殺人はロマンスを生む(1)
嫌な感じのする日だった。
三ノ宮姫乃は、これまでにない危機感を感じていた。確実に今日、自分の身に何かが起こる──と。
しかもそれは、おそらく回避不可能。詰んでいる。
姫乃の持つ人並み外れた直感は、自然的なものならばおおよそ回避できるが、人為的なものは避けようがない。最悪の事態を想定しつつ、手すりに掴まりながら階段を降りようとした時のことだった。
「あっ⋯⋯」
死んだ、と思った。手すりに捕まることも許されず、背中を強く押された。
せめてあの世で呪ってやろうと、姫乃はホラー映画のように首を限界までぐるりと曲げて、相手の顔を確認しようとしたが──それも叶わない。
捉えた姿は白い仮面をつけた、女子二人組だった。
──暗殺者かよ。
顔を隠すというのはプロの手口だ。本職の方々なのかもしれない。
彼女たちはきっと、ドイツ語の数字みたいな名前をしているに違いない。
三ノ宮が下に目を向けると、落下地点に凶器と化したビニール傘が開かれていた。取っ手や留め具が全て外されており、剥き出しの鋭利な鉄がぎらりと光っている。
間違いなく、殺す気だと思った。職人としか思えない匠の技で、鉄はしっかりと先端が鋭く研がれている。
まさか傘が首に刺さって死ぬことが本当にあるのかと、死の間際でも驚きの連続だった。
「姫乃さんっ!!」
すると、男の子の声がした。名前を呼ばれたが、まったく聞き覚えのない声だった。
「よっ! ⋯⋯うわわーっ!」
その少年は、落下していく姫乃を真正面から受け止めたが──彼は重心を保てず後ろにひっくり返ってしまい、ゴン! と大きな音を立てて頭を打つ。
そのまま首が折れてしまうのではないかと思うくらいに、勢い良く階段の一番下までなだれ込んでいった。
「だっ、大丈夫!? 生きてる!?」
自分を庇ったせいで、少年が死んでしまったのではないかと姫乃が焦っていると──彼は何事もなく、元気に受け答えた。
「はいっ! ボクは人間さんよりも頑丈にできているので、これくらいではちっとも問題ありません! それよりも、お怪我はありませんか?」
「わたし? わたしは大丈夫だけど君が⋯⋯」
「姫乃さんがご無事ならいいんです。ボクはあなたのためなら、死ぬことだってかすり傷ですからっ!」
「それは致命傷だと思うよ!? ──というかわたしたち、どこかで会ったことある⋯⋯?」
まったく見覚えがないはずなのに、不思議とどこかで何度も会ったような──姫乃は、その少年の顔を凝視する。自分の名前を知られているから、という単純な理由でないことだけは確かだ。
少年の外見は、人形のような白い肌に、黒髪黒目。顔立ちはまだ幼さの残る童顔で、黒のカーディガンを着用している。とにかく真っ黒な少年だった。
上履きの色は赤なので、どうやら学年は一年生のようだ。
「はい! ボクはあなたに会いに来たのです。あなたに会うためだけに、生まれてきました」
まるで嘘みたいな口説き文句だが、その言葉は口から出まかせとも思えない響きを感じさせた。
「ボクはあなたに恋をしたのです。好きです、姫乃さん」
突然の告白だった。これには姫乃も、どう答えたものかと悩む。
「えっと⋯⋯名前を思い出せなくて申し訳ないんだけど、まずは君が誰なのか聞いてもいい?」
「ボクですか? ボクは⋯⋯桜⋯⋯」
まるで今、その場で考えたかのように少年は答えた。
「ボクは、桜花です。桜花春と言います」
「桜花くんね。危ないところを助けてもらった恩もあるし、君の気持ちはすごーく嬉しいんだけどさ。わたし、彼氏がいるから⋯⋯」
無難な断り文句になるかと考えた姫乃がそう言うと、桜花は不思議そうに首を傾げた。
「それがどうしたんですか?」
「ん?」
「ボクの家系では、妻や夫が複数いることは当たり前のことなのです。実のきょうだいたちとも、結ばれることなんかも多々ありますし⋯⋯」
「⋯⋯!?」
予想外の返答に、姫乃が唖然として言葉を失う。
「なので、彼氏さんがいることはボクには問題ありません! 人間さんのような、どくせんよく? というものはないのですっ」
これがインモラリストというやつなのだろうか。世の中にはそんな考えの人もいるよね──と、姫乃は些か強引に自分を納得させようとする。
「なのでその、交尾を前提にお友達から初めていただけたらと思います!」
「いったい何を前提にしてるの!?」
「あれ? 言い方が違いましたか? ごめんなさい。えーっと確か、セッ⋯⋯」
「分かった! 完全に分かったから! もう大丈夫だから!」
しどろもどろになりながら、姫乃は続く言葉を静止した。えらく可愛い顔立ちをしている桜花だが、その中身は獣のように獰猛なのかもしれない。
「──って、そうだ! さっきの二人組、追いかけないと!」
今ならまだ、間に合うかもしれない。せっかくあの世に行かずに済んだのだから、拳で何発か殴ってやろうと決めた姫乃が、立ち上がろうとすると──
「それなら、姫乃さんのお手を煩わせるようなことはありませんよ? ボクの仲間にお願いして、追跡してもらいましたから」
桜花はそう言うと、姫乃の手をするりと恋人繋ぎで絡めた。
強い力は加わっていないのにがっちりと固定されていて、そう簡単には振りほどけそうにもなかった。
しかしこの手と指の感触、前にもどこかで触れたことがあるような──姫乃は妙な既視感に、首を傾げるばかりだ。
「後のことはこちらで対処しておきますので、心配しないでください。もう二度と姫乃さんに手を出せないように、懲らしめておきますので!」
「具体的に何をするの? 相手は曲がりなりにも女子だからね、暴力は駄目だよ?」
先ほどまで意気揚々と、殴り込みに行こうとしていた人間の口から出るような言葉とは思えないが──姫乃は白々しくも、真っ当な先輩らしさを装っていた。
「えっ? あー⋯⋯禁則事項です?」
なんだか言えないことを思い出したように、桜花が片目を瞑り、顔の前に人差し指を立ててそう言った。
「暴力を行使しないことは、お約束します。でも、悪い人間さんにはそれなりのおしおきが必要ですからねっ」
その翌日から、三年生の女子生徒二名が不登校になった。
彼女たちが校内で発見された際には、廊下で気を失って横たわっていた。
意識が戻ると酷く錯乱した状態で、全身を絶えず掻きむしり続ける症状を起こしており──現在は、精神病棟へと移送されている。
二人の女子生徒の証言は、こうだ。まず、軍団のように統率が取れた無数の昆虫の集団が、彼女達の前に立ちはだかった。
その昆虫たちは、服の中へと入り込んで全身に這いずり回ったあと──口、目、鼻、耳、そして陰部にまでも侵入してきたと言う。
しかし発見された女子生徒二名の身体の周りには、虫一匹すらも見受けられなかった。そんなことがあるはずがないと集団幻覚と判断され、この一件は片付けられたが──真相は闇の中である。




