騙し討ち作戦
お昼休みの時のことだった。
「港、ちょっといいか?」
2年4組の教室内で、男子のお弁当組が集まって昼食を食べていると──千里雅が、港未来に小声で話しかけた。
「なんだい、千里くん?」
「ここじゃ話しづらい、場所を変えよう。お前の恋敵もいることだしな」
千里はちらりと、美男綺麗に視線を向ける。ふたりはいったん席を外すことにして、お弁当をそのままに立ち上がった。
他の男子に「連れションか?」と冷やかされながらも、教室の外まで出た。
「これ、よかったらやるよ。期限は今日までだけど──閉店時間が遅い店だから、部活が終わってからでも間に合うぜ」
千里はそう言いいながら、一枚のチケットをポケットから取り出す。
そのチケットには、【スイーツビュッフェ 2名様招待券】と書かれている。
「懸賞で当たったんだが、行くのを忘れててな。タイミングが悪いことに、彼女が今日は二日目で行けそうにないんだ」
「二日目? 木津さんと喧嘩でもしたのかい?」
喧嘩の二日目と解釈した港が聞くと、千里は苦笑いを浮かべた。
「お前って意外とピュアなんだな⋯⋯。まぁ女子からすれば、お腹の中と喧嘩してるようなものか。港にも、いずれ分かる日が来るさ」
港はぽん、と優しく肩を叩かれるが、その意味もよく分かっていなかった。
「一緒に行くのは構わないよ。ぼくも甘いものとかけっこう好きだし」
「待て待て。野郎ふたりであのゆめかわ空間に行くのは、もはや罰ゲームの領域だ⋯⋯。分からないか? これをダシに、お前は三ノ宮と放課後デートに行くんだよ」
「な、なんだってー!?」
「前に三ノ宮を食堂で見かけた時は、名物のアルティメット盛りパフェを食ってたからな。男子でも完食が難しい量のやつ。そんな甘党女子が、こいつに飛びつかないわけがないぜ」
レアカードでも見せつけるように、千里はビュッフェチケットを人差し指と中指で挟み込んで顔の前に掲げた。
「もしかして君は、神なのかい? 千里くん」
「ダチのためなら、神にでも悪魔にでもなるさ。作戦はこうだ。三ノ宮には果林が声を掛けて、『無料券があるから、一緒にスイーツビュッフェに行かない?』と誘ってもらう。そして放課後、果林が急な体調不良で行けなくなり、たまたま近くにいたお前にチケットを託す──という流れだ。どうだ?」
木津果林とは、2年4組に所属する女子生徒であり、千里の恋人だ。
彼女は三ノ宮姫乃とは特別仲が良いというほどの関わりはないものの、一年次では同じクラスだったために多少の親交がある。
しかし港はここで、躊躇いを見せた。
「それは⋯⋯議論の余地がないくらい、完璧な作戦だとは思うんだけどさ。そんな騙し討ちみたいな方法でデートするなんて、本当にいいのかな⋯⋯。ぼくが勇気を出して、きちんと誘った方がいいんじゃ?」
「おいおい、向こうは彼氏持ちってことを忘れてはいないか? そんな堂々と他の男にデートに誘われて、『はい分かりました』と二つ返事で行けるわけがないだろ」
「た、たしかに⋯⋯」
「それがどんなに卑怯でも姑息な手でも、使えるものはなんでも使うべきだ。恋愛ってのはな、引いた方の負けなんだよ」
時は進み、ほとんどの部活動が終了する頃。
三ノ宮は麻雀部での活動を終えて、帰り支度をしていた。普段ならば友人である茨白雪と共に帰宅するのだが、今日はお断りを入れなければならない。
「ごめん雪ちゃん、今日はちょっとクラスの子と約束があって⋯⋯」
「それって、逆瀬川さん⋯⋯?」
ずしりと、その場の空気が重くなる。不穏な空気を纏う白雪に、周りの部員たちは冷や冷やとしながらふたりを見守っていた。
しかし三ノ宮の方は、さしてそれを気にした様子もない。
ひとりで帰るのがそんなに寂しいのかな、この寂しんぼさんめ──という、なんとも呑気な考えでいた。
人間というものは、自分の物差しでしか他人を測ることができないのだ。
「なんで水菜? 違うよ、木津さん。ほら、前のクラスでも一緒だった──あの木津さんだよ。なんか今日で期限が切れちゃう、スイーツビュッフェの無料券があるらしくてねー」
「へぇ⋯⋯そうなんだ⋯⋯。楽しんできてね⋯⋯」
木津が所属する運動部(バレー部)は、文化部よりも後片付けに時間がかかり、終わるのが遅くなりがちだからということで──三ノ宮は事前に、現地での待ち合わせを提案されていた。
なにせ三ツ星ホテルの中にあるレストランなので、待っている時間もロビーに設置された、やたらと豪華そうなソファで寛げるためだ。
三ノ宮はそこでスイーツビュッフェのパンフレットを広げて、様々なスイーツに胸を踊らせていると──頭上から声が掛かった。
「や、やぁ⋯⋯三ノ宮さん⋯⋯」
その声は、港のものだった。
「港くん!?」
まさか女子とのデートでここへ──と、三ノ宮は相手の女を血眼で探そうとするも、そこでスマホに一通のメッセージが入った。
【三ノ宮さん、ごめんね! 行く途中でちょっと、お腹が緩くなっちゃって⋯⋯。チケットはたまたま近くにいた港くんに渡しておいたから、私の分も楽しんできて!】
──そんなことある?
なんというご都合主義な展開なのだろうか。
三ノ宮はあまりに唐突に訪れた、僥倖としか言えない出来事にたじろぐ。
幸運と呼ぶには、些か作為的なような気もするが⋯⋯。
そんなこんなで、入店。
《マープルラウンジ》というビュッフェ会場はロビーのある一階で、その中央には二階へと続く、黄金色に燦然と輝く螺旋階段がある。
そうした吹き抜けのある構造が、会場全体に開放感を感じさせた。
ビュッフェメニューは季節毎に変わるようで、今の時期は、〈不思議の国のアリス〉をテーマにしたスイーツが並んでいる。
赤と黒を基調として、いくつもの薔薇と鏡が散りばめられたビュッフェ台のデザインは芸術的で、まるで不思議の国に迷い込んだかのような錯覚を起こさせる。
──来てしまった⋯⋯。
港は、内心で頭を抱えていた。
友人である千里が計画した作戦は、トントン拍子で上手くいってしまったが、彼の方はろくに心の準備というものができていなかった。
ホテルマンに案内されたのは、ラウンドソファー(円形のソファ)の席で、現在はそこにふたりで腰掛けている。
テーブルの上には、ケーキ、タルト、プチシュー、マフィン、スコーン、グラススイーツ各種等、色とりどりなラインナップのスイーツが並んでいた。
これらは全て、三ノ宮が確保してきたものだ。
港は『しょっぱいものから派』だったので、初手はサラダとサンドイッチだけを持ってきたのだが──女性は『初手からスイーツ派』が多いのか、周りの女性客のテーブルを見ると、似たりよったりな光景が広がっていた。
「なんかごめんね、急にぼくが来ることになっちゃって⋯⋯」
港の言うこの『ごめんね』とは、騙し討ちの謝罪としての意味も含まれていた。
「ううん! わたしは全然気にしてないよっ」
気にしていないどころか、三ノ宮は『棚からぼたもち』のようなこの状況を、ありがたく思っていた。意中の相手である港と、偶然にもこうしてふたりきりで過ごせる機会を得られたのだから。
「この苺タルトとか、すっごく美味しいよ! 港くんも食べてみて?」
「えっ!?」
ごく自然な流れで、三ノ宮の手にしたフォークが港の口元へと寄せられた。
いわゆる、『あーん』というやつである。
カップルあっても、人前でするのは少し躊躇うことではないだろうか。
彼女の方はというと、この動作は弟に対して日常的に行っているためか、慣れすぎて何の他意もなかった。
──それに、こ、ここっ、こんなの関節キスじゃないかっ!
そんな童貞じみた考えが港の頭を過ぎるが、ここで『恥ずかしいから』と拒否することは選択肢にない。
童貞から男になるための第一歩を、彼は踏み出した。
──ええい、ままよ!
ぱくり。勇気を出して口にしたその苺タルトは、甘くて、甘過ぎて──《初恋》のような味がした。
「あんたたち、何してんの⋯⋯?」
見慣れた制服の男女が、そこにはいた。逆瀬川水菜と、その彼氏の池澤先輩だった。
とんでもないものを見てしまった衝撃で、逆瀬川は顔を引き攣らせている。
「えっ? 何って普通に⋯⋯」
なんの事やら、と三ノ宮は不思議そうに首を傾げるが──港の方は、背中から滝のような汗が流れていた。
「普通に⋯⋯ねぇ⋯⋯」
じっとりとした目で、逆瀬川が港を見やった。
あまりのいたたまれなさに、彼は明後日の方へ視線を逸らす。
そうして席への案内中に立ち止まったふたりに、ホテルマンが素早く気を利かせて言う。
「お客様、よろしければこちらのお席で、みなさまでご一緒にお食事をされますか?」
こうして、四人は同じテーブルに着くことになった。
「あたしソファがいいから、もう少しそっち詰めて」
池澤先輩は音もなく、対面側に置かれている椅子に腰を掛け──逆瀬川は円形のソファに座るため、三ノ宮をぐいぐいと港の方に押しやってから、わざと突き飛ばした。
座るスペースがないわけではなかったのだが、港の反応を見たかったのだ。
「急に!?」
三ノ宮は、突然に謎の暴力を振るわれて戸惑う。彼女がバランスを崩すも、港が背後からその両肩を抱くように支えた。
「わ、大丈夫? 三ノ宮さ⋯⋯」
三ノ宮の髪からふわりと漂う、シャンプーの香りが彼の鼻腔を擽った。
どうして女の子の髪って、いい匂いがするんだろう──と、港が一瞬考えるもハッとして、逆瀬川の方へ視線を向ける。
彼女は確信を得たように、薄笑いを浮かべてこう言った。
「なるほどねー⋯⋯」




