である必要はないということだ。
おそらくクラスメイトの誰かが母親に『今日クラスで、こんなことがあったんだよねー』とふたりの関係性について話したのだろう。
人の口に戸は立てられぬ、とはよく言ったものだ。
「オレも正直言うと驚いた。彼女ができたって話もまだ、親にはしてなかったからな」
それは美男が待ち合わせ場所に着いてすぐのことで、自分の母親からこんな着信がかかってきたそうだ。
「さっき、姫乃ちゃんママと電話してたんだけどー。姫乃ちゃん、まだお家にいるみたいだから綺麗が迎えに行ってあげなさいな」
──そうして現在、この状況に至る。
「ごめんなさいでした!」
三ノ宮は生まれて初めて、床に額を擦り付けて人に謝罪した。土下座である。
美男に待ちぼうけをさせなかったのは不幸中の幸いではあるが、寝坊して二時間余りも待たせてしまったという事実は変わらない。
何よりもまずいことは慌てて準備をして出かけるどころか、のんびりと昼食をとろうとする醜態を晒してしまったことだ。
今なら身を焦がすような灼熱の鉄板の上でだって、十秒間くらいなら土下座できるかもしれない。
「気にしてない⋯⋯と言ったら嘘になるかもしれないな。ここは貸しひとつで手打ちにしないか?」
当初の予定が少々、後ろ倒しにはなってしまったものの──三ノ宮姫乃と美男綺麗の、記念すべき初デートが始まった。
「ここだ。着いたぞ」
「わー、行き先は動物園だったんだねー!」
三ノ宮の事前の推理は的中していた。『海と陸ならどっちが好きだ?』という美男のあの質問は、やはり《動物園》or《水族館》の二択だったのだ。
三ノ宮のリアクションはわざとらしいを通り越してあまりに白々しいものだったが、美男はチケットの発券手続きをしておりそれには気が付かない。
「今日は、こっ⋯⋯これで勘弁してもらえるかなっ!?」
入場が済むと、三ノ宮は震える手でなけなしの諭吉を固く握り締めながら美男へと差し出した。
渡したいのか渡したくないのかよく分からない挙動だが、彼女は寝坊というチョンボのペナルティをこいつで支払うつもりでいた。(チョンボ=麻雀でのミスや反則行為のこと)
しかし、美男はあっさりと首を横に振る。
「オレから誘ったんだから、これくらいは払わせてくれ。それにときどき、兄が勤めている職場でバイトなんかもしてるんだが──使い道がなくて困っていたくらいだ」
「うぐぅ」
美男は盛大な遅刻(二時間)をした三ノ宮を叱責することもなく、さらにはチケット代まで負担すると主張した。
美男綺麗。看板に偽りなし、彼は名前に違わぬ綺麗な心の持ち主なのである。
「順番に回って行っても時間は足りるだろうが、三ノ宮はとくに見たい動物はいるか?」
美男は入場の際に受け取った園内の見取り図が記されたパンフレットを広げ、三ノ宮に見せた。
「ふーむ⋯⋯」
動物園というのは、たとえ順番に回ったとしても、全ての生き物を余すことなく観賞するのは難しい。
動物が寝ているだけならまだ観察のしようがあるが、隠れ家で姿を表さずに引きこもっていたり、ご飯タイムで休憩中だったりとイレギュラーも多いのだ。
それらを鑑みると、見たいものからどんどん先に見ていくという美男の提案は最適解と言えるだろう。
「わたしはまずこのドンキー⋯⋯じゃなかった、《ニシローランドゴリラ》が見たいかな!」
女子が好きそうなパンダやカピバラあたりが初手に来ると考えていた美男は、三ノ宮の一風変わったチョイスに少し驚くが──彼女の意外な一面を知れたような気がして、嬉しくなった。
「あっ⋯⋯」
三ノ宮のリクエストでニシローランドゴリラ、チンパンジー、ハダカデバネズミ、マダガスカルオオゴキブリを見終えた後のことだ。
現在、サル山にいるニホンザルの一匹を眺めながら三ノ宮は哀愁の念を抱いていた。
他のニホンザルたちが群れを作ってグループ行動をしている中、離れた場所でぽつんと一匹だけが膝を丸めて、所在なさそうにうずくまっていたのだ。
──逆だったかもしれねェ⋯⋯
あれは、2年4組での教室内での自分だ。
遺伝子的には人間と猿の違いは1%程度しかない、という学説がある。ならその1%の壁をもし彼らが超えたとしたら、いったいどうなってしまうんだろうと三ノ宮は考える。
『私たちは人間だ!』とか主張したり、ムキムキになって火星から人類を侵略したりするのだろうか。
三ノ宮がそんな途方もないSFストーリーに胸を熱くしていると、彼女の頬に冷たい感触が走った。
「はひ!?」
驚きのあまり素っ頓狂な声を上げた三ノ宮だったが、慌てて振り向くと──その冷ややかな感触の正体は、美男の手に握られたコールドドリンクだった。
「少し休憩にしないか?」
いつの間に買ってきたのか、ドリンクのほかには何やら甘い香りを漂わせる紙袋も見受けられる。
ふたりで近くのベンチに移動すると、美男が紙袋から二つのたい焼きを取り出した。
「ここにカスタードと、餡子がある」
まるでトランプのカードを選ばせる時のように、美男は右手にカスタード、左手に餡子と、二種類のたい焼き持って三ノ宮の眼前に差し出した。
どちらが好きな方を選んでよい、ということだろう。
「左で! なんかいろいろ買ってきてくれてありがとう、美男くん」
三ノ宮が選択したのは餡子の方だった。
冷やした場合はカスタードに軍杯が上がるが、出来たてとなれば話が変わる。熱々の餡子からしか摂取できない栄養があるのだ(嘘)
「気にするな。オレはただ⋯⋯三ノ宮に喜んでほしいだけなんだ」




