桜に願いを
七夕のようなイベントの日だった。
桜木高校では、春の季節にはなぜか桜の木の隣に、笹の葉が設置される。これに願いごとを書いた短冊を吊るすのが恒例行事だ。
これは受験生(現在の三年生)のための粋な計らいらしく、夏ではなく春から気合いを入れさせるためだとか。
ふだんよりも少し早い時間に登校してきた三ノ宮姫乃は、体育館のすぐ近くに設置されたそのスペースで、不躾にも他人の願いごとを物色していた。
犯行の動機は興味が半分、暇潰しが半分といった割合だ。
「えーっと、なになに⋯⋯世界が平和でありますように?」
なんて崇高な願いごとなんだろう、と三ノ宮が感銘を受けていると──その付近にもう三枚、【世界が平和でありますように】と書かれた短冊が吊るされていた。
合計四枚。この学校も捨てたもんじゃない。
そして彼女が次の短冊を盗み見ると、げんなりとして肩を落とした。
【三ノ宮死ね!】
まさかこんなところにまで、美男綺麗ファンクラブの魔の手が伸びていたとは驚きである。
気分と共に姿勢も俯いたためか──三ノ宮はふと、足元に目がいった。桜の木の近くの地面には、鳥が巣を作るかのように色んな長さの木の棒が寄せ集められて、なんとか読める程度の文字が綴られていた。
【人間になりたい】
それは、突拍子もない内容だった。男子生徒がふざけてやったのだろうと思われるような。
せっかくだし自分も何かしら願いごとを書こうと、三ノ宮が短冊を手に取ると──背後から肩を叩かれた。
「おはよう、三ノ宮」
美男だった。まだ願いごとを書く前でよかったと、三ノ宮は心の底から安堵する。
【彼氏に振られますように】と書いた短冊を見られた日には、どうなってしまうのか想像もつかない。
「お⋯⋯おはよう。美男くんもなんか書いてく?」
三ノ宮が短冊を差し出すと、美男は首を横に振った。
「必要ない。オレの願いはもう叶っているんだ」
怖いくらいに真っ直ぐな瞳で見つめながら、美男は続けた。
「──おまえが好きだ。三ノ宮」
美男綺麗は、三ノ宮姫乃と付き合う前よりも少し前のことを思い返していた。
それは、まだ二年生に進級したばかりの頃だ。当時の美男は、三ノ宮には彼氏がいるのだと思っていた。
茨林檎。三年生の有名人で、茨白雪の兄。
その長い銀髪と蒼穹を思わせる切れ長の瞳は、まるでお伽話に出てくる王子様のように美しい。
彼の他人に対する刺々しい態度は、妹にも負けず劣らずのものだったが──お弁当を忘れてしまった日に美男が食堂を利用した際には、あまりにも親密な態度を三ノ宮に見せていた。
それこそ、ふたりが付き合っているのだと勘違いしてしまうほどに。
一年次では茨林檎と三ノ宮姫乃には、相当な確執があるというのは有名な話だったので、美男もこれには驚いた。
過去に廊下ですれ違った際に聞こえてきた会話では、このような口論をしていた。
「茨先輩はさぁ、ブラコンってやつなんじゃないの? 少しは妹離れした方がいいよ?」
「君のような畜生に妹は任せられないと思っているだけさ、三ノ宮くん」
「あのー、前々から思ってたんですけど⋯⋯わたし女なので。くん、じゃなくてきちんとさま付けで呼んでくださいね? 三ノ宮さまと」
「フフ。君に様を付けて呼ぶ屈辱を味わうくらいなら、喜んでこの舌を噛んで死ぬとも」
ふたりの間にいったい何があったのかと、美男は同じクラスである三ノ宮に興味を持ってしまった。これが、駄目だった。
知りたいと思う気持ちは、もうそれだけで相手に恋をしているようなものなのだ。
あの日の放課後。期せずして彼女からの好意を知るという、渡りに船のような状況で──今ならまだ、奪ってしまえると思った。
三ノ宮が自分のことを本気で好きだと思っていないことくらい、分かっていたのに。
彼女が大嘘吐きなことくらい、知っていたのに。それでも欲しかった。
「へ⋯⋯!? あ、ありがとう⋯⋯?」
美男が好意を伝えても、三ノ宮はいつも赤い顔をするばかりで、自分も好きだと返してくれたことは一度もない。嘘でもいいから好きだと言ってほしいと乞えば、彼女はどんな顔をするんだろうか。
そんな意地の悪いことを考えながらも、美男は今の関係に満足していた。




