ユダ
「姫乃って、4組だとボッチなのに他のクラスにすごく仲のいい子がいるわよね。ほら、あのよく教室来てる⋯⋯茨さんだっけ? ああいう子ってさぁ、友達に彼氏ができるのとか嫌がったりしないわけ?」
美男綺麗の公開告白事件からというもの、逆瀬川水菜はやたらと頻繁に三ノ宮姫乃に声をかけてくるようになった。
このクラスに友達と呼べそうな人間がいないことを姫乃は否定できないが、ボッチという単語には過剰反応してしまいそうになる。
──いつの間にか、下の名前で呼び捨てにされてるし。
一軍系女子だけが持つ特殊能力なのか、その所作はあまりに自然かつナチュラルすぎて、『あれ? いま下の名前で呼び捨てにされなかった?』と気付くまでに数日かかってしまったくらいだ。
それより以前の関係性と言えば、接点はあまりなく──《女子会》という名を冠した《最後の晩餐》に、何度か強制的に連行されたことくらいだろうか。
「雪ちゃんのこと? 全然そういうのはないよ、むしろ何かと応援してくれるような子だからね。水菜の周りだとそういうこともあるの?」
『さん付け』でこちらだけが呼ぶのはなんとなく負けた気がしてしまうので、姫乃の方も逆瀬川のことをシレッと下の名前で呼び捨てすることにした。もちろん、無許可で。
どんな反応が返ってくるのか気になってソワソワしたが、残念ながら期待するようなリアクションは得られなかった。
「んー、人による⋯⋯けど。やっぱよくある話とも言えるわね、そういうことは。なんでも彼氏が一番になっちゃうタイプの子もいるから」
恐ろしいまでに自然に、下の名前呼び(しかも呼び捨て)を受け入れられてしまった。これには姫乃の方が些か動揺してしまいそうになる。
「⋯⋯なんか、前とずいぶん性格ちがくない?」
前までもうちょっとこう、なんかこう、違った感じだったような──姫乃はこれだけはどうにも気になって、流れに身を任せたままでいることができなかった。それまでの話をぶった切って、水菜にその疑問を投げかけた。
「はぁ。これだから友達が少なそうな女は駄目ね。ボッチ様は楽そうで羨ましいこと⋯⋯あのね、誰にでも色んな顔があるものなのよ?」
グサッ。あまりに鋭利な言葉のナイフが、姫乃の大動脈全域に突き刺さる。
今にも命の灯火が尽きてしまいかねないほどの、致命傷だった。
「落ち込んでるフリしないの。あんた、言うほど気にしてないでしょ? クラス内にろくに友達がいないのとか」
「二回も刺さないでっ!」
「これからは同じクラスに彼氏の美男もいることだし、いいじゃない。あたしなんて、クラスどころか学年も違うのよ?」
「へぇー、そうな⋯⋯⋯⋯⋯⋯ん??」
姫乃は何事もなく相槌を打ってしまいそうになったが、ある日の出来事を記憶の片隅から思い出していた。
──それは、ほんの数日前に行われた《最後の晩餐》での出来事だった。クラスメイトのひとりが、逆瀬川とこんな会話をしていた。
「ねぇねぇ! 逆瀬川さんは、誰か好きな人はいないの?」
「あたし? あたしは⋯⋯好きな人はいないかな。周りに好みのタイプの男子がいなくってさー⋯⋯」
回想終了。ちゃんちゃん。
「この裏切りもんがぁ!」
それはもう、『好きな人がいない』どころの話ではない。
彼氏がいることを隠すなど、女子間においては極めて悪質な隠蔽であり、神をも欺く背信行為だ。市中引き回し及び火あぶりでの処刑は免れないほどの重罪である(嘘)
真のユダはこいつだったのだ、と姫乃は水菜に掴みかかった。
それと同時に、脇の下くすぐりの刑を執行する。
「ちょ、ふふっ⋯⋯あははははっ! やめ⋯⋯やめなさいってば!」
姫乃の気が済むまで、くすぐられ続けた水菜だった。ブルーカラーで毛先が綺麗に巻かれた彼女のロングヘアは、今や見る影もなくボサボサだ。
息も絶え絶えに、水菜は話を再開する。
「はー、はー。黙ってたのは悪いと思ってるけど、これにはちゃんと事情があるのよ⋯⋯」
「ほう。聞こうじゃないか」
水菜が周囲をキョロキョロと見回して、他の女子が近くにいないことを確認してから──そっと姫乃に耳打ちした。
「まず、あたしの彼氏が三年の池澤先輩だってことよ」
「なんだってー! あの三年のいけざ⋯⋯もがもが」
「声がでかいわ、声が」
わざとだな、と水菜は確信しながら自分の腰に巻いていたカーディガンを外し、それを瞬く間に姫乃の口へと押し込んで塞いだ。
唾液でベトベトになるだろうが、多少の犠牲はやむを得ない。
「もがー!」
必死に抗議の声を上げる姫乃をそのままに、水菜が話を続けた。
「その反応ってことは、姫乃も知ってるみたいね? 先輩が、この学校でかなり女子に人気のある人だってこと」
姫乃は未だ言葉を発することができないため、無言のままにこくこくと頷く。
「そんな相手と付き合ってることを、言わないメリットはあっても言うメリットなんて無いに等しいのよ。あんたの下駄箱見れば、生まれたての赤ちゃんでも分かるでしょ」
三ノ宮はスプレー塗料で書き殴られた、《三ノ宮死ね!》から始まりこの世に存在する罵詈雑言の類を一箇所に集めたような、自分の下駄箱周辺の光景を頭に思い浮かべる。
後日談になるが、あれから先生方が業者を呼んで落書きを綺麗にしてくれたものの──ところがどっこい。話はそれで終わらない。
翌日には下駄箱とその周辺一帯は、昨日と全く同じ状態《三ノ宮死ね!》に戻っており、それが数日間繰り返され、三ノ宮はタイムリープ系アニメの主人公のような気分を味わっていた。
最終的に心を折られたのは先生方のほうだった、というオチだ。
見慣れた落書きは、今日も健在である。
その日の、掃除の時間。
じゃんけんに敗北し、ゴミ捨ての任を拝命した三ノ宮は、ひとりでとぼとぼとゴミ置き場へ向かっていた。
「三ノ宮、ちょっといいか」
後ろから駆け足で追いかけてくる足音と共に、ちりんちりん、という鈴の音が聞こえてきたかと思うと──美男に肩を叩かれた。
「わぁ、美男くん。どうしたの?」
なんとなく驚いたふりをしてみる三ノ宮だったが、聞き覚えのある鈴の音がしたので、該当の人物が美男だということは振り向く前から察知していた。
三ノ宮と美男がお付き合いを始めることになってしまったきっかけである、先日催された《最後の晩餐》での種明かしとなるが──美男のポケットの中にある鍵には、キーホルダーの代わりに鈴がついているのだ。
これは断じて三ノ宮が熱狂的なストーカーというわけではなく、たまたま美男がポケットから鍵を落とした場面を、彼女が目撃した際に初めて気が付いたことだった。
落としてもすぐ気付けそうでいいな、と感心したものである。
「それ、女子には重いだろ。オレが持つ」
三ノ宮の手元にあるパンパンに膨れ上がったゴミ袋を、美男は有無を言わせずサッと彼女の手から引き取った。
「次の休みの日、ふたりで出かけないか?」
単刀直入に、デートのお誘いだった。
美男と三ノ宮は普段は同じ教室で過ごしていると言っても、美男の方は女子だけではなく同性である男子からも絶大的な人気を誇っているため──彼の席には眩い光の元に引き寄せられる昆虫のように、常に人が集まっている。
ゆえに三ノ宮と美男が付き合い初めてからも、ふたりが何かを話すような時間はほとんど存在しない。教室内に限定するならば、三ノ宮は逆瀬川と話している時間の方が多いくらいだ。
放課後はお互いに部活動があるし、比較的時間に余裕のありそうな昼休みなども三ノ宮は、一年次の元クラスメイトであり、親友である2年1組の茨白雪と共に食堂で過ごしているため──教室で昼食をとるお弁当組の美男とは完全に別行動である。
2年4組のクラス内では、三ノ宮には共に昼食を取るような親しい友人はいない。そのためか、四限目の終わり頃から昼休みに近付くにつれ、廊下の方をチラチラと忙しなく伺っている。
その姿を見ると、美男も『一緒に食べないか?』とはとても言い出せなかった。
余談だが、美男が暫く三ノ宮を観察していて気付いたことがある。どうやら先に授業が終わった方が相手の教室まで赴くというわけではらしく、必ず茨が三ノ宮の教室まで迎えに来る取り決めになっているということだ。
「それって、でっ! で⋯⋯ででっ⋯⋯⋯⋯ふぅ。お出かけかぁ、いいね! どこ行く?」
『デート』とはなんだか気恥ずかしくなって口にすることができなかった三ノ宮が、気を通り直して別の言葉を選んだ。
「それなんだが⋯⋯三ノ宮は、海と陸ならどっちが好きだ?」
美男のこの質問に対し、三ノ宮は選択肢が《水族館》と《動物園》の二択なのだと灰色の脳細胞で推理した。
カップルの初デートがネズミーランドだと、帰り道には破局しているというまことしやかなジンクスを聞いたことがあったために、選択肢にないのが残念だが──。
客層からも分かるように、どちらかというと水族館はカップル向け、動物園はファミリー向けの施設だ。ならば、三ノ宮が選ぶべきは後者である。
いい雰囲気になってしまうことはなるべく避けたい。
「じゃあ、陸(動物園)で!」
三ノ宮は『どちらかというと陸の方かな』とふわっと答えるつもりが、口から出たのは思いのほか強めの断定になってしまった。
「分かった。行き先はオレに任せてくれ、十時に駅前で待ち合わせでいいか?」
「おっけー」
こうして三ノ宮姫乃と美男綺麗、ふたりの初デートが決まった。




