ファースト・コンタクト R
新聞部が騒がしい日のことだった。
「ごうがーい! ごうがーい!」
正門前。新聞部はツチノコでも発見したのかと思うような、えらく気合いの入った校内新聞の配り方をしていた。
しかし本日の三ノ宮姫乃は遅刻して教室に来ていたために、この事態を知ることはなかった。
「姫乃。あんた、これ⋯⋯」
三ノ宮はあちゃー、という顔をしている逆瀬川水菜に渡された校内新聞を受け取る。
教室中の視線が、三ノ宮に向けられていた。隣の席の港未来は、同じ新聞を手にして固まったまま動かない。
「校内新聞? えーっと、なになに⋯⋯」
【熱愛発覚! 三ノ宮は《茨の王子様》に乗り換えか? ふたりで仲良く、夜の〇×△□ショーも楽しんでいるのかも♡】
「な、なにこれぇ!?」
でかでかとそう書かれた見出しと、水族館で撮られたであろう様々な写真が載せられていた。
三ノ宮の方から腕を組んでいる写真もあれば、茨林檎に肩を抱かれている写真もある。彼女の全身から、ぶわりと滝汗が出た。
「言っとくけど、リークしたのはあたしじゃないわよ? たぶん、新聞部の誰かしらがデートで来てたのね⋯⋯ドンマイ」
ぽん、と水菜に軽く肩を叩かれる。
三ノ宮はそもそも、この友人を疑うことはしていなかったが──言われなくとも、様々な角度で撮られた写真の鮮明さからして、プロの犯行であることは間違いなかった。
「しかしあんたも見かけによらず、なかなかやり手の女なのねー」
「だから誤解なんだってぇ⋯⋯」
「仮に姫乃の言い分がそうだとしても、よ。これが事実ならそれだけでアウトだってことは、分かってる?」
「はい⋯⋯」
こいつは分かってないな、と逆瀬川は呆れながら思う。この女は絶対にまた同じことをするだろうということも。
「三ノ宮。少し⋯⋯話せるか?」
「はい⋯⋯」
それは普段よりワントーン声の低い、美男綺麗からのお呼び出しだった。
ふたりは体育館のすぐ傍にある、人気のない桜の木の下まで来た。
これは確実に、アレだ。アレしかないと三ノ宮にはもう分かっていた。
今回の件で意中の相手である港に、とんでもないビッチちゃんだと思われることは悲しいが──もう起きてしまったことは仕方がない。
ここまできたら損して得取れの精神で、別れの儀式を始めよう。
「⋯⋯茨林檎が好きなのか?」
直球だった。息を吸うように嘘を吐く三ノ宮といえども、ここで首を縦に振ることはできずに即答した。
嘘でも言いたくないような嫌なことなのだと、自分では思いながら。
「まさか! そんなことあるわけないよ。あんなシスコンは絶対に無理ッ!」
しかし、美男には分かってしまった。三ノ宮姫乃は、嘘吐きなのだ。
いっそのこと、ここで頷いてほしかった。嘘をついてほしかった。
頑なな否定こそが、彼女にとっての真実であり──憎からず思っているということなのだから。
それでもまだ、天秤は傾いてはいない。それなら自覚がないうちに、横から奪ってしまえばいいだけのことだ。
「そうか。変なことを聞いてすまない」
「え? それだけ?」
詰められてから別れ話をされる展開を想像をしていた三ノ宮は、きょとんとした表情になる。
「それだけだ。授業が始まる前に、教室に戻ろう」
美男は有無を言わせずに、三ノ宮の手を引いた。
廊下に出ると、周囲の生徒たちから好奇の視線を向けられるが──絶対に別れてやるものか、という意思表示をするように、堂々と手を繋いで歩き出した。
同時刻。港未来は、放心していた。
友人である千里雅にぽんと肩を叩かれるも、石のように固まったまま動かない。
「まぁ、元気出せよ。そもそも港はあの噂を知らなかったのか?」
「あの⋯⋯うわさ⋯⋯って⋯⋯?」
「三ノ宮と茨兄のことだよ。あのふたりが犬猿の仲だって話は、有名だっただろ? 俺たちが一年の頃は、見るたびにひどい喧嘩してたもんだぜ」
「そんなの、ぼくはちっとも知らないよ。初めてその話を聞いたくらいさ」
「マジか? 三ノ宮が消化器を持ち出してぶっかけたと思ったら、その翌日には茨兄がボウフラの湧いた汚水をバケツでぶっかけたりは、日常茶飯事だったぞ」
「なにそれこわい⋯⋯」
「ま、弁当組なら知らないのも仕方ないか。食堂組じゃ、どっちが派手にやるか賭けが始まってたくらいだ」
しかしだ、と千里は続ける。
「二年に上がる少し前からだったか⋯⋯喧嘩がぴたりと止んだんだ。そうしたらまぁ、後はずっとこの写真みたいな感じだな。俺も含めて、食堂組はたぶんそんなに驚いてないぜ?」
「ちょっと! そんな大事なことを、なんで今まで言ってくれなかったのさっ!」
「すまん。知らない方がいいこともあると思って、黙ってたんだ」
港は白々しく肩を竦める友人に対し、優しさとは時に残酷なまでに人を傷付けるものだと、涙が出そうになった。
「けど、美男もさすがにこれには黙ってないだろ。逆にチャンスなんじゃないか?」
「チャンス⋯⋯?」
「近いうちにあのふたりが、別れることになるかもしれないってことだよ。それは今日かもしれないし、明日かもしれないだろ」
「でもさ、そしたら三ノ宮さんはこの茨さんのお兄さん⋯⋯すんごいイケメンの三年生と付き合うことになるんじゃなくて?」
「いや、三年生は来年には卒業する。そうしたら次は港、お前にも好機が巡ってくるというわけだよ」
「そ、そうか! きみは天才なのかい、千里くんっ」
「恋人関係なんてものは、環境が変わればたいていは秒で駄目になるからな。卒業したらまず別れると思っていい」
千里の実体験を含まれた話には、納得させられるものがあった。
「しかし、あのふたりがなー⋯⋯」
千里はふと、思い返す。三ノ宮姫乃と、茨林檎のファーストコンタクトを。
それは、入学から二ヶ月が経った頃のことだ。
場所は食堂で、お昼の時間のことだった。
「やぁ、可愛い妹よ。この兄にも、おまえの友人とやらを紹介しておくれ」
お伽話の王子様みたいな男だった。
三ノ宮姫乃と茨白雪が仲睦まじく昼食をとる中、突然に現れたのだ。
この日の三ノ宮と白雪は、日替わりメニューの《禁じられたカレー定食》という、カレーとナンがセットになった定食を食べていた。メニューそのものに特徴はないが、カレーの入ったお椀は金色に輝いていて、神聖さを感じさせる。
「兄さん⋯⋯」
じとりとした目で、白雪は兄を見た。あまり歓迎していないようだ。
「この人が雪ちゃんの?」
『人に指を差してはいけない』という、人間としての初歩的なマナーを破りながら、三ノ宮が聞いた。
「いけないよ、レディ。人に指を指しては」
林檎はそう言うと、三ノ宮の人差し指を握って包み込んだ。
三ノ宮はこれを、挑戦だと受け取った。
「ふんっ!」
指一本で、まるで腕相撲のように林檎の手をテーブルへと叩きつけた。林檎の手の甲からは、ばごん! という物凄い音がした。
いったい何が始まったのかと、食堂中の生徒の視線が集まったのはこの時だった。
「ぐっ⋯⋯!」
赤くなった手を抑えながら、林檎が三ノ宮を鋭く睨みつけた。
「突然、何をするのかね君は!」
「それはこっちの台詞なんですけど。いきなり女子の手に触るなんてっ!」
「女子? いやはや、さっきの握力はどう考えても雌のものだろうに⋯⋯」
すると三ノ宮はお椀を手にして、勢いよく林檎に目がけてぶち撒けた。その中身はカレーである。
洗ってもなかなか落ちそうにない汚れが、林檎を襲う。
そこは水くらいで勘弁してやれよ、とギャラリーは思うが──三ノ宮には慈悲も容赦も無かった。
「あんたがそんなんだから、雪ちゃんが嫌な目に合うんだ! 失せな!」
三ノ宮は、えらく怒っていた。これまでは白雪が勝手に思い詰めて悩んでいるのかと思っていた出来事の、種明かしがされたからだ。
茨林檎。全部こいつのせいじゃないか、という確信を得た。
そして、後日。
「おや、すまない。手が滑ってしまったようだ」
トレーに盛られた大量のスライムが、食事中の三ノ宮の頭上から降り注いだ。
「うあーっ!」
べちょ⋯⋯ねちょ⋯⋯という効果音に相応しいベトベトな物体が、三ノ宮を襲う。
「なんということだ、私の手作りスライムが三ノ宮くんに食べられてしまった!」
「んなわけあるかー!!」
その後はこういう、繰り返しの日々。
このまま少しだけ、昔話が続く。
茨林檎の、心境の変化の話だ。それは彼がまだ、三年生に上がる前のことだ。
「ベーコンおいでー!」
一年次の三ノ宮は、飼育委員だった。この日は、学校で飼われている犬猫サイズのブタのお世話をしていた。
ベーコンといういかにもな名前がついているものの、食用ではないので安心してほしい。
「ぶひ?」
ブタというのはかなり頭がいい。自分がベーコンであるということは分かっているみたいだ。
よちよちと三ノ宮に近付いた後にお座りをして、撫で待ちの体勢になった。
「よしよし。次はナゲットくんたちの卵を回収だね」
ナゲットくんとは、ニワトリのことである。鶏小屋のメンバーは現在、ナゲットくん1号からナゲットくん5号までの全部で5匹だ。
「待って、三ノ宮さん。ナゲットくん3号が、最近はえらく凶暴みたいなんだ⋯⋯女の子が顔にでも怪我をしたら大変だし、ぼくがやるよ」
港はそう言って、鶏小屋に入って行った。
彼は元々は飼育委員ではなかったのだが、体調を崩して長期入院が決まった生徒に変わり、一年生の三学期から新たに飼育委員となった。
三ノ宮と港の関わりが始まったのは、この時からのことだった。
一年次では別々のクラスであるふたりだが、飼育委員は別のクラスの生徒と二人一組で組んでの当番制である。
これまでの三ノ宮は女子生徒とのペアで当番を行っていたために、浮ついた気持ちを持つことはなかったが──この三学期からは違った。
──女の子、だってー!
率直に、ときめいていた。
気立てが良く、女の子扱いをしてくれて、さらには外見も好みという港に、三ノ宮は強く惹かれていた。
学校内で関わりのある男子といえば、色んなものをぶち撒け合って喧嘩している林檎くらいしかいなかったが──それもつい先日までの話だ。
恋は落ちるものなのだと、彼女は生まれて初めて知った。
そんな恋する乙女の姿を、茨林檎は見てしまった。
──なんだ。可愛いじゃないか。
もう一年近くも傍にいたはずなのに、これまで一度たりとも見たことがない表情だった。
なんでそんなぽっと出の男なんだ、と思った。
もっと早く、自分の気持ちに素直になっていればよかった。意地を張って、気付かないようにしなければよかった。
後悔ばかりが、林檎の胸を痛めた。全てが後出しの、卑怯な感情だというのに。
知らなかったのだ。嫌いだと思っていた人間を、こんなにも好きになることがあるだなんて。
だからこの日から林檎は、長きに続いていた戦争を終結した。全面降伏だ。
何をぶっ掛けられようが、これからは本心を──好きだと、伝えていこうと決めた。
どんなに年月がかかっても構わない。最後に、隣にいることができれば。
「姫乃くん。君は将来は、私のプリンセスとなる運命にあるんだ」
「林檎さん、とうとう頭やっちゃったの? まずいなー、この前バナナの皮で転ばせたせいか⋯⋯」




