殺人はロマンスを生む(2)
放課後のことだった。
例の階段突き落とし事件からというもの、三ノ宮姫乃は校内で時々、桜花春の姿を見かけるようになった。
「姫乃さんっ!」
会う度にそう言って駆け寄ってくるものだから、姫乃はかつての弟の姿と重ねてしまい──邪険にもできずにいた。年下にはめっぽう弱いみたいだ。
「そうだ、桜花くん。よかったらこの間のお礼をさせてほしいなって思ってるんだけど⋯⋯何か欲しいものとかある?」
「欲しいもの、ですか⋯⋯でしたら、姫乃さんと交尾がしたいです!」
「なぜそうなる!?」
「だめですか⋯⋯?」
子犬のような潤んだ瞳で見つめられるも、しかし姫乃はばっさりと却下する。
「ダメです。そういうのはなしの方向で」
「そうですか⋯⋯では、姫乃さんが作ってくださるものが食べてみたいです!」
「えっ、そんなんでいいの? なんならゲームソフトとかでもいいんだよ?」
「げえむそふと? というのは、姫乃さんと媾うことができるものなのでしょうか?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
姫乃は無言で首を横に振り、そのまま手作り料理を振る舞う方向へと舵を切った。今日は確か、ちょうど母が家を開けている日だ。
キッチンも占領できるだろうということで、桜花を三ノ宮家へと招待することになった。
「はわわ⋯⋯姫乃さんのおうちに来ちゃいました⋯⋯! お邪魔しますっ」
リビングまで案内すると、桜花はまるで夢でも見ているかのように目を輝かせていた。姫乃がさっそく料理に取り掛かろうと冷蔵庫を開けると、しかしそこはもぬけの殻だった。
「しまった、買い物してから帰ればよかったかな。うーん⋯⋯でもバターと卵はあるし⋯⋯桜花くん、スコーンとかでもいい?」
「はい! ボクは姫乃さんが作ってくださるものなら、なんでもいいんです。生ゴミでも喜んで食べますっ」
「それはお腹壊すと思うよ⋯⋯」
一時間後、完成。せっかくなので部屋でゆっくりしてもらおうと、姫乃は桜花を自室へと案内した。
ミニテーブルに紅茶とスコーンを並べると、ちょっとしたお茶会のような雰囲気が出ていた。すると彼は、そわそわと落ち着かない様子になった。
「どうしたの?」
「いえ、姫乃さんにこうして招き入れていただくのは初めてのことなので⋯⋯すごく嬉しくて」
まただ、と姫乃は思う。つい先日に初めて会ったはずなのに、どうにも既視感が消えない。
「前にも聞いたけどさ、わたしと桜花くんって──」
「ごめんなさい、ボクのことはお話できないんです。姫乃さんが思い出すまでは、何も」
「それは困ったね。ヒントとかないの?」
「ヒント⋯⋯そうですね、行動には制限をかけられていませんし⋯⋯それでは遠慮なくっ!」
──ちゅっ。
突然、頬にキスをされた。
「急に何するの!? わたし、ほっぺでも初めてなのに⋯⋯」
「前にもしたことありますよ?」
「ないよ! さすがに忘れないよ!」
「あっ、」
「な、なに⋯⋯?」
「なんか、お股のあたりが変な感じがしてきて⋯⋯」
「ちょっと!?」
「ごめんなさい姫乃さんっ!」
そのまま、床に押し倒された。女子にしては腕っ節に自信のある姫乃も、桜花が相手だとなぜか全く歯が立たない。
彼に押さえつけられても力強さは感じないのに、まるでびくともしないのだ。
「⋯⋯ボクはあなたに触れたくて、仕方がないのです」
そのまま、唇と唇が重なった。
今度は頬ではなく、マウストゥーマウスだ。ここまで真っ直ぐに来られると姫乃も拒めないし、抵抗する気も起きなかった。
初体験がなんだ、命を救ってもらったのだから処女くらいくれてやれという投げやりな感情で──彼の好意を受け入れることにした。
階段から突き落とされたあの日は間違いなく、運が良くても大怪我、悪ければ順当に死んでいたであろうことくらいは分かっている。桜花が自らの命を顧みずに、助けてくれたことだって。
それに手段は間違っていても、何か分かることがあるかもしれない。姫乃も知りたいのだ、このどうしようもない違和感の正体を。
「さっきからバタバタうるさ──」
ガチャ。部屋のドアが開いた。考えうる限り、最悪のタイミングだった。
「い⋯⋯」
三ノ宮時乃の目に映ったのは、姉が見知らぬ男子に押し倒されて、唇を重ねている瞬間だった。
「時くん!? ち、違うのこれは⋯⋯!」
咄嗟に姫乃の口から出たのは、浮気がバレた男のような苦しい言い訳だった。
「姫乃さんの弟さん⋯⋯」
桜花はまるで、姫乃に弟がいることを知っているかのような口ぶりだった。
まったく驚いていないのだ。
「今からボク、姫乃さんと交尾をするんです。よければ弟さんも一緒にどうですか?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
時乃の目が据わっていた。笑えない冗談を言われて、えらく怒っているのだろう。慌てた様子で、姫乃が窘める。
「駄目に決まってるでしょ!」
「なぜですか?」
「なんかこう、いろいろと⋯⋯倫理観? とか⋯⋯」
「よく分かりませんけど、それなら仕方ないですね⋯⋯。では、ボクと姫乃さんはこのまま交尾を行いますのでっ!」
「ごめんね時くん。ここは何も見なかったことにして、お部屋に戻ってもらえるかな⋯⋯?」
弟の前でも無遠慮に身体をまさぐる桜花を前に、姫乃は半ば諦めたようにそう言った。
「彼氏は赤いのだったんじゃないわけ? そっちの黒いのは新しい彼氏?」
こんな状況下でなければ嬉しかったのだが、久方ぶりに時乃との会話が始まった。赤いの、とは赤髪である美男綺麗を指しているのだろう。
「この子はなんというかー⋯⋯」
どう答えたものか姫乃が悩んでいると、桜花が口を挟んだ。
「ボクは、姫乃さんの彼氏というものではありませんよ?」
「へぇ⋯⋯」
時乃はそう呟くなり、ポケットからスマホを取り出して──カシャ、という音を立てた。写真撮影だった。
「時くん!?」
たいへんな証拠を握られてしまった。言い逃れは不可能に等しい。
桜花に押し倒された姫乃の服ははだけており──なんなら、いちごのパンツも100%見えている。
まさかそれをネタにお小遣いを毎月カツアゲするつもりなのかと、彼女は恐怖に震える。
「これ、あの赤いのに見せたらどんな顔するんだろうなー」
時乃はスマホの画面をこちらに向けて、証拠写真を見せつけるようにした。
「そ、それだけは⋯⋯!」
事情が事情だとはいえ、黒だ。真っ黒と言ってもいいこの浮気現場を、反抗期真っ盛りの弟に押さえられてしまったのは痛い。
まさか、時乃が部屋に入って来るとは思ってもいなかったのだ。
ここ一年は、一度だってなかったことがなぜ今日に限って──。
「あ、お菓子あるじゃん」
部屋のドアを閉めた時乃は、そのままクッションに座ってもぐもぐとスコーンを食べ始める。
「おれのことはお構いなく。続ければ?」
立ち去る様子は欠片もない。だらだらと、姫乃の額から滝のような汗が流れる。
「やっぱりそういうのはなし!」
「えーっ!? そんなぁー⋯⋯」
姫乃がきっぱりと断ると、桜花はしぶしぶといった様子だが引き下がった。
「とはいえ、ここまできて何もしないってわけにもいかないか⋯⋯」
頑張ったで賞くらいは、あげるべきだ。一回も二回も変わらないだろうと、姫乃は桜花の唇を奪い取った。
自分から男子にこういうことをする日が来るとは、思ってもみなかったが──不思議と桜花には、そういう異性に対する気恥ずかしさのようなものをあまり感じない。年下だからというには、少し違う気もするが。
「ひめ⋯⋯の、さん⋯⋯」
桜花はまるで恋する乙女のように、顔が真っ赤になっていた。
「ボク、今日はこれで失礼しまひゅっ!!」
そう言うと、脱兎のごとく部屋から抜け出し帰って行った。
獣のように獰猛なのかと思いきや、可愛いところもあるんだなと姫乃が思っていると──ピポン、という小さな音がした。
「⋯⋯ん?」
確かそれは、スマホの動画撮影が終了する際の音だ。
「あーあ。これでもう、お得意のクソみたいな言い訳もできないんじゃない?」




