LB:バレンタイン
季節は現在の春から、冬に遡る。今年の2月14日 《バレンタイン》のことだった。
──できた。
2月13日の夜。三ノ宮姫乃は自宅のキッチンで、バレンタインの政治用チョコレートを制作していた。
レシピサイトで多く見られる、伝家の宝刀HM (ホットケーキミックス)から派生した、チョコマフィンである。
HMから錬成されるお菓子は邪道だ勢の意見もあるが──材料が少なくていいし、まず失敗しないというのが優れた点だ。
製菓用のチョコチップはたいへん高価なので、板チョコを砕いて使用する。
このチョコマフィンはボリュームもあって、非常にコスパに優れた一品だ。
これは女子間で行われる、友チョコ交換に備えたお菓子である。
バレンタインでは、同じクラスならば『たいして仲良くないだろ』という関係性でも、その日だけ誰もが仲良しの友達みたいになる。
日頃、影では悪口を言い合っているような関係性でもだ。
バレンタインは、みんなが楽しくチョコレートを交換する日。
世界平和に一番貢献してそうなイベントなのである。
クラスの女子全員分と、+aで少し余分に用意して、ラッピングも終わり政治用はこれにて完成。
そしてここからは、〈福澤商店〉という専門的で購入してきた、プロが使うような製菓用のチョコレート(フランス産クーベルチュール)を使用した、本命用チョコレートを制作する。
作るものは、トリュフだ。こちらは『ガチ』なので、ラッピングも政治用の20枚100円のOPP袋ではなく──一箱で300円という、プレミアム価格のものだ。
外見はいかにもな、ハート型の箱である。
たとえ言葉が通じなくたって、『本命です』と分かりそうな代物だった。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
姫乃がふと視線を感じて顔を上げると、そこには彼女の弟である三ノ宮時乃が無言で立っていた。
「時くんは⋯⋯今年からはもう、いらないよね? たくさん貰って帰ってくるし、お姉ちゃんの手作りなんて⋯⋯」
反抗期の息子にお弁当を拒否される母親のような気持ちで、姫乃は言った。
「⋯⋯⋯ない、」
「ん?」
時乃が『いらない』と言ったのかと思いつつ、声が小さくてよく聞こえなかったので姫乃は聞き返した。
「言ってない!!」
彼は声を荒らげて、テーブルの上にずらりと並ぶチョコマフィンのひとつをひったくってから、そのままぷんすかと自分への部屋へと戻っていった。
いらないなんて、言ってない──そう、時乃は言いたかった。
「反抗期って、言われたことと真逆の行動をしたくなっちゃうのかな⋯⋯?」
姉には、歪曲して伝わってしまったが。
そして、バレンタイン当日。
1年2組の教室で、『友チョコ交換』という名の政治活動を終えた三ノ宮は、紙袋を手に、1年1組の教室内を気配を消してそっと覗いた。
1年1組は、港未来の所属するクラスである。
放課後の委員会活動(飼育当番)で渡せるタイミングはあるものの、なるべく早く渡したいという気持ちがあったのだ。
「あの、港君! これ、よかったら⋯⋯!」
大胆にも、教室内では既にロマンスの香りが漂っていた。
三ノ宮の瞳に映ったのは、同じクラスの女子からハート型の箱に入ったチョコを受け取る、港の姿だった。
──同じだ⋯⋯。
まさかの、丸被りだった。好きな相手だけではなく、用意したラッピングまで被るとは。
敵でなければ、友達になれたかもしれないのに──三ノ宮はそんな、少年漫画のような台詞を内心で呟きながら、ちくりと痛む胸を押さえて自分の教室へと戻った。
そして、その日の昼休み。食堂にて。
「姫ちゃん、なにかあったの?」
なんだか忙しない様子を見せる姫乃に対して、茨白雪が何気なく聞いた。
「な⋯⋯なにもナイヨ?」
しかしあくまで、しらを切るつもりのようだ。
怪しい。そう思った白雪が再び口を開こうとするも、それを遮るようにひとりの男子生徒が颯爽と現れた。
「やぁ、プリンセス。私への愛が詰まったチョコレートを受け取りに来たよ」
茨林檎は、当然のように姫乃の隣に腰を掛け、ぱっとその手を広げた。
自主的に菓子を強請られるというのは、バレンタインというよりも──もはやハロウィンのようだった。
「林檎さんの下駄箱の前、ナントカタワーバトルみたいになってなかった?」
姫乃が朝に見たときは、天まで届きかねないほどの高さで、林檎の下駄箱の前には数多のチョコが積まれていた。まるで、失敗したテトリスのように。
手渡しは『いらない』ときっぱり断られてしまうために、女子たちが躍起になって渡そうとした結果があれらしい。
人間とは本当に、似たり寄ったりなことをしてしまうものだ。
「姫乃くんは相変わらず、男心というものをまるで分かっていないようだね。私は、君から貰いたいんだ」
少し小馬鹿にされたような気もするが──これでも、去年に比べれば角が取れた方だった。
「変なのー⋯⋯まぁ、いつものことか。多めに用意してきたから、林檎さんの分もちゃんとあるよ」
姫乃が持ち歩いていた紙袋には、友チョコ交換によって得た戦利品と、自らが用意した政治用チョコレート(チョコマフィン)、そして本命用チョコレートであるハート型の箱が入り交じっていた。
本命用は底の方に、隠すように入っていたが──林檎はそれを、見落とさない。しかし、彼はそれを見なかったことにして、姫乃からチョコマフィンを受け取った。
──今は、これでいい。今は。
そのチョコレートはきっと、あの向日葵みたいな男に渡すつもりなのだろう。
林檎は「ありがとう」と感謝を述べてから、受け取ってすぐにその場で食べ始めた。姫乃が作ったチョコマフィンは、甘さの調節のためかビターチョコを使っているようだ。
甘いのに、少しだけ苦い。林檎の今の心境を表すような、そんな味だった。
そして、放課後。本日は幸いにも飼育委員の当番と被っていて、三ノ宮と港がふたりきりになれる絶好のチャンスが残されていた。
「ベーコン、見ててね⋯⋯わたし、頑張るよ!」
三ノ宮は、犬猫サイズのミニマムなブタである《ベーコン》を抱きながらそう言った。
「ぶひぶー!」
ベーコンは『ガンバ!』とでも言うように、元気よく返事をした。
あとは《ナゲットくん》たち(ニワトリ)のお世話が終わり次第、本命用チョコレートを渡すだけだ。
「たまごもらうねー」
三ノ宮が鶏小屋に入り、ナゲットくんの卵を回収しようと、手を伸ばすと──
「コケーッ!」
ナゲットくん〈2号〉に物凄い勢いで、手をつつかれた。
「いった⋯⋯!」
加勢するように、ナゲットくん〈5号〉も「コケココー!」と、助走をつけて三ノ宮にタックルを仕掛けてくる。
ヒッチコックのように襲いかかってくるナゲットくんたちを前に、三ノ宮はあえなく撤退を強いられた。
「どうしたんだい? 三ノ宮さん」
彼女が急いで鶏小屋から出ると──ちょうど職員室から戻ってきた港が、何があったのかと頭に疑問符を浮かべていた。
彼はナゲットくんたちの餌が切れていたために、新しいものを調達してきたところだった。
「なんか、ナゲットくん2号と5号が襲ってきてぇ⋯⋯今日に限ってたまごを取らせてくれないっていうか⋯⋯」
「2号と5号が? いつもは大人しい子たちなのになぁ⋯⋯」
港はそう言ってから、おそるおそる鶏小屋の中へと入る。
「コケ⋯⋯♡」
彼の姿を見るなり、ナゲットくん〈2号〉が足元に擦り寄っていった。
「コケコー♡」
ナゲットくん〈5号〉も同様に、たまごを回収する港の手にすりすりと頬擦りしていた。
──なに、その態度の違い⋯⋯。
そういえば、ナゲットくん〈2号〉と、ナゲットくん〈5号〉は雌だったなと三ノ宮はふと思い出した。
まさかチョコレートの代わりに、たまごを港に渡したかったのだろうか。
畜生にすら先を越され、彼女は遺憾の念を覚える。
今日の夕飯(唐揚げ)にしてやろうか、という考えが三ノ宮の頭を過ぎるも──残念ながらやつらは、学校で飼われている生き物だ。
人権ならぬ鶏権があるために、手出しができない。
本日の飼育当番も終わり、解散の時が刻一刻と近付いていた。
飼育小屋の鍵を職員室に返却するために、ふたりで並んで歩く道のりの途中で──三ノ宮は港の手提げ袋を見て、思わず口にしてしまった。
「港くん、大漁だね⋯⋯」
「ほとんど義理だけどねー」
港は謙遜して『ほとんど』とは言うが、その中の一部は、間違いなく本命なのだ。
林檎のように天高く轟くというほどの量ではないものの、それでも港の手提げ袋の中には、女子から渡されたたくさんのチョコが詰まっていた。
普通に女子にモテる方、とハッキリ分かる。自分の好きになった相手は、思いのほか競争率の高い相手だったということだ。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
三ノ宮は紙袋の中に手を入れ、一番下に隠している、ハート型の箱に入った本命用チョコレートを取り出そうとするも──その手が、ぴたりと止まって動かなくなった。
突然、怖くなったのだ。
もし、港がもう、他の女の子に返事をしていたら。あるいはすることを決めていたら──と。拒絶されることは、怖い。
そもそも、こんな一方的な好意は迷惑かもしれないじゃないかとすら思う。
いらない勇気を出した結果、これまでとこれからの全ての関係が終わってしまうということに、今更になって気付いたのだ。
自分の気持ちを伝えることも、それを相手に知られることも。
彼女には、どちらも恐ろしくなってしまった。
「そういえばわたし、港くんの分も用意しておいたんだ。これ⋯⋯よかったら」
そう言って三ノ宮が紙袋から取り出したのは、チョコマフィンだった。
職員室で鍵を返し終わり、港はそのまま部活へ。
姫乃は今日は部活がないので、そのまま帰るために、とぼとぼと情けなく足を進めていた。
足取りは、浮かない。一歩ずつ、前に進んではいるのに、後ろに後退しているような気分だった。
校門の前まで差し掛かったところで、腕組みをして立っているひとりの男子生徒が目に入った。
やたらと人目を引く、美しい銀髪の男だ。
「林檎さん⋯⋯?」
「待っていたよ、プリンセス」
林檎は、その長い髪を揺らしながら足早に姫乃に近付き──そして、彼女の持つ紙袋を奪い取り、その中に無遠慮に手を突っ込んだ。
「ちょっと!?」
急に何なのかと姫乃が驚いていると、その中のひとつが抜き取られた。
「別に、私が貰ってしまっても構わんのだろう?」
それは、ハート型の箱に入ったチョコレートだ。渡せなかった、チョコレート。
茶化すように林檎にそう言われるも、それでも姫乃は自分で食べる虚しさを味わうよりはマシかと思い──そのままあげることにした。
「三倍返しだからね。それ、クーベルチュールの高いやつで作ってるから」
「もちろんさ。ホワイトデーは期待してくれていいとも」
こうして、様々な想いが交錯したバレンタインは幕を閉じた。




