特別な女の子
それは現在の二年生が、まだ一年生である三学期のことだった。
水無瀬月雲は、終わりの見えない闘病生活を送っていた。『お見舞いに行くからね』と言ってくれたクラスの友人たちは、一度だけ来てそれっきりだ。
来てくれただけでも、ありがたい話だということは分かっている。
誰だって自分の生活が忙しい中で、他人にかまけている暇はない。
「月雲ちゃん、調子はどう?」
入院してるんだからいいわけないでしょ、と言い返したくなるがそれはぐっと堪えた。現在は同じクラスというわけでもないのに、何度もお見舞いに来てくれるのは彼女だけなのだ。
デリカシーの無さはお墨付きだが、月雲はその無遠慮さは嫌いじゃなかった。
三ノ宮姫乃。同じ飼育委員で、中学の同級生でもある。中学三年生の時は同じクラスの、同じグループで仲良くしていた。
中学時代では、三ノ宮姉弟といえばかなりの噂が立っていたものだ。
二個下の学年にいる彼女の弟が女子にえらく人気なこともあったが、なによりも毎日手を繋いで登校してくる、距離感がおかしい姉弟として有名だった。
子ども同士の可愛らしい手の繋ぎ方でなく、恐ろしいことに恋人繋ぎだった。
触れてはいけない何かがあるような気がして、誰も何も言えなかったし、聞けなかった。
見て見ぬふりをすることが、全校生徒の暗黙の了解と化していた気がする。
校内でも教師達が頭を抱えるようなべったり具合だったが、注意することで余計に燃え上がり、ロミオとジュリエットになられても困るという危惧があったのか──だんまりだった。
そんな懐かしい過去を思い出しながら、月雲は首を横に振って答えた。
「ぜんぜんだめ。何度も検査したけど原因不明で、足も手もだんだんと動かなくなっていくんだ⋯⋯」
ほんの少しでも弱音を吐くと、堰を切ったように言葉が溢れていく。
「怖いよ⋯⋯私、このまま死んじゃうのかな。心臓だって、いつ止まるかわからないし。ごめんね、姫乃ちゃんにこんな重い話しちゃって⋯⋯」
ぽたぽたと、月雲の目から涙が出てきた。すると、ティッシュをごしごしと無遠慮に顔に押し付けられる。摩擦でちょっと痛いくらいに。
姫乃は、幼子を安心させるように語りかけた。
「うちの学校の桜の木ってさ、なんでも願いを叶えてくれるって言い伝えがあるんだよね。わたしがその桜にお願いしとくから、きっと次の桜が咲く頃には戻って来れるよ」
──そして、次の春が来た。
病は気からという言葉があるが、それもあながち間違っていなかったようだ。
無理なダイエットのために、体重が落ちていたせいもあったのかもしれない。
免疫力の低下から起きたであろう謎の病は、よく寝てよく食べているうちにすっかりと姿を消してしまった。
登校できるまで回復したのは最近のことで、二年生になってから一月ほど経ってしまったものの──勉強する時間は山ほどあったので、休んだことによる遅れは問題なかった。
月雲は病気が治ったことを姫乃に直接会って報告しようと、校内を探し回っていた。昼休みなので食堂にいるかと思ったが、その姿はない。
次に心当たりのある場所へと、足早に向かう。
一年生で同じクラスだった好きな人に、勇気を出して近いうちに告白するつもりだということも、伝えたかった。
「姫乃ちゃ⋯⋯」
姫乃が桜の木の下に座っているのを見つけて、月雲は声を掛けようとした。
しかし隣に座っている男子生徒が目に入ると、月雲はぴたりと足が止まった。
全身が凍ってしまったように、動けない。
たまたま、ふたりでいるだけかもしれない。きっと何かの勘違いなのだと、そんな淡い期待をしたが──現実は残酷だった。
「好きなんだ」
美男綺麗は確かに、そう言った。恋人がするように姫乃に自分の手を重ねて、砂糖菓子よりも甘い雰囲気を纏っていた。
ふたりが恋人同士なんだと、わざわざ聞くまでもなく分かった。
お前はもう持っているじゃないかと、月雲は爪が食い込んで、血が滲むくらい強く拳を握る。
──姫乃ちゃんには、茨先輩がいるじゃない。
茨林檎。手を伸ばしてもまるで届かない、王子様みたいに綺麗な男の人。
月雲の目には、姫乃が妹の方をなんなく攻略してから、兄の方も上手く丸め込んでいるように見えた。
姫乃と林檎による喧嘩は派手に行われていたものの、近しい人間からすればプロレスとしか言いようがないものだった。
ジャージ姿でせっせと落とし穴を作っている最中の林檎を見かけたことがあったが、汗を流しながらもえらく楽しそうにしていたのをよく覚えている。引っかかった姫乃を見て、高笑いしていた。
姫乃の方も、飼育当番で一緒になった日には嬉々として動物たちの糞と土を混ぜて泥団子を作っていたりした。次の日に、林檎に笑いながらそれを投げているところを見かけた。
姫乃は林檎と、自分は美男と、お互いに上手くいって付き合うようなことになる日が来ればいいなと──その時は考えていた。
いつかはダブルデートなんかもすることになるかもしれないなんて、くだらない妄想をしていた自分が恥ずかしくて、泣きたくなった。
現実はいつだって残酷だ。持っている側の人間は余るくらいに持て余しているのに、持たざる者は何ひとつとして持たない。
声を掛けることもできず、月雲はその場を立ち去った。
水無瀬月雲が登校を再開してからの、翌日。自身の所属するクラスである2年1組で、彼女は異様な光景を見ることになった。
「茨さん、昨日は休んでたよね? よかったらこれ、俺のノートなんだけど⋯⋯」
「抜け駆けは許さないぞ! 茨さん、そんな蚯蚓が這った字みたいなやつのノートよりも、この僕のノートを!」
「こちらのノートを借りていただけたら、今ならなんと新品のノートもついてきます!」
「コンビニのプライチみたいなことすんな!」
「くそう、ならこっちはアマギフで勝負だー!」
クラスの男子生徒の半数ほどが、醜く争っていた。
「静粛に!」
その中に、ひときわ野太い男の声が響いた。その男の腕には、風紀委員の腕章がつけられていた。
風紀委員長兼、茨白雪たんファンクラブ会長の甲賀は、この不毛な争いに終止符を打つ。
「しら⋯⋯茨殿、こちらは拙者のノートのコピーをまとめたもの。返却は不要である」
甲賀は、学年一位の成績を持つ男だ。他の誰にも、頂点に君臨する者のノートを押しのけることはできない。
しかもコピーという、ノートの貸し借りにかこつけて交流を持とうとしない潔さ。流石は風紀委員長だ、と男子生徒達は渋りながらも身を引く。
あの成績優秀な美男綺麗すら学年二位に押し留める、彼の実力や血の滲むような努力には、誰もが認めるところがあった。
「⋯⋯どうも」
男子たちが争う様子を汚物でも見るような目をして、傍観していた茨だったが──甲賀のノートのコピーは素直に受け取った。
甲賀は学年一位の成績を取り続けてきた甲斐があったと、内心でガッツポーズをする。
「お気になさらず」
照れ隠しに、彼はクイッと眼鏡を上げた。
男子生徒たちのその様子を、自分の席から遠巻きに見ていた水無瀬は、制服のスカートの裾を無意識にぎゅっと掴んでいた。
──あの子は、特別な女の子なんだ。
一ヶ月休んでいたって、男子生徒は一人も水無瀬にノートを貸してくれようとはしない。一方で茨は、たったの一日休んだだけでもあの有様なのだ。
男の子に求められることが当たり前の女の子。クラスの女子からは浮いた存在のようだが、それもそうかと納得しかなかった。
自分ならきっと、惨めで傍にいられない。茨は今までもずっとそうだったんじゃないかと、水無瀬は思う。
あんな美人と、友達になりたくなんかない。ましてや親友なんて以ての外だ。
自分がたいして可愛くないということを、いやに突きつけられてしまう気がするから。
それでも軽く挨拶くらいはしておこうかと、水無瀬は茨の席の前まで来た。
「茨さん、久しぶり。私のこと覚えてる?」
「忘れるわけないじゃないですか。姫ちゃんの昔のお友達、ですよね?」
『昔の』という部分をえらく強調する、今はもう友達じゃないみたいな言い方だった。こういうところはよくいる面倒くさいタイプの女子なんだな、と水無瀬はその刺々しさに笑ってしまいそうになった。
仲良しの友達に他の友達がいるのを嫌がるという、典型的な嫉妬深い女だ。
「うん。姫乃ちゃんね、私が入院してる時もよくお見舞いに来てくれたんだ」
「姫ちゃんは世話焼きなところがあって、優しいですからねー⋯⋯誰にでも」
お前だけが特別じゃないぞ、と最後の一言は露骨に釘を刺してきた。仲良くなろうという気はさしてないが、こうも敵対心を顕にされるとお手上げだ。
「ふたりは、クラス離れちゃってもまだ仲良いの?」
「毎日、お昼は一緒に食べてますけど? 放課後も部活で会えるし、休みの日は一緒に水族館に出かけたりもしてます。あ、それと委員会なんかも同じですね」
水無瀬はふと気になって聞いてみただけなのだが、『まだ』という部分が気に食わなかったのか、茨は急に饒舌になってつらつらと話し始めた。
友達としての自分の立場がいかに勝っているかを、顕著にアピールしている。
「そ、そうなんだ⋯⋯でも普通は、クラスが別れちゃうとそれぞれ友達作ったりするじゃない?」
「他に友達なんかいりません! わたしの友達は、生涯で姫ちゃんだけですから」
あまりにも重かった。たぶん向こうはそこまでの激重な感情は抱いてないよ、とはとても言えないくらいに。
水無瀬は茨よりも少し長い、二年ほどの付き合いだからこそ分かることがある。
三ノ宮姫乃という人間を、少し美化しすぎだ。まるで初恋のようなフィルターがかかっている。
ふと、水無瀬は中学時代の可哀想な同級生のことが頭に過ぎった。
姫乃の悪戯心に散々と振り回されてきた、あの馬鹿正直な男の子は──いったい今頃、どうしているだろうか。




