秘めごと(2)
休みの日。この日は、三ノ宮姫乃と三ノ宮時乃が連れ立って出かけていた。
「ここはお姉ちゃんが出すよ! 時くんは、本番のために取っておいてねっ」
デートの予行演習という名目なので、姫乃は弟に対する出費は惜しまない。
騙されていることには欠片も気付いていない様子だ。
カップルが何時間か休憩するような場所に連れ込まれたとしても、同じ台詞を言って喜んで払いそうだった。
「ん」
入場が済むと、時乃が姫乃に手を差し出した。
「ん?」
急に握手を求められたのかと思い、姫乃はその手を握ってみたが──どうやら握手の要望ではなかったようで、その手は指を絡めて繋がれる。
懐かしいな、と姫乃に過去の思い出が頭を過ぎる。
かつてはあんなに小さかった弟の手が、今では自分よりも大きくなっていることには少々複雑な気持ちを抱いていたが。
「あ、雪ちゃん!」
おーい、と楽しげに手を振る姉の姿を見て、時乃は『まさか』と思った。
やられた。げんなりしながら視線を向けると、その先には二人の男女がいた。やたらと人目を惹く、美しい銀髪のふたり組だった。
「私もいるよ、プリンセス」
「兄さんは勝手に着いてきただけだから気にしないでね、姫ちゃん」
「ううん、実はわたしが林檎さんも誘ったんだ。男女半分ずつの方がバランスいいと思ってね」
姫乃は、いらない気を回していた。時乃の手を、ぎゅっぎゅ⋯⋯と強弱をつけて握りつつ、彼にアイコンタクトを取る。おそらく言いたいことは、こうだ。
──今日が本番ダゾっ!
まさか、姉がここまで愚鈍だとは思っていなかった。茨白雪だけでも嫌なのに、ついでにその兄まで来てしまっている。
どんな人間なのかは知らないが、あの性根が腐った女の兄だ。要注意人物でしかない。
そもそも、冗談でも人の姉をプリンセス呼ばわりする時点で、時乃にとっては初対面から印象が悪い。
「四人で回るのもアレだよね。グッとパーで別れましょっ!」
会話に脈絡がなかった。素早く姫乃は空いた手でパーを出し、林檎はパー、白雪はグーだった。
事前に打ち合わせをしていたかのような手際のよさだ。
時乃はというと、繋いでいた手を前に出されただけだ。これでグー判定らしい。あまりに卑怯な手段だった。
「わたしと林檎さんはパーで、ペア決定だね。それじゃ、お昼までは別行動ということで⋯⋯じゃあねー!」
三ノ宮姉弟の繋いでいた手が、ぱっと離れる。早く行くぞと言わんばかりに、姫乃は林檎に腕を絡ませて、ぐいぐいと引っ張るように足を進めた。
「おっと。今日はずいぶんと積極的なのだね、姫乃くん」
「弟のためだもん。でも本当によかったの? 林檎さん、シスコンだから協力してくれるとは思ってなかったな」
「フフ。君とは見えているものが違うみたいだ」
林檎は歩きながら、その場に残されたふたりの姿を尻目に見る。妹の白雪はこれまで見たことがないくらい、邪悪な微笑みを浮かべていた。
姫乃の弟である時乃は、えらく青い顔をして具合が悪そうに見える。
「とても面白そうな催しだったからね、参加しないわけにもいかないだろう」
「時くんの初デートが?」
「そういうことにしておこう。さてプリンセス、私たちも水族館を楽しもうじゃないか」
「せっかく来たんだもんね。あっ、このあとシャチのショーやるって! これ行こうよ林檎さんっ」
こうして漁夫の利を得た林檎と、前日の夜から水族館を心待ちにしていた姫乃の、デートが始まった。
一方、白雪と時乃はというと──水族館を回ろうともせずに、その場に滞在していた。白雪は傍にあるベンチに腰を掛けていたが、時乃は座ろうともせずに立ったままで、彼女から距離を取っている。
「弟くんとデートの練習するだなんて姫ちゃんが言うから、びっくりしちゃったよ」
「⋯⋯だから邪魔しに来たのか」
「まさか。そこまで野暮なことしないよ。わたしはただ、姫ちゃんに頼まれただけ。断る理由なんてないでしょう?」
白雪は、姫乃が口にしていた言葉を時乃に聞かせた。その内容は、こうだ。
『でもさー。わたしが相手だとデートというか、ただの遠足みたいになっちゃいそうっていうか⋯⋯雪ちゃんみたいな可愛い子と実際にデートする方が、絶対に時くんも嬉しいと思うんだよねっ!』
そんなんでわざわざ、きょうだい揃って来るなよ──と、時乃は内心で悪態をつく。
「でも残念だったね。姫ちゃん、兄さんとデートすることになっちゃって」
誰のせいだ、と言いたいが──今回は姉の愚鈍さを見極めきれなかった、時乃の負けだ。まさか別の女と別の男を用意して二手に別れようとするだなんて、考えもしなかった。
「あんまり自覚ないみたいだけど、姫ちゃんもあれでけっこう兄さんのことが好きなんじゃないかな」
何気なく白雪がそう言うと、時乃は心臓のあたりをちくちくと針で刺されているような気分になった。そんなことはわざわざ口に出して言われなくなって、ほんの少し接している様子を見ただけでも分かることだ。
「なんとも思ってない人とふたりきりで水族館を回りたいなんて、普通は思わないもん」
一方、現在の姫乃と林檎は──シャチショーを楽しんでいた。売店で購入したポンチョを着て、前の方の席に座っている。
「みなさんからシャチくんたちへ、めいいっぱいの応援をお願いします! それでは、大きな声でー⋯⋯せーの!」
「がんばれー!」
MCを務める飼育員に促され、大勢の観客が声援を上げた。
ざぶーん、ざぶーん。水面が揺れる。シャチたちは踊るように空中へと飛び回り、客席へと滝のような水飛沫を上げていく。
「愛らしいものだね⋯⋯」
林檎はそう言って、隣から姫乃の肩をそっと抱き寄せた。傍から見れば、間違いなく恋人同士としか思えない距離感になる。
しかし姫乃はシャチショーに夢中で、彼の一連の動作には全く気を止めていなかった。
シャチが飼育員を天高く持ち上げて宙を舞わせたり、誰もが一度はやってみたいシャチサーフィンに魅入られていた。それらはショーというよりは、もはやサーカスの領域だ。
そうして暫くの時間が立ち──拍手の嵐に包まれて、ショーが終わりを迎える頃に事は起きた。
「あんた、何してんの⋯⋯?」
姫乃の背後から、妙に聞き覚えのある声がかかった。振り向くとそこには、顔をひくひくとさせた様子の逆瀬川水菜がいた。
その隣には、彼氏である池澤先輩を連れている。
「水菜!? 何って⋯⋯わたしはただ普通に、シャチくんたちのショーを⋯⋯」
そう言いかけて、姫乃は自分が現在置かれている状況を完全に理解した。
黒だった。男子とふたりきりで水族館かつ、気付かないうちに身体がぴったりと密着しており──腰にはいつの間にか、林檎の手が回っている。
こんなのもう、死体の横で刃物を持って自分は犯人ではないと主張するようなものだ。
「あー⋯⋯その⋯⋯。このことは美男には黙っとくからさ⋯⋯」
「待って! 違うの! これには深い事情が⋯⋯」
「それじゃ⋯⋯声掛けて悪かったわね。こういうのは見ないふりするのがマナーだっていうのに、あたしったらつい動揺しちゃって⋯⋯」
「話を聞いてーっ!!」
なんとも理解のある友人ムーブだった。深くは詮索せずに、水菜は彼氏の腕を引いてそそくさと立ち上がる。
「誤解など何もないじゃないか、プリンセス。君と私との、特別なデートなんだからね」
「林檎さんは状況をさらにややこしくしないで⋯⋯」
去り際に、ぼそりと水菜が呟いた。
「火のないところに煙は立たないもんなのねー⋯⋯」




