転校生
朝の登校時のことだった。
「見つけたぞ三ノ宮姫乃ー!!」
校門前まで到着した三ノ宮に相対して、甲高い声で声を荒らげたジャージ姿の男子がいた。桃色の髪が特徴的な、見るからに活発そうな人物だった。
「なに? 朝から騒がしいね」
「『なに? 朝から騒がしいね』じゃなーい! よくも俺を騙したな!」
このやかましい男子に対し、三ノ宮は溜息をつきながら尋ねた。
「そもそも君、誰だっけ?」
「んなっ!? 俺のことを忘れたとは言わせないぞ!」
白々しくすっとぼけられるも、しかし彼は律儀にも自己紹介を始めた。
「俺は神峰縁。中学で三年間、お前と同じクラスだった男だッ!」
「そうだっけ?」
「そうだ!」
なんとなく揶揄ってやりたくなって素知らぬ振りをしていたが、三ノ宮は神峰のことはしっかりと記憶にあった。
「それで、神峰くんはわたしになんの用が?」
「あやまれー! まずはあやまれっ!」
急に謝罪をしろと言われても、三ノ宮にはこれといって頭を下げる理由に検討がつかなかったため──代わりに小首を傾げた。
「前に俺が進路を聞いたとき、高校は行かずに、ハーバード大学に飛び級入学することになったって言ってただろ!」
「あー⋯⋯」
そんなことを言ったような、言っていなかったような。もちろん、口から出まかせのような話だったのだが。
これに関しては三ノ宮は嘘をついたというよりも、ジョークの一環として言ったつもりだった。
そんなわけあるか! ──という、ツッコミ待ちの。
「俺、浪人してからすげぇ勉強してようやく今年にハーバード大学に入学したってのに⋯⋯お前、学校のどこ探してもいないし⋯⋯」
マジかこいつ、と三ノ宮は驚きと呆れで閉口した。馬鹿と天才は紙一重というアレは、本当のことだったのかと。
「そんで、日本に帰ってきてから同じ中学のやつに聞き回って、ようやくお前がここにいるって分かったんだ!」
なぜハーバード大学を目指す前にそうしなかったのかはことさら疑問だが、人を疑うことをしないというのがこの神峰縁という男なのだ。
騙されてからようやく気付くタイプというか。
「あやまれー! あやまれよぉー!」
涙ぐんで抗議する神峰に、三ノ宮はわざとらしく肩を竦めて答える。
「でも、ハーバード受かったんならいいんじゃない? 結果オーライっていうか⋯⋯向こうでも頑張ってね」
それじゃ、と軽く手を上げて立ち去ろうとするも──そうは問屋が卸さなかった。
「なんでついてくるの。君の学校はあっちでしょ?」
三ノ宮が青空に向けて指を指すが、神峰は楽しげに首を振った。
「今日は桜木高校への転入手続きに来たんだ。──というわけで、職員室まで案内しろ!」
なるほど、入学できたはいいが、さすがに向こうでの勉強について行けなくなったのか──と、三ノ宮は解釈した。レベルの高い学校に無理をして入っても、その後の授業についていけなくなるなんてことはよくある話だ。
「仕方ないなー⋯⋯」
見知らぬ学校というのは、まるで迷路のように迷いやすい。
まだホームルームまでの時間もあることだし、ここは同じ中学のよしみで現地民が同行すべきだろうと、三ノ宮は神峰を連れて足を進めた。
「着いたよ。ここが職員室」
「ふん、ご苦労だったな三ノ宮姫乃。このお礼は今度してやらなくもないっ!」
どっちやねん、と思いつつ三ノ宮はその場から立ち去ろうとすると──職員室からひとりの男子生徒が出てきた。
「三ノ宮⋯⋯?」
美男綺麗の登場だった。
「おお、三ノ宮姫乃の友達か?」
「彼氏だよ」
「枯れ死?」
「そんな辛そうな死に方は嫌かなー」
「ふふん。こんな女子にモテそうなやつが、三ノ宮姫乃の彼氏なわけないだろ? 今度は騙されないからなっ!」
これには美男も怪訝な顔を浮かべて、口を挟んだ。
「嘘じゃない。オレは三ノ宮の彼氏だ」
「同じ手は二度と食わない、グルになっても無駄だ! その手は既に見切っている!」
過去にいったい何をしたらこうなるのか、神峰は頑なに信じようとはしなかった。彼はわなわなと震える手を握り、語り始めた。
「忘れもしない、あれは俺が中学三年生の時のことだ──」
「三ノ宮姫乃! きょうだいがおててを繋いで登校するのは、小学校低学年までだぞっ!」
朝の登校時。三ノ宮姫乃と三ノ宮時乃が、いつものように手を繋いで通学路を歩いていた。
誰もが触れることのできないタブーと化していたその光景に、神峰だけは空気を読まずに切り込むことができた。
しかしこれは純粋に子供っぽいという意味で、ある意味では邪気のない冷やかしである。けして、姉弟のイケナイ関係を冷やかしているわけではなかった。
「じゃあ、きょうだいじゃなかったら──べつに手を繋いでてもいいんだよね?」
時乃は揶揄われたことに対する反撃をするためか、悪戯心を見せた。
「ん? まぁ、そうだけど⋯⋯」
「ならおれが彼氏で、姉ちゃんが彼女ってことなら問題ないじゃん」
このタチの悪い冗談に、姫乃の方も乗ることにした。
「うんうん、時くんは今日からわたしのダーリンだねぇー」
「そっ、そんなのダメに決まってんだ
ろーッ!!」
その後のお話。
「三ノ宮姫乃。俺、色々と調べたんたんだが、姉弟での婚姻は法律でできないみたいなんだ⋯⋯だからその、」
「え? あんなの本気で信じてたの? 冗談だよ」
その日の放課後。
2年4組の逆瀬川水菜と木津果林は、同じ部活に所属しているために、連れ立って体育館へと向かっていた。
その部活とは、女子バレー部だ。
運動部のため、両者とも学校指定のジャージを着ている。
「知ってる? 水菜ちゃん。なんか来週から二年生に、すごい転校生の男の子が来るらしいよ」
「あ、それあたしも気になってる。ハーバード大学からの転校生だっけ? うちの高校も、それなりに偏差値は高い方だけど⋯⋯どえらい都落ちよね」
果林は「友達の友達から聞いた話なんだけど」と、出処は不明だというのにやけに信ぴょう性がある話を始めた。
「なんでも、噂ではある女の子を追いかけて、ハーバード大学まで行ったらしいんだけどね。その女の子がハーバード大学に行くって話はまったくの嘘で、実際は桜木高校にいたんだって」
「そんなの一瞬で嘘って分かりそうなものだけど、世の中には振込詐欺に振り込んでから、詐欺だって気付くようなタイプもいるのよね⋯⋯。でも、騙す方も騙す方よね。もしそんなホラ吹きが身近にいたら、あたしが代わりに引っぱたいてやるわ」
「でも、私はちょっとロマンチックな話で憧れるな。好きな人のためにそこまでできるってことは、きっとすごく素敵な男の子なんだよ」
「おー? 彼氏の千里くんはどうした?」
木津果林は、同じクラスである千里雅と付き合っている。
このことは水菜の交際とは違って、トップシークレットとして隠し立てされているわけでもなく、かなりオープンな付き合い方だ。
遊園地でのデート中に鉢合わせてしまったことから、果林は水菜が、池澤先輩と付き合っているという事実は知っているが──水菜の方は、知られているということを知らない。
果林は、水菜と池澤先輩を視認すると共に声を掛けずにさっと隠れ、見て見ぬふりをして立ち去ったのだ。
そんなささやかな気遣いに溢れた、優しい子だった。
水菜が交際を周囲に懸命に隠している理由も、果林にはおおよその検討がついていた。
逆瀬川青菜という妹の方の噂は、友達の友達から聞いたことがあったからだ。それも良い噂ではなく、とんでもなく悪い噂ばかり。
様々な噂を要約すると、『人の男を取るのが趣味』ということだった。
「だって雅くんは、たんぽぽだもん。薔薇じゃないの」
女の子は誰だってそうだ。いつだって薔薇のような王子様を待っているけれど、そんなことは現実にはまず起こらない。
だから、近くに咲いているたんぽぽを摘んで満足するしかない。
誰もが羨むような薔薇を手にすることができるのは、ほんのひと握りのお姫様だけなのだ。
「でも、好きなんでしょ?」
「好きだよ。大好き。ただ⋯⋯」
少し口つぐんでから、果林は言葉を続けた。
「きっと私も彼も、そこまでじゃないんだ。お互いに好きだけど⋯⋯相手のために喜んで死ねるくらい、愛し合ってるってほどでもないの」
「⋯⋯それはちょっと、さすがに話が飛躍してない? あたしだって、どんなに好きな男が相手でも、身代わりになるのは御免よ」
「本当に? 水菜ちゃんなら──好きな人が危険な目に合ってたら、身を呈してでも咄嗟に助けちゃいそうなのに」
水菜は、首を振って頑なに否定した。
「助けない。あたしは絶対に助けないって、断言できる」
「どうして?」
「先約済みだから。⋯⋯あたしが命を張る相手は、この世でただひとりの妹だけって決めてるの。妹のためになら、あたしはいつでも喜んで死んでやるわ」
この発言には、果林も驚きを隠せずに目を見開く。
例の噂では、青菜は姉の彼氏でも見境なく手を出したという話もあったが──そんなことがあってもまだ、妹のことを好きでいられるものなのだろうか。
果林はきょうだいがいないひとりっ子だが、もし自分が妹に彼氏を取られたりなんかした日には、怒り狂って絶縁してしまいそうなものなのに。
「だってあたしは、女になるずっと前から──お姉ちゃんだから」




